スロウ・スロウ・スロウ
ちゅんちゅん。外で鳥が鳴いているようないないような。これ以上寝たらもう今日は何もできない気がする。二度寝どころか三度寝だ。それもいいか、だっていつもは隣にいないレアキャラがお休みになられているのだから。
「…土方さん」
囁いたつもりがカスカスの声が出た。そういえば寝る前に死ぬほど喉渇いたなーって思いながら力尽きて寝たことを思い出す。声量は全然出ていなかったけどぱちりと目を開けたのは上半身裸の無駄に鍛えられた肉体を持つ男。
「幾つになったの?」
「……寝起きの朝イチでそれかよ」
「おめでとうは言いましたよ」
ただし散々喘がされながら。
土方さんがこのアパートに来たのはおよそ三ヶ月ぶりになる。出張でそれはもう遠い土地に行ってしまってそのままほとんど音沙汰無し。あれ?別れ話したっけ?こりゃ自然消滅かしらと思い始めた頃に「明日戻る」ってそれだけのメールが届いた。意味わかりません。こっちにだって都合というものがあるのをお忘れですか。まぁ予定はないんですけどね。だって今日は貴方の生まれた日。元から盛大にお祝いするつもりだった。もちろん本人とは連絡がつなかかったから一人で。
深夜ドラマを観終わって、さてそろそろ寝るかーって思った時に訪ねてきたのは出張先から直で来ましたって出で立ちの土方さん。キャリーを玄関に置いてコートとスーツを脱いだと思ったらろくに会話もなく服を脱がされ抱かれまくった。三ヶ月分。
というわけで誕生日当日の朝にこうして同じベッドで朝ちゅんを迎えるなんて想像もしていなかったから幸せで仕方がない。先に目が覚めてからずっと寝顔鑑賞をさせて頂いた次第です。
「土方さんがいる。しあわせー」
「安いな」
「一服してきまーす」
「待て俺も行く」
「寝起きで汚れた空気吸いたいなんてアホですね」
「お前もだろ」
「わたしは一時間前から起きてますもん。麗しい寝顔を見てたから目覚めまくってます」
「生産性のねぇことすんな」
仲良くベランダに出て腰を下ろす。煙草を咥えてカチ、と使い捨てライターを親指で押し込む…がつかない。おいちょっとどうしましたか。ていうか最近のライター固すぎ。子どもの悪戯防止らしいけどそれにしたって大人の握力を舐めないでいただきたい。ふんぬぬぬ。これだから安物は…!
「この子反抗期です」
「ほんっとにバカだな。貸せ」
横から同じように煙草を咥えた土方さんにライターをぶん取られ一発で先っぽに火がついた。なんだお前、土方さんには懐いて。捨てるぞ。口の中に煙を入れて味を確かめてからふ、と細く煙を出す。
「相変わらずクールスモーキングか」
「空気みたいに肺の奥までスパスパ吸ってる土方さんと違って味わう派なので」
ゆっくり、ゆっくりと時間をかけて煙を口の中で味わう。別に吸わなきゃいられないわけじゃないし土方さんみたいにニコ中でもない。家でぼーっとしてる時、吸いたいなーって思ったら火をつけるだけ。コスパいいでしょ。
「会社じゃ『清楚な美人受付嬢』ってチヤホヤされてんのにな」
「勝手なイメージ作って『幻滅したー』とか言われてもこっちは知ったこっちゃないんですよ」
「まぁ外見詐欺だとは思うけどな」
「えっ!土方さんも清楚なわたしをご所望で?」
「いや別に。上辺で取り繕ってるよりはそっちの方がマシだろ」
「…土方さんのためなら清楚なオンナノコになってもいーですけどね」
返事はなかった。彼はこういう言い方を好まないのを知っているのにうっかり失言だ。軽く後悔しているとすぐ隣でカチ、とライターの火がつく音がした。いつの間にか一本目を終えて次の新しい煙を勢い良く吐き出す。その息遣い、呼吸を耳で聴けば空気で肺が膨らむ様子でさえ想像できる気がする。それくらいこの人のことしか考えていないほど好きになっていた。わたしの指と指との間に挟んだ白い煙草はまだ半分も燃えてない。煙を肺には入れない。あくまで味わうのが好き。コーヒーを飲む感覚。美味しいか美味しくないか確かめる、そういう存在。
土方さんと初めて話したのは半年以上前のある日の昼休み。土方さんは前から受付嬢の中でもイケメンのやり手だって有名で、確かにカッコいいなーって思ってたけどそれだけだった。なんか怖そうな雰囲気だったし。
その日はコンビニでお弁当を買って、ついでに煙草が切れてたから買った。それをたまたま後ろに並んでた土方さんが見ていたらしく、店を出て歩いてたら声かけられた。『お前煙草吸うのか』って。そうですよーって話しながらその辺の公園で一緒にお昼を食べたのが始まり。それから少しずつ仲良くなって、たまーに一緒にランチして、あれよあれよという間に身体の関係に。初めての日に一応『付き合うか』と言われているのでセフレではなく正式なカップルだと認識している。こうして誕生日に隣にいるし。
「ねぇ、初めて会った時どうして声かけてくれたんですか?」
「単純に煙草吸うのが意外だったから。あと普通に好みだった」
「へ?わたしのこと好みだったんですか?初めて聞いた」
「まぁ社内でもそこそこ有名だしなお前。出入りする時目に入るし」
「えー全然気付かなかった。あの頃月9の主演の俳優さんのことばっかり考えてたもん」
「だろうな。見るたびにボケッとしてた」
「失礼な。仕事はちゃんとします」
「…ずっと聞こうと思ってたがお前なんでそれ吸ってんだ」
土方さんが目を向けるのはイギリスの会社が作った黒い煙草の箱。ゴールドのロゴが描かれたそれは確かに男性が良く好む。
「女の子が吸っちゃダメなんですか」
「元彼が吸ってたとか」
「えっ、意外ですね。土方さん嫉妬とかするんだ」
「嫉妬じゃねぇ。気になってるだけだ」
「残念ですけど元彼の影響ですね。よくパシらされて買ってたんですけど…ほらこれ種類少ないからコンビニですぐ見つけられるでしょ?吸ってみたら好きな味で別れても自然とこれになってただけ」
明らかにむっとした表情が珍しくて思わずほっぺをつついてみた。きめ細かい肌だなぁ。もうお昼前になろうとしている太陽の光を受けて艶々と輝いている。羨ましい限りです。
「ジェラってます?」
「意味わかんねぇから最近の言葉使うなよ」
「可愛い大好きって意味です」
土方さんの二本目が灰皿に押しつけられた。その手でわたしの髪を撫で、引き寄せる。外気に晒されて少し冷えた肌がひやりと頬に触れた。
「誕生日プレゼント、後で開けてみて」
「何用意したんだ?」
「秘密。あ、知ってました?今月末、世界禁煙デーですよ。今年は禁煙してみませんか?」
「無理だろうな」
「んーじゃあわたしに禁煙させるっていうゲームしませんか?ひと月くらい。もう五年は吸ってるけど」
「それはやる価値ありそうだな」
「何か代わりになる嗜好品があると良いらしいですよ。例えばコーヒーとか飴とかガムとか」
「んなもんより俺でいいだろ」
「……名案ですね」
土方さんって、時々こうやって大真面目な顔で心臓が弾け飛びそうなくらいドキってすることを言う。軽い気持ちで付き合ったはずなのになぁ。知れば知るほど好きになっていく。顔を上げてキスをねだると当然のようにこの唇に触れてきた。
「生まれて来てくれてありがとう。できればずっと…末永く一緒にいたいです」
「…最高のプレゼントだな」
今、この手の中の灯火が消えた。ゆっくりと燃え尽きた長い長い六分半。けれどわたしたちにとってはその一本分の時間じゃとても足りない。
「煙草なんざ止めちまえ、名前」
もっと、もっとゆっくり。
時間の流れが止まってしまってもいいから、せめてお互いのほろ苦い吐息の味がしなくなるまで唇を重ねていたい。キスの合間に囁かれる名前と愛の言葉。こんな味を知ってしまえばもうフィルター越しの味わいじゃ満足できそうにない。これからは土方さんから与えられる味だけでいいや。…なんかずるいよね、自分は止める気なんてないのに彼女には全力で止めさせにくるんだ。禁煙デーはまだ先なのに。
「土方さんがわたしの煙草になって。さみしい時、欲しい時にそばにいて」
「俺以外が吐く空気を吸うことは許さねぇよ」
この日以来わたしの手にあの黒い箱はおろか煙草が触れることは二度となかった。
Happy Birthday 土方さん
用意したプレゼントはお好みで想像してください
title by さよならの惑星