静かに閉じた本は、たった今読み終えた。作者のあとがきまで一気に読んだ後は、いつも不思議な感覚から抜け出すことができなくなる。浮遊している様な、彷徨っている様な、夢現なような。現実がうまく頭にしみこまないような状態であると言うのが、正しいのだろうか。一息吐き、背もたれに身体を預けた。そして目を閉じると、耳の奥で水の音が鳴っている様な気さえした。
 今の今まで読んでいた本は、水底に沈む街の話。突如沈み始めた街、逃げ出す手段が全て断たれた人々が過ごす一か月間を描いたそれは、複数の人々の視点で構成された短編集で、実に様々な生と死がこめられた物語だった。
『もし、自分がこうなったら』
 そう、空想する。海に囲まれた街に住み、その街が沈むと言われたら。俺なら、一体どう思うのだろう?まず、溺れて死ぬなんて恐ろしい、と思うのかもしれない。小学生の頃、トラックに轢かれて一命を取り留めた経験から、あの生を喪う感覚というものが怖い物だということは、よくよく分かっていた。
 それから、どうにか逃げられないのかと、画策するだろう。そして、これは嘘かもしれないと、焦った自分を一度は恥じるのかもしれない。言葉をうのみにして慌てるだなんて、二十歳も超えた男らしくもないと。けれど、日々迫りくる海をみて、ああ、これはやっぱり現実だったのだ、と打ちひしがれるのだろうか。
 ぱちり、と目を開ける。ここは安いアパートの一室。実家を出て、仕送りを貰いながらバイトをして、大学に通う日々だ。そんな学生の部屋は当然ながら質素。しかしバイト先で安く買った古本たちだけは、この部屋をかなりの割合で占めていた。
「これも全部沈むのか……」
 仮定の話、だ。ここがもし沈むとしたら、この本たちは軒並み海に沈み、そして溶けていくのだろう。それは少し悲しいな、なんて思う。この本たちは、ある意味では、自分の人生を集めたようなものでもあるから。物心ついた時から本を読み、集めてきた。それらの全てがあるわけではないけれど、それでも沢山集めて様々な感情を抱いてきた本が沈むと言うのは、自分が死ぬよりも“死”であるような気さえする。
 片手で髪の毛の無い頭部をつるりと撫でた。指先には大きな傷がいくつか触れる。なにも既に剥げているわけではない、ただ、綺麗に生えそろわないくらいなら剃ってしまえとこの状態に至っているだけだ。物思いにふけるとき、自分がする癖、の様なものだ。頭部を撫でながら、物語を考える。もし自分なら、あのように、愛する人を一か月で見つけることなど出来るのだろうか。一か月というのはとても短い。あの状況でみつける最愛の人と言うのは、つり橋効果を利用したものでもきっとあるのだろう。けれど、登場人物たちは、それを理解した上で、幸福に死をとげていったようにも思う。愛する人を見つけていない登場人物もいるけれど、そうではない何かを見つけ多くの人が死んでいった。
 皆、なにかを「見つけて」死んでいった。その幸福は、ある意味羨ましくも思えてしまうのだ。何かをみつけて死ねる幸福。死そのものは幸福ではないとしても。一か月でみつける幸福は、死は、確かに彼らにとっての最大の幸福であったに違いない。
「幸せってなんだろうな…」
 特に見つかりもしない問いを、自分に向かって投げかける。それが趣味でもあるのかもしれない。ただじっと考える。目を閉じると、また水の音が鳴っている様な気がした。
いつか、見つけられたらいい。自分だけの幸福を。
 かるく息を吐きながら、また頭をつるりと撫でた。

『あの湖底で君が待つなら』@blanc_pluie1
※お話の設定は参加させていただいているtwitter企画から頂いています
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