窓から入る朝の陽射しが眩しくて目が覚めた。 身体を起こすと自然に欠伸が出ちゃう。 『顔、洗ってこよう、かな…』 ゆっくりとベッドから降りて、寝ぼけ眼で洗面所へ向かう。 顔を洗えば少しは目が冷めるよね。 そう考えて寝癖も気にしないで私は冷たい水に触れた。 『いた…っ!』 水に触れたら指先にピリッと痛みが走る。 ガーゼを取ると血が滲み出ていた。 自覚したらどくんどくんと脈を打つように痛みが広がり始める。 『昨日の、傷…』 指先からぽたりと垂れた血は水と一緒に流れていく。 あれだけ深く切っちゃったから、傷が塞がるのに少し時間がかかるかもしれない。 『絆創膏、あった…かな?』 今、住んでる並盛のマンションには最近、引っ越してきたばかり。 と言っても既に三ヶ月は経っているんだけど、学校に慣れるのに精一杯で片付けは後回しになってしまっている。 部屋には最低限のものしか揃えていないから、医療関係のものを購入した覚えがない。 今まで風邪もあまりひいたことがないし、日本に来てからは怪我もなかった。 『絆創膏くらい、買っておけばよかった…』 早めに学校に行ってシャマル先生にもらおう、かな? 幕開け まだゆっくりしたいのを我慢して、いつもより早めに家を出て学校へ向かう。 学校に着き、保健室に向かうためグラウンドを横切ると朝練をしているサッカー部や野球部、陸上部の人達が目に入った。 こんな早くから練習してるんだ、と、つい立ち止まって見てしまう。 「ん?あれ…?」 『え…っ?』 「あ、やっぱり、真白か!はよっ!今朝は早いのな!」 『あ…っ!山、本くん、おはよう…!』 「随分、眠そうだな!こんな早い時間にどうしたんだよ」 『絆創膏を貰いに保健室に行こうかと、思って…頑張ったけど、やっぱり眠い…』 「ははっ、一時間は早いからな」 『山本くんは、いつもこんな早くから練習してる、の?』 「あぁ、身体を動かすと気持ちがいいぜ!…と、早く行かなくていいのか?」 『へ……?』 「保健室。」 『え…、あ…っ!そ、そうだ、ね!行ってくる…!』 「気をつけろよ!ぼーっとして転んだりしたらまた獄寺に何か言われるかもしんねぇしな!」 『う、うん!それじゃ、また教室で…!』 「おぅ、また後でな!」 『……あ!』 「ん?どうした?」 『えっと…、朝練、頑張って、ね!』 「……!あぁ、もちろんだぜっ!」 ニカッと笑ってピースして答えた山本くんはグラウンドの真ん中へ走って行った。 山本くんの後姿を見送ってから保健室に行くと、開いてはいたけどシャマル先生の姿がない。 職員室かな? それともまだ学校に来てないのかな? 私は静かに保健室の中に入って辺りをきょろきょろと見回した。 『おはよう、ございます、シャマルせんせー…?』 「んー…」 『……?シャマル、先生…?』 「……」 『………?』 姿はないけど微かな気配と声が聞こえた。 ベッドの方だ。 そっと近づいてベッドカーテンを開けると、布団をぎゅっと抱きしめてシャマル先生は眠っていた。 寝言で女の人らしき名前を呼んでは布団にキスをしている。 「ん〜…ビアンキちゅわ〜ん…」 『シャマル先生、保健室に泊まってるの、かな』 「ん…っ、おぉ…!!」 『……!』 「ビアンキ、やっと俺の魅力に…」 『あ、の、シャマル、先生……?』 「何…!?羽依ちゃんに京子ちゃんも俺の事を……!?」 『……?』 「んー……」 起きてるのかな、と思うくらいはっきりしている寝言。 もしかして本当は起きてるのかも? そう思って私はシャマル先生に近づいて顔を覗き込むと目は閉じたままで眠ってる。 「みんな、積極的だなぁ」 『やっぱり、寝言なんだ…』 もう生徒も登校して来る時間だし起こしても、大丈夫…だよね? 私は控えめに揺すってシャマル先生を呼ぶ。 すると、腕を引き寄せられて抱き締められてしまった。 『わ……っ!?』 「ん〜……」 私を抱きしめたシャマル先生は唇を尖らせて近づいてくる。 一体、何をするつもりなんだろう、と考えると先程、シャマル先生が布団にしていた事を思い出した。 『あ、あのっ!シャマル、先生!』 「んー…羽依ちゃ〜ん…」 『え、えっと……っ』 唇が私の頬に触れる瞬間、保健室のドアがガラッと開いた。 誰だろうと思ってもシャマル先生に抱きしめられているため、確認できない。 「シャマル先生!何やってんスか!?」 「……っ!?ふげーっ!?」 『わ……っ!?』 *** 「まずは青少年。俺に何か言いたい事はねぇか」 「ないっスね。」 「……」 『………えっと』 私の頬にシャマル先生の唇が触れる瞬間に山本くんが保健室へと駆け込んで来て引き離してくれた。 その勢いでシャマル先生はベッドから落ちて腰を大打撃。 今も椅子に座りながら、いててと腰を摩っている。 『あ、あの、大丈夫です、か…?』 「あぁ、これくらい何ともないけどな、ここは一つ、お見舞いに羽依ちゃんのキッスー…」 「シャマル先生」 「……!分かった、分かった!分かったからバットなんて物騒なもん向けないでくれ!」 「………」 「大体、お前さんは部活じゃなかったのか?いい所にまた…」 「真白が保健室に行くって言ってたんで、一度は別れたんですが何か心配になっちまって…」 「そんなに信用ねぇか、俺は。」 「間に合ってよかったっスよ、ははっ」 「はぁ…、残念だったが仕方ねぇ。お前さんは制服に着替えて来い。授業が始まるだろ」 「ん?あぁ、そっスね」 『や、山本くん、ごめんね?朝練、邪魔しちゃった、みたいで…っ』 「いいっていいって!んじゃ、オレは着替えて来るな!」 『うん!』 「……と、そうだ」 『どうしたの?』 「せっかくだし、教室まで一緒に行かねぇ?」 『あ…、うん!』 「んじゃ、着替えたらまた保健室に来るな!」 また後で!と山本くんは手を振って保健室を出て行った。 静かになった保健室。 椅子に座りシャマル先生が用意してくれたコーヒーを飲む。 「さっきは寝ぼけていたとはいえ悪かったな、羽依ちゃん。オジさんくらいの歳になると寂しくなってな、つい」 『あ…、い、いえ…大丈夫、です…』 「それで今朝はどうしたんだ?」 『えっと…、絆創膏、ください』 「もしかして昨日の傷か?」 『は、い…』 「どれどれ……おっ、まだ少し血が出てるな。一応、消毒しとくか。」 消毒液が指先に触れると一瞬だけ痛みが増した。 シャマル先生はガーゼを宛がいテープで固定し、昨日と同様、手際よく手当てをしてくれる。 山本くんが来るまで居させてもらう事になったけど、どちらかといえば保健室は少し苦手。 消毒液の臭いが充満している保健室は不安になってしまい、少しだけ目眩がする。 『……』 「あ…、そうそう、羽依ちゃん」 『はい?』 「昨日も言ったがこの傷は本当に紙で切ったのか?」 『え……?』 「オジさんは羽依ちゃんの事は何でも分かるんだぜ?」 『……』 シャマル先生は冗談っぽくウインクする。 傷口を見て紙で切ったんじゃないって分かってるみたい。 これ以上は誤魔化せなくて私は話すことにした。 『カッターで切っちゃって…』 「やっぱりな。で、それはどうしてだ?不注意にしてもこんな傷にはならないだろ」 『教科書にカッターの刃が挟んで、あって』 「教科書に?」 『はい…』 「嫌がらせか?」 『それは、分からないんですけど…、大丈夫です…』 「大丈夫だって言ってもなぁ…。他は何もないのか?」 『その後は何も…。だから、平気です……、多分…』 「まぁ、大方、羽依ちゃんの可愛さを羨ましがってんだろうな。」 『……?』 「男にとって女の子は皆、お姫さんなのに、気付かないもんだ。」 『お姫、さま…?』 そう言うとシャマル先生はもう一度、ウィンクをして私を見つめた。 そして椅子を近づけて、ぎゅうっと手を握る。 『……?……?』 「ん〜、分かんないところがまたいいねぇ…!」 『シャマル、先生…?』 「やっぱり羽依ちゃんはこの俺が手取り足取りゆっくりと少女から大人の女にー…」 「シャマル先生」 「うぉっ!?」 『あ、山本くん…』 「いいタイミングで来るな、まったく。空気を読めよ、青少年」 「はははっ、真白、教室に行こうぜ!」 『う、うん!』 「スルーか、たくっ」 『あ……シャマル先生、行く、ね。コーヒーごちそうさまでした』 「あぁ、またいつでも来てくれよ。怪我しなくとも羽依ちゃんなら大歓迎だ」 投げキッスを贈るシャマル先生に山本くんは苦笑い。 失礼しました、と声をかけ、私と山本くんは保健室を出て教室へ向かった。 『山本くん、野球、好きなんだね』 「んっ?」 『さっき、朝練を見てて、すごいなって思って』 「そうか?まぁ、小せぇ頃からやってるし、オレから野球とったら何にもねーしな」 『……?』 「野球とったらオレには何にも残らねぇだろ?」 『野球が出来ても出来なくても、山本くんは山本くんだよ』 「え?」 『えっと、だから…野球を抜きにしても山本くんは山本くんだから…何にもないなんてない、よ』 「そ、そっか?」 『うん!優しくて、いつも元気で明るくて…』 一緒にいると私も元気になるよ。 そう言うと山本くんはとても驚いていたけれど、すぐに照れくさそうに笑った。 『それに、もしも本当に何にもなくなったら新しい事を見つけるチャンス、かも』 「………」 『山本くん?』 「……!」 『ぼーっとしてた。朝練、大変だった…?』 「あー…っと、だ、大丈夫だぜ!」 『本当?』 「あぁ!つか、そうだよな。」 『え……?』 「何にもないって思うなら探せばいいんだよな」 『山本くん…』 「それはそれで楽しそうだな」 『……うん!』 二人で話しているとあっという間に教室に着いた。 朝の教室はざわざわとしている。 ドア越しからでも聞こえるくらい賑やか。 皆、早いなと話しながら山本くんがガラッとドアを開ける。 「はよー!…って、ん……?」 『わ……っ』 山本くんは急に立ち止まった。 まさか立ち止まるとは思わなかった私は山本くんの背中にぶつかる。 うぅ、鼻ぶつけちゃった、よ。 『ど、どうしたの、山本くん…』 「悪い、大丈夫だったか、真白」 『う、うん、平気だよ…』 「……」 『………?』 教室は賑わっていたのに急に静かになった。 一体、どうしたのかと教室内を見回すと皆が立ち止まっている私達に視線を集中させていた。 感じたことがない異様な雰囲気。 先程の賑わいが嘘のように空間がガラリと変わった。 こんなクラスの雰囲気は初めてで、嫌な胸騒ぎで心臓がドクンドクンと脈を打つ。 「山本…、それに、真白さん……」 「はよっ、ツナ!皆してどうしたんだ?」 『何かあったの?沢田くん…、花ちゃんも…』 「真白さん、えっと…その…」 「羽依、あんた…」 「ツナ君、花…っ!わ、私は…だ、大丈夫、だから…」 「京子ちゃん!でも…!!」 『京子…?』 「羽依、ちゃん…」 「………」 『沢田、くん?京子…?』 「なぁ、ツナ、どうしたんだ?」 京子は遠慮がちに言葉を紡ぎ、視線を逸らした。 彼女の瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れている。 沢田くんは京子を守るように前に立つと、花ちゃんは溜め息を吐いて静かに場の様子を見ていた。 『……』 人がこんなに集まってるのに、静まり返ってる教室が気持ち悪い。 集中する視線に不安を覚えるけれど、私と山本くんは騒ぎの中心、京子の元へと歩いた。 「……っ」 『どう、したの?京子はなんで、泣いてるの?』 「………」 『京子……?』 私を見ない京子は黙ったまま涙を零している。 何で泣いているの? どうして私を見てくれないの? 『京子…』 何にも話してくれない京子が心配になって、彼女の肩に触れようと手を伸ばす。 けれど、その手は京子に届かない。 人込みを掻き分けてやって来た人物によって乱暴に引き離されたから。 『……!』 その人物に目を向ける間もなく教室内に響いたのは"パンッ"と言う音。 数秒、遅れて頬がジンと熱くなり痛みが広がる。 突然の出来事に混乱して、頬を叩かれたんだと理解するのに随分と時間がかかった。 「おい、瀬戸、いきなり何してんだよ!」 『…ー…っ』 「真白、大丈夫か!?」 「真白!あんた、最低…!!」 『瀬戸、さん…!?』 「瀬戸!止めろ!」 山本くんは掴みかかってくる勢いの瀬戸さんを押さえて私と距離を取ってくれた。 それでもなお、感情が治まらない彼女は私を怒鳴った。 「笹川さんに何してんのよ…!!」 『な、何、って……?』 「笹川が泣いてんのに関係あるのか?」 「山本君!これ、見てよ!笹川さんの机っ!!」 「……?」 『つ、机…?』 私と山本くんは京子の机に視線を移す。 机の上には花瓶が置かれていた。 その花瓶には綺麗な黄色の花が生けられている。 それだけではなく机には無数の落書きがあった。 赤や黒のマジックで「死ね」「ブス」「嫌い」など悪意のある言葉ばかり。 机の周りには京子のノートや教科書が刃物でズタズタに切り裂かれて捨てられてあった。 『これ…、誰、が…?』 「しらばっくれる訳っ!?」 『え……っ!?』 「あんたがやったんでしょ!机に菊の花なんて趣味、悪すぎるわよ!」 『や、やってないよ!こんなこと絶対にしない…っ』 「どうだか!ね、笹川さん?」 「…ー…っ!!」 『京子…?』 「京子、瀬戸の話なんて聞かないでいいわよ。羽依、私らだけで話しましょ」 「黒川さんは黙っててくれない?」 「はぁ?それはこっちのセリフよ。瀬戸、あんた、いい加減に……」 「笹川さん、可愛いもの。いつも一緒にいる真白が妬むのも分かるわ」 『妬、む…?』 瀬戸さんは花ちゃんの言葉を遮って、皆に聞こえるように話し、注目させる。 この異様な雰囲気に誰もが言葉を詰まらせた。 「あんたが朝早く学校に来てたのを見た人がいるのよ」 『え……』 「いつも学校に来るの遅いのにね?今朝は何で一番に来たのかしら…?」 『それ、は……っ』 「誰にも見つからずに笹川さんに嫌がらせするため…、そうでしょ?」 瀬戸さんの大声が響くと同時に教室内がざわめいた。 皆の視線は私に痛いほど集中する。 説明しようにも怖気づいてしまって言葉が出てこない。 ぐっと息を飲み込むと山本くんが私の肩に手を置いて、庇うように前に出てくれた。 「………穏やかじゃねーな。」 『や、山本、くん…』 「真白はオレと一緒にいたぜ。今朝、早く来たのは保健室に用があったからだ」 「一緒にって言っても山本君、朝練だったでしょ?ずっと一緒にいたの?」 「オレは学校に来た真白に一番に会った。その後、真白は真っ直ぐ保健室に行ったぜ」 「証拠にならないわよ!朝練の前に来て嫌がらせしてから、わざと山本君に会ったんじゃない?」 「そういうなら、それこそ真白がやった証拠なんてないだろ」 『……っ』 「たまたま朝、早く来ただけで何で真白がやった事になるんだ」 それだけで疑うなんておかしいだろ。 山本くんがそう続けると教室内はざわざわと騒がしくなる。 "真白がやったんだ" "怪しいな" "まぁ、やったとは言い切れないな" クラスメイトは三者三様のようで、いつまで経っても落ち着かない。 沢田くんは心配そうに泣き続ける京子を見ていた。 『……』 人の悪い噂はあっという間に伝わる。 嘘でも本当でも、どんどんどんどん、より悪い話になって広がっていく。 『………』 私も皆も気付かない。 クラスメイトに紛れてあの子はくすくすと微笑んでることに。 「………♪」 一方的な、戦いの幕開け。 next 加筆修正 2012/03/09 |