綺麗な世界で生きたい。

綺麗な大空を羽ばたきたいと思ったの。



きっとそれは、とても祈りに近い、願い。








過去



黒谷さんは私を痛いくらいに睨んで視線を逸らさない。

はぁはぁと息を切らして叫んだ彼女を見て、私は胸が痛くなった。



『きれ、い…?私が……?』

「そうよ…!!どうしてよ!なんで…!?」

『………』

「裏切られて傷つけられても、何で人を信じられるの…!?」

『私、は……』

「……っ」

『私は、綺麗なんかじゃない、よ』

「あなたは汚れない!何をしても!」

『………』

「どんな噂が流れたって、必ず信じてくれる人が傍にいるじゃない!!」

『黒谷、さん…』

「…ー…っもう、終わりにするから教えてあげる。」

『え……?』

「羽依、ツナも……下がってろ」



くすくすと笑い黒谷さんは持っていたカッターで自分の左腕のシャツを引き裂いた。

露になった左腕。
彼女の左腕は手首から二の腕にかけて変色していて、細かい切り傷のような痕が痛々しく残っていた。

そして、手首には大きく目立つ一本の後がある。



「この傷、何の痕か分かる…?」

『な、に、それ……』

「リストカットの痕よ。」

『リスト、カット…』



それがあるから、体育館の夜、袖が濡れても捲くろうともしなかったんだ。

痛々しい傷跡を見たら、何とも言えない気持ちになった。



「特にここ、大きな傷あるでしょ…?」

『その、傷は……?』

「一年前、死のうと思って切ったのよ」

『死のうと、思、った…?』

「えぇ。だけど死ねなかった。」

『………』

「私ね、前の学校で苛められていたの」

『いじ、め……』

「何で苛めが始まったのか分からなかった。気がついたら私は皆に囲まれてた。真白みたいにね。」

『………』

「暴力、陰口、シカトされる毎日…。シカトするくせに私が何かする度、笑うのよ」

『黒谷さん…』

「先生にも親にも言えなかった。誰にも言えなかった。」

『………』

「大人達はね、きっと気付いてたんだろうけど、関わって来なかった」

『……』

「辛くて苦しくて、何も出来ない自分が嫌で、何にも信じられなくなってた」

『………』

「何でここにいるんだろう、生きているんだろうって…、毎日、死にたい死にたいって思ってて…」

『……』

「ある日ね、カッターを手首にスッと押し当てちゃった。」

『……ッ!』

「毎日毎日、何で私がこんな目にって思ってた。逃げ場なんてなかった。」

『そん、な……』

「家に篭っても奴らは友達顔してやって来て、家にも学校にも居場所がなかった。それでね、どうしようもなくて……」

『………』

「もういいやって思って思いっきり切ったのよ。」



手首の傷を指先でなぞって遠くを見つめる瞳は、ここを見ていない。

彼女は遠い昔の自分を見ているようだった。

きっと傷を見る度、過去を思い出しているんだ。



「不思議なの。切ったのに痛くないんだ。スッと綺麗に線が入ってじわじわと血が滲むの。」

『……ッ』

「死にたいって思ってるのにドクドク流れる自分の血を見ると、あぁ、やっぱり生きてるだって安心した。」

『………』

「変よね。死にたいって思っているのに生きてて安心するなんて…」

『黒谷、さん…』



彼女はそう言って楽しそうに笑う。

普通の教室なのに、一瞬で狂気に満ちた空間になり、夕日の色が不気味なほど赤く見えた。



「手首を切った後、目が覚めたら病院にいた」

『……』

「親は私を並盛中へ転校させた。でも、ここでも同じ。表面だけの友達と過ごす日々。」

『………』

「ここでなら、何か変われると思っていた」

『……』

「だけど、全然、ダメだった。」

『黒谷、さん……』

「沙羅達との友達ごっこにうんざりしてた時、あなたが並盛中へ転校して来たの」

『私、が……』

「数日もしないうちにクラスに溶け込んで笑ってるあなたが憎くてたまらなくなった。」

『……!?』

「私が手に入れられないものを、真白はすんなり手に入れた。」



グッと胸元を掴まれる。

怒りや憎しみで醜く歪んでいる顔で私を痛いくらいに睨む。



『瀬戸さん達と、黒谷さんは、友達でしょう…?』

「友達なんて表面だけよ!一人が嫌だから群れてるだけ!」

『違う……っ』

「まだ分からないの?友達なんて仲がいい振りして利用して、心の中では人を見下してる!嘲笑ってるのよ…!!」

『そんな事ない!!』

「あるわよ…!!どうせ、皆、自分が一番、大事なんだから…!!」



興奮して叫んだ彼女は私をダンッと壁に押し付ける。

それでもまだ私を離さない黒谷さんの肩を掴み、山本くんは止めようと割って入る。



「やめろ、黒谷!」

『だ、大丈夫だよ!山本くん…っ!』

「沙羅と智華、山本武と獄寺隼人の話を持ちかけたらあなたの悪口ばっかりだったわよ。よく知りもしないのにねぇ」

「………」

「あぁ、違うわね。真白をよく知ってる沢田も色んなことを言ってたわね」

「……っ!」

「誰だって心の中では、そういうもんなのよ」

『………』

「だからね、沙羅達を使ってあなたを陥れようとしたの。」

『黒谷、さん……』

「どう堕ちていくのか楽しみだったのに…」



床に落とした視線は絶望しているみたい。

寂しそうな瞳は私に訴えかけているように感じた。



『…ー…たいんでしょう?』

「……は?」

『本当、は……』

「……?何、言ってんのよ…」

『本当はもっと皆と仲良くなりたいんでしょうっ!?信じたいんでしょうっ!?』

「…ー…ッ!?」

『生きたいんでしょう…っ!?』



しっかりと黒谷さんを見て問いかけると、ドンと突き飛ばされる。

机にぶつかる。
そう思ったけれど山本くんが受け止めてくれた。



「ふざけた事を言わないで…!!」

『瀬戸さん達と黒谷さんは友達だよ!』

「……っ!」

『黒谷さんだったから、瀬戸さんと及川さんは信じたんだよ……っ』

「…ー…っ」

『大切な友達だから…!!』

「…ー…っ黙れ!」

『……!!』



感情的になった黒谷さんは叫んで私に掴みかかる。

そして、カッターの刃をカチカチと出して私に振り落とした。



「……ッ!!」

『あ…ー…!?』

「危ない!羽依……!!」

『……っ!』



カッターの刃が私に刺さる。

そう思っていたけれど、刃が振り下がる直前、目の前に出来た影によって私に刺さることはなかった。



『沢田、くん……?』

「沢田…!?」

「ツナ……っ」



とっさに庇ってくれたのは、沢田くん。

刃を手でギュッと握り、手から流れ出る血は彼のシャツを赤く染めていく。



「放しなさいよ…ッ!!」

「嫌、だ…っ」

「どけって言ってんのよっ!!」

「…ー…嫌だッ!!もう間違えたくないんだ…!!」

『沢田、くん…』

「……っ」

「何、綺麗ごと言ってるの…?真白を傷つけてた張本人が!」

「そう、だよ。オレ、たくさんたくさん傷つけた…!!」

「………」

「自分の感情ばかりで話なんて聞く余裕なんてなかった!聞かなかった…、聞こうなんて思ってもみなかった!!」

「で、何なの?今更、謝って仲直りでもする訳?笑っちゃうわ!」

「…ー…謝らないよ、オレ」

「ツナ……?」

「今更、オレなんかに真白さんに謝る資格なんてない…!!」

「………!?」



ビリビリと響く沢田くんの意思の強い声は教室を揺らした。

その声に気圧されたのか、黒谷さんはビクッとしてカッターから手を放す。

沢田くんも手を放すとカッターはカタンと床へと落ちた。



「謝ったって、許されることじゃない…っ」

『………』

「オレのやった事は"ごめん"のたった三文字なんかで済まされる事じゃないんだ…!!」

『沢田くん…』

「ツナ……」

「えぇ、そうね!今更、悔やんだって変わらない真実よ!何もかもね!」

「そうだよ…、変わらない…ッ」

「ふふ……」

「オレは真白さんを傷つけた……っ」



震える沢田くんの背中は何よりも大きく、優しく見えた。

悔やんだって事実は変わらない。

その言葉は私の胸にも突き刺さる。

謝罪の言葉じゃ済まされない、既に起きたことは変わらない。



だけど



『……変わってはいける、よ』

「真白……!?」

『過去はどうやったって変わらない。変えられない。』

「………っ」

『だけど、傍に居てくれる人がいるから…、信じてくれる人がいるから変わっていけるよ…!!』

「……!」

『過去は変えられない。だけど、未来は自分次第で変えられる…!!』

「……ッ馬鹿じゃないの!だから、そうやって傷つくのよ!不幸になるのよ…!!」

『バカでいい…!』

「………っ!?」

『傷つくことが、不幸だなんて思わない。』

「……ッ」

『傷つくのは、嫌だよ…。だけど、傷つく前に逃げ出すのは、もういや…!!』

「な……っ」

『何もないんじゃ、生きてるだなんて言えない…っ!』

「……!」

『精一杯、生きたいよ!!全部、ちゃんと受け止めて…!!』

「…ー…ッ」



黒谷さんはギリギリと歯を食いしばっていた。

しっかりと見つめると、黒谷さんは居心地悪そうに視線を落とし溜め息を吐く。

そして、すぐに力が抜けたように床にしゃがみ込む。

床を染めている血に触れて、赤く染まった自分の手を見ていた。



「無理よ…」

『………』

「変わっていける……?無理よ…、私は、変われない。」

『変われる、よ』

「変われない…!!私には何もないもの…!誰も、いないもの……っ!!」

『いるよ』

「え………」

『私が、いる。黒谷さんの傍に』

「…ー…っ」

『一人じゃないよ』

「…ー…っだとしても!この手首の傷はどうやったって消えない!私を縛る…!!」

『………』

「苛められたって事実が私を縛るの…!生きてたって惨めなだけなのよ…!!」

『……』

「だったら、死んでやる…!!」

『だめ……っ!!』

「…ー…ッ!!」

『……!!』



黒谷さんは床に転がっていたカッターを拾う。

そして、躊躇いなく自分に目掛けて振り下ろした。



『……っ!!』

「あ…ー…っ」



ねぇ、寂しいんだよね?

哀しいんだよね?

暗くて周りが見えなくて、どこが出口だか分からない。

辛くて、苦しくて暗闇の中、立ち止まって俯いちゃう。



『……』



光が見えなくて、もっと怖くなる。

自分が嫌になる。



『………』



ねぇ、俯かないで周りを見て?

そうしたら、明るい光が見えるよ

そして、ゆっくりでいいから一歩を踏み出そう?

小さな一歩でもいいの。

大切なのは歩幅じゃない。



踏み出した、その一歩が大切なの。



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加筆修正
2012/03/13


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