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蜂蜜と香水と愛情、その期限


Twitterのプラスタグで上げたものです。


古代エジプトの遺跡から3000年前の蜂蜜の蜜壺が発見されたらしい。しかも驚くべきことにそれはまだ食べられる状態だったとか。蜂蜜は雑菌が繁殖できないほど糖度が高くまた水分量も低いため防腐性に優れており保存をしっかりすれば3000年前の物だって(味や香りは別として)食べるには問題ないそうだ。へぇ。さすが甘味料としてだけではなく塗り薬としても重宝されていただけあるなぁ。ああもう終わりか。休憩室に置かれていた新聞を閉じて立ち上がった。


「お前また男変わった?」

万事屋を営む坂田銀時という男はわたしが働いている大型ホームセンターによく出没する。町では一番大きな店なので大体の物はここで揃う。万事屋に舞い込む依頼は家財の修理やペットの捜索が大半を占めているようで工具や軍手と言った仕事に必要な物を買いに訪れるうちに顔見知りになった。因みにファーストコンタクトは『オネーさんロープどこ?あー別にオネーさんのこと縛ろうとか思ってないよ?その緑のエプロンの上から縛って手足の自由殺して砂糖ぶちまけた床舐めさせてぇーとか思ってないよ別にィ。うわその顔ヤバゴメンナサイ通報しないで』だ。控えめに言ってドン引きした。絡みは面倒くさいけどセクハラクレーマージジイを相手にするよりは幾分かマシな男である。お客様ではあるが気を遣わなくていいので気付けばプライベートの会話をするくらいの仲になっていた。
この日は在庫管理のため売り場に張り付いているわたしの背に何とも失礼な言葉を投げかけてきた。挨拶くらいして欲しい。振り返ると坂田銀時は右手に持ったプライヤーを肩にとんとんと置いてだるそうに突っ立っている。

「今日は水道の修理?大変だねぇ」
「そー。自分で修理しようとした爺さんがギックリ腰やっちまって今従業員が病院連れてってるとこ」
「あらら。災難だねぇ」
「お前また男変わった?」
「会話のキャッチボールが成立しませんねぇ」
「香水変えただろ。老舗のクリーニング屋の匂いする」
「もっと言い方ないの?石鹸とか洗い立てのシャツとか」
「付き合う男変わったら香水も変えるの分かりやすすぎんだよ。しかも男モン。彼氏と同じの買ってんの?カワイイねぇ」

いつの間にか男関係にまで口を出して来るようになった坂田さんが正直ほんの少しだけいやかなり鬱陶しい。アンタはパパか。更に言えばカワイイという言葉はそんな下卑た表情で使うモンじゃない。

「分けて貰ってるんだよ。香水の期限って1年程度だからボトルで買うと使いきれないんだよね」
「へーだからわざと一年以内に男変えてんの?」
「そんなわけないでしょ。長続きさせようと努力はしてますよこれでも。でもなんか飽きちゃうんだよねぇ。ただ香水の期限が切れるが早いか、はたまたその男と切れるのどちらが早いかってだけで」
「要は底辺の争いをしてるってわけだな」
「争ってるつもりはないけどそうなりますね」
「つーかそれ男に飽きてんの?それとも匂いに飽きてんの?」
「……それ多分わたしにとっては同意義」
「は、お前ホントアレだな」
「アレとは」
「俺は見てて飽きねーけど」

じゃ、とレジに向かって行く白い背中を暫く見つめて手の中の在庫表に視線を戻した。どこか掴めない男だ。彼の言う『老舗のクリーニング屋の匂い』が自分の首元からほんのりと香る。今まで爽やかで良い匂いだなぁと思っていたそれが僅かに煩わしく思えた。ああ、また飽きてきてしまった。

男性との付き合いに香りをセットにする癖がついたのは恐らく十代の頃に短期間だけ恋心を抱いていた年上の男が喫煙者だったのが始まりのように思う。その銘柄の煙が口の端から溢れわたしの鼻腔に入り込む度に燃えるような執着に似た何かが身体を駆け巡る、あの感覚に未だ酔っている。その現象が恋に落ちた合図なのだと脳が錯覚するようになってしまった。顔や性格は二の次。その人の香りが好みかどうか。だから付き合うまではとんとん拍子に進むのにそれ以降は長続きしないのだ。合コンに行った先で好きなタイプは?と問われても困る。これまで付き合った相手は年代も職業も幅広い。わたしも成人して暫く経つ。良い香りがするとかそんな口にも出せないほど下らない理由を交際のきっかけにしている場合じゃない。こんなんじゃ自分を擦り減らして疲れるだけだ。分かっている。分かっては、いる。フェチズムなのか好みなのか知らないが厄介なものだ。

恋情というのは香りに似ていると思う。目に見えず、四六時中包まれていたいと思うほどに夢中になる時もあれば気がつくと跡形もなく消えていて無くても平気になりそのうちそれがどんなものだったかも忘れてしまうような儚さ。空気に触れて変化していく香りを持続するのは難しい。何度振りかけても、擦り付けても他の香りを嗅いでみたくなるし試してみたくなる。つまりわたしにはただ一つを選び取り愛し続けるという行為に適性がこれっぽっちもないということだ。一生同じ香りを纏いたいと思うほど好きになる人に会える気もしない。これだから坂田さんに馬鹿にされるんだ。どうせあの人だって大した恋愛してないよ、目死んでるし。まぁキリッとすれば好みでもない…こともない。そういえば坂田さんって香水でもシャンプーでもない、なんか言い表せない甘い香りがするんだよなぁ。


「よー、ちょっと入れてオネーさん」

次に会ったのは土砂降りの雨の中。店を出ると退勤の解放感は一瞬で消え去り絶望する。なんだこの雨は。確かに予報は雨だった。だからちゃんと傘を持って出勤して来たのに吹き付ける風のせいで、例え頭は守れたとしても帰宅する頃には下半身はびしょ濡れだろう。当分この勢いは続きそうだし何より寒いから早く帰りたい。意を決して飛び出してすぐ、飛ばされそうな傘の持ち手を力強く掴んだ骨張った男の手。坂田さんだ。もう既にかなり濡れている。

「ヤバくないですかこの雨ああ!ちょっとそんな上に持ち上げたら濡れる濡れる!」
「いやお前もうそれ手遅れだって!諦めて全身濡れとけってそれより銀さんの天パだけは守ってお願いだからァア!」
「ちょっやだやだ離してわたしの傘だから!」
「あああああァァァァ傘がぁあああああ!」

バキ。多分そんな音が頭上でしたと思う。傘の悲鳴は豪雨のせいで耳に入ることはなかった。

「タオルちょーだいあと洗濯頼むわ」
「いや何で来たんですか」
「お前の家の方が近いだろ。雨宿りさせてよ」

その後、お互いの身体を雨避けにするため地味な攻防を繰り広げながらやっとの思いで辿り着いた我が家に何故か転がり込んできた坂田さん。いやちょっと待って何でうちの玄関で着流しの裾絞ってるの。勝手に傘に入って来ておいて強風で見事に壊れた残骸と共に我が家にちゃっかりお邪魔しているこの人の図々しさはどこから来るのだろうか。
お望み通りタオルを渡してよく見ればあんなに死守したがっていた綺麗な銀髪はじっとりと水分を含んで水滴が顔を濡らしている。結局二人してずぶ濡れだ。ちょうどブーツを脱ごうと屈んでいたのでわしゃわしゃと頭を拭くと予期していなかったのだろう、重心のバランスを崩して身体が揺れたがすぐに安定し顔を上げた。普段見下ろす事のないアングルと上目遣いに意図せずドキリと胸が反応した。びっくりした。目が死んでない状態だとやっぱりそれなりにイケメンの部類に入るんだ勿体無いなぁと失礼な感想を胸の内に閉まって順番でシャワーを浴びた。そして今、坂田さんはうちのリビングで横になりながらテレビを付けて天気予報を見ている。今夜いっぱいこの雨風が続くと言うお天気お姉さんの笑顔をガン見している。初めて来る人の家でよくそんなに寛げるなぁと感心すらしてしまう。気を遣わなくていいから楽だけど。

「帰らないの?」
「今の予報見た?よく言えるなそんなこと。何、泊まったら困るわけ?」
「全然困んない」
「クリーニング屋の男は?」
「別れた」
「はっや」

想定内だと言わんばかりにニタリと笑う。わたしの男関係の話をする時は決まってこの顔だ。じゃあ問題ねぇなとリモコンを取ってぽちぽちしている。居座る気満々だ。お茶でも淹れようとキッチンに向かうと坂田さんの視線が追いかけてきた。

「因みにこのスウェット、クリーニング屋のじゃねーだろ。煙草くせー」
「ああそうかも。えーと前の、その前の人のだったかな。あ、ねぇお茶っ葉ないからコーヒーでいい?」
「あー、砂糖ある?」
「ごめんちょうど切らしてる。塩でもいい?」
「いいわけないよね?何てモン飲まそうとしてんの」

注文が多いお客様だなぁ。もうミネラルウォーターで良いかなとも思ったけどお湯を沸かし始めてしまったしシャワーを浴びたとはいえ一度冷えたから温かいものを飲みたい。代わりになりそうな物を物色していると黄金色の液体が目に入る。これでいいや。甘いものが好きそうだから多めに入れて更に本体の小瓶をカップの隣に置いた。

「はいどうぞ。蜂蜜しかなかったよ。甘味足りなかったらセルフでね」
「んーサンキュー……何これうま」

ず、とお茶を飲むような仕草で蜂蜜とミルク入りの甘々コーヒーを口にした坂田さんは驚いたように顔を上げカップの中を覗き込む。それを横目にわたしも一口。ん、確かに悪くない。新たな発見だ。まぁこの際一晩くらい宿を貸してあげても良いような気分になった。仕事で疲れた身体にいつもより甘いコーヒーが満足感を与えてくれる。

「お前さ、なんでそんなに男の匂いに執着すんの」
「えっその話まだするの」
「するに決まってんじゃん」
「んー…きっかけは些細なことだったんだけどね。初めて好きになった人の香りが好きでそれからなんか良い匂いの人が気になっちゃうみたいな。なんて言うか、香りはその人の好みを表してると思うんだよねぇ」
「つまりその香りを纏えば好きになってくれるって?惚れ薬かよ」
「そこまで考えてないよ。ただ…」
「毎っ回爽やか系の清潔感ある男ばっか選んでっけどお前に合うのはそれじゃねぇんだわ」
「え?」

ハッキリと断言したその意図が掴めずカップから視線を正面に移すと言葉が喉の奥で渋滞した。坂田さんの目があまりに普段と違いギラリと燃えていたからだ。一人暮らし用の大して大きくないテーブルの向こうから顔を覗き込まれれば自ずと距離は近くなる。絡み付く視線を受けて無性に目を逸らしたくなった。あれ、この人って誰だっけ。何の話してたんだっけ。あれ、この人ってこんなに『男の人』だったっけ…?

「会いに行く度に違う匂いさせてっからマーキングされてるみてーですっげぇ不快だったんだよな。俺がずっと見てんのに気付かねぇし取っ替え引っ替えして、随分と挑発してくれたよな。なぁ、銀さんよく我慢したと思わねぇ?」
「…挑発?なんのこと………、っ!」

するりと頬を撫でた手の平は皮が硬く独特な凹凸がある。坂田さんに触れられたのはこれが初めてだ。側から見ればまるでこれから甘い時間を楽しもうとしている恋人達のようだけれどそんな可愛い雰囲気じゃない。彼が動く度にブローしたての銀色の髪が空気を含んで揺れる。それとは対照に射抜くような紅い瞳。困惑して眉を寄せることしかできない。

「お前に相応しいのはもっと、ドロッドロに纏わりつくような甘ったるい匂いだよ。香水なんてそのうち空気に溶けて消える綺麗なモンじゃなくてもっと、もっと深い泉みてーな」
「…な、にそれ……そんな物、ないよ」
「一回付いたら消えないようなヤツ」
「ないよ」
「あったらどうする?」
「…そのうち飽きるかも知れないじゃん」
「ホント馬鹿だな。飽きても取れねーんだよ、ずーっと。そんでそのうちお前の一部になるんだよ」

本当に馬鹿だと思ってるような顔をして鼻で笑うのはいつもの坂田さんだ。でも、頬を撫でていた親指が唇をふに、と押した時、何かが決定的に違うと悟った。わたしはいつ、この人のスイッチを押してしまったのだろうか?家に上げてから?シャワーを浴びた彼に元彼の服を渡してから?甘いコーヒーを飲ませてから?もう暫く彼のトレードマークである死んだ目が迷子になって爛々と輝かせた紅を惜しげもなくわたしに向けている。異性がこんな表情をする時は決まって目の前の女をどうにかして手に入れたいと思っている時だ。ただそれがこれまで見てきたどの男のそれよりも熱く鋭く、恐怖すら覚えるほどの欲を孕んでいる。
本能的に腰を引くと頬から手が離れ、ほっとしたのも一瞬だった。坂田さんは手を引っ込めるとコーヒーカップの傍に置かれた蜂蜜入りの小瓶に長い人差し指をずっ、と突っ込んだ。

「えっ」

間抜けなわたしの声をスルーしてゆっくりと引き抜いた。艶々とライトの光を反射する膜に覆われた指が現れる。そのまま躊躇いなく再びわたしに手を伸ばして、首筋にそれを塗り付けた。そこは、いつも香水をつけている所。ぬるぬると指を動かして、甘ったるいにおいとともにベタベタに広がっていく。

「そういやこの間の朝刊に載ってたんだけど、蜂蜜の賞味期限ってどのくらいか知ってっか?」

――3000年。仕事の休憩中に読んだその数字が脳内で反復されるが言葉にはならなかった。だってこんなのまるで坂田さんがわたしにとんでもない感情を向けて来ているみたいじゃないか。

「期限なんか気にして飽きるような一時の香水つける生活するより、何も考えず与えられたモノを身に纏って一生溺れてる方が幸せだと思わねぇ?」

甘い、甘い香りが鼻腔を擽る。更に坂田さん自身の纏う雄の空気が混ざり合ってどうにも落ち着かないのに身体が動かない。それは香水なんかよりずっとずっと中毒性のある、手を出してしまえば戻れないような。いや多分もう、遅いかも知れない。

「ハイここで問題です。蜂蜜の正しい保存方法は?」
「……常温で保存?」
「ブッブー。……密閉して暗所に保存。お前もそのつもりで」
「え……こわ」
「末永ーーーーーーく、よろしく」

蜂蜜で上書きされた首筋を赤い舌がべろりと舐める。途端にまた濃くなる甘いにおい。ああ、自分はつくづく男を見る目がないのだと痛感する。これまたとんでもない男に引っかかってしまったらしい。しかもこれ、3000年くらい逃げられないやつ。





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