二月十四日、バレンタインデー。 ローマの異教の祭りと結びついて女性が男性に愛を告白する日。 日本ではチョコレートを贈る風習になっている。 甘いチョコレートは嫌いではない。 むしろ好きなのだからバレンタインデーにチョコレートをプレゼントされて悪い気はしない。 …しないけれど、目の前に差し出されたものは別だ。 チョコレートでこれほどまで不愉快になることは今後の人生でないだろう。 「名前、これは一体…」 『バレンタインのチョコレートだよ!六道くんにもあげる!』 「……」 ニッコリと嫌味のない笑顔でどうぞ!とチョコレートを差し出す名前。 どうやら本気でバレンタインデーのチョコレートらしい。 名前からチョコレートを貰えるだろうか、という朝からの期待を見事に砕かれた僕は顔が引き攣ってしまう。 そんな僕を見て彼女は首を傾げた。 『チョコレート、嫌い?』 「…いえ?…好きですよ」 『じゃあ……、あ、そっか…』 「何ですか?」 『そんなにたくさんチョコレートを貰ってるんだもんね!これ以上、貰っても食べきれないかぁ』 「……っ」 名前は机の横にかけられたチョコレートがたくさん入っている袋に視線をやるとごめんねーと脳天気に謝り他のクラスメイトの元へと駆け寄って行った。 視線で彼女を追うと先程の僕とのやり取り同様、気軽に義理チョコを渡している。 「……」 他の女性から受け取った、たくさんのチョコレートを見て嫉妬してくれた様子はない。 当たり前だ。 だって僕も他の者と変わりはない。 彼女とはただのクラスメイトなのだから。 黒曜中に転校してきた僕に分け隔てなく接してきた彼女。 最初は疎ましく思っていたものの、いつの間にか僕は笑顔になっていた。 彼女の事が好きだと気づくのにそう時間はかからなかった。 好きだと気付く前に、彼女からしてみたら僕にも普通に接していただけという事に気付くべきだった。 まぁ、気付いたとしても飾らない彼女に惹かれていたでしょうね。 そう思う自分を嘲笑い視線を落とす。 「……」 あぁ、あのチョコレートでも素直に受け取っていればよかったのかも知れない。 「……(いや…ですが、あれは…)」 コンビニでよく見かける十円程のチョコレートのパック売り。 勘違いするなと言わんばかりの、いかにもな義理チョコだ。 せめて小分けにしてラッピングくらいしてもいいじゃないか、とため息を吐いて他の女性から受け取った綺麗にラッピングされているチョコレートに目を向けた。 好きなはずのチョコレートを食べる気が全く起きない。 「……」 今日が早く終わればいい。 特別ではないチョコレートだと分かっている。 分かっているけれど彼女が他の男に渡す姿が目に入るとイライラしてしまう。 このまま帰ってもいいが帰ったら帰ったで落ち着かない自分が想像できる。 仕方ない。 放課後までどこかで時間を潰す事にしましょう。 「……」 ため息を吐いて席を立ち上がり一瞬だけ彼女を見る。 すると視線に気づいたらしく彼女もこちらを見た。 『六道くん!そろそろ授業が始まるよ?』 「…そういう気分ではないので」 『あっ、サボるんだー』 「えぇ、サボります」 『わぁ、不良だ!』 「えぇ、これでもトップですが?」 『そうだったねぇ、何だかそんなイメージないから忘れちゃってた』 「まったく、君は…」 僕に普通に話しかけるからクラスメイトが一目置いているのに気がつきませんか。 そう言おうとして彼女が手にしているチョコレートを見た。 当たり前だけれど先程よりも減っている。 「…そのチョコレート」 『どうしたの?』 「一つ頂いていいですか?」 『あっ、うん!どうぞどうぞ!たくさんあるから何個でも持ってって!』 「ありがとうございます…」 袋から一つ取り小さなチョコレートを見つめる。 今、この場で食べるのがもったいないと思ってしまいポケットにしまった。 『六道くんもこういうチョコレート食べるんだね』 「クフフ、チョコレートなら何でも好きですよ」 『あんなに貰ってるのに?』 「チョコレートなら何個でも大歓迎です」 あぁ、僕はなんて馬鹿なんでしょうか。 どうせなら「君からのチョコレートなら何個でも大歓迎」と言えばよかった。 先程の言い方ではただのチョコレート好きじゃないか。 いや、チョコレート好きには変わりないですが。 『へぇ…、あっ、じゃあ…』 「何ですか」 『こう言ったら失礼かなぁと思うんだけど、チョコレートが残ったら貰ってくれる?』 「どれだけ用意したんですか、君は」 『友達にもあげるから三パック!』 「買い過ぎですよ」 『でも、色んな種類が入ってて美味しくて低予算!』 ねっ?と笑う彼女には敵わない。 惚れた弱みと言うものでしょうか。 「…まぁ、残ったら僕が全て引き取ってあげますよ」 『よかった!』 「……それでは、もう行きます。」 『うん!』 彼女に見送られ教室を出る。 今の時期、屋上や野外は冷えるため、暖房も入っていて静かな図書室で暇を潰すことにした。 本は読まずに席について机に伏せて息を吐く。 今日は朝からやたらと疲れた。 「……」 少しだけ眠ろう。 そう思うと同時に目を閉じた。 *** 「ん……」 遠くでチャイムの鳴る音がする。 そっと目を開けると、その音はクリアに耳に届いた。 どうやら随分と長い時間、眠ってしまったらしく時計を見ると既に放課後だった。 「教室、戻りますか…」 バレンタインデーと言っても普段と変わらない一日だった。 食べる気にもならないチョコレートは犬にやることにしよう。 「……」 教室に戻ると夕焼けの赤で満ちていた。 誰もいない、ひんやりと冷えた教室に淋しさを感じる。 もしも今、ここに名前がいてくれたら、と思っている自分は未練がましい事この上ない。 「さて、帰りますか。…と、おや?」 チョコレートが入った紙袋を見ると受けとった覚えがないものが入っていた。 先程、名前が持っていたチョコレートだ。 残ったからあげる!と簡潔に書かれた紙が貼付けてある。 「残ったからといって本当に僕に渡すとは…」 ミルクにビター、ナッツにキャラメル。 色々な種類の入ったチョコレート。 中から一つ取り出して口へと運ぶと甘い味が広がりほっとした。 「……」 しかし、こんなに残るとは。 まったく何個あるのやら。 何となく中を覗いて数えるように見るとチョコレートに埋もれている紙を見つけた。 「おや…?」 何故こんなものが? 不思議に思い甘い香りが移った二つ折りの紙を取り出して広げた。 「…ー…っ」 その紙に書かれていたのはたったの二文字。 だけれど、その二文字は僕を動揺させるには十分だった。 「名前…」 手紙に書かれた「好き」の二文字はチョコレートのように僕に溶け込んでいく。 君の言葉は何よりも甘い。 「……」 明日はどんな顔をして君に会いましょうか 僕も好きです そう伝えて抱きしめてもいいですか? end 2011/2/24 |