初めて君を見たのは研究室の廊下で擦れ違った時だった。

一方的な出会い。
彼女は実験のため眠らされたのか、手術室へと運ばれていた。

僕と年もたいして変わらないであろう幼い少女。
血の気のない雪のように白い肌は作られた人形のように見えた。



「……」



その時は彼女を何とも思わなかった。

今、運ばれて行った少女は明日明後日も存在しているか分からない。

ここでは生きている確率の方が低い。

だから、ただ当たり前にこう思った。


また犠牲が一人、と。



『……』

「………」



一週間、二週間と時が過ぎれば子供の数は半分以上減り、あの少女もあれ以来、見なかった。

当然だ。
ここにいて「また明日」と言う言葉は恐怖と繰り返される痛みと絶望でしかないのだから。

だから、あの少女も意識のない状態で自分で気付かないまま、死を迎えた方がまだ幸せだと呼べるだろう。



「……」



子供の声が泣き響く研究室。
悲鳴にも近い、その声はすぐに止む。

見ていられずに視線を反らしていたら、その先に研究員とエストラーネオファミリーのボスが何か話していた。



「……!」



その傍らに彼女がいた。
ボスに命令されると、まるで僕らを見張るように扉に立たされていた。

見た所、何も変わっていない。



「……」



何故、今も尚、生きて僕らを見張る側にいるのか興味が沸いた。


***


ある時、僕を含む研究所の子供たちが一室に集められた。

今度は何をするつもりなのか。
僕以外の子供は皆、不安を露にしている。

怯える者、瞳に光がない者、身体が傷だらけの者。
もう全て見飽きた。

僕も冷たい人間になったもので今では何も思わない。



「こいつらを見張っていろ」

『………』



扉を開けて入って来たのはあの時の少女。

幸い研究員もいない。
そこまで、この少女が裏切らないと確証があるのか。

僕は一歩二歩と近づいて話し掛けた。



「…こんにちは。」

『……』

「無視、ですか。君も僕達と同じでしょう?」

『…………』

「僕の名は六道骸」



名前なんて持ち合わせていなかったけれど、六道全てを巡った躯、六道骸と名乗った。
とっさに出た名前だけれど名乗るには丁度いい。

その後、僕が何を話しても、問いかけても彼女はただ立っているだけだった。



『………』

「君の名前を聞いてもいいですか?」

『……』

「……話せないという訳ではないでしょう。」



顔を覗き込むと、瞳は僕を映しているだけ。

冷たく見える傷一つない身体、まるで硝子のような瞳。

本当に人形のよう。

だけど彼女は命のない人形ではなく生きている。

そう思ったら、この時は少しだけ、本当に少しだけ悲しくなった。



「…またいずれお話しましょう。」

『……』



またいずれは、すぐにチャンスがやってきた。
まだ慣れない瞳の能力を使い幻影を見せれば一時の自由。

僕はつかの間の限られた自由を手に入れて研究室に入り、無造作に置いてあるカルテに目を通す。

顔写真と少しの情報が記載されてあるカルテ。
実験対象には名前がなく全ては番号で振り分けられていた。

まぁ、当たり前だろう。
いちいち名前をつけた所で長く存在する「物」はここにはいない。



「あの少女のものは…、これ…ですね…」



彼女の番号はNo,000、type-Aと記載されていた。
No,000という事は一番、最初の実験台、という事だろうか。

なのに何故、まだ息がある?
実験を施されたのも最近のはずだ。

不思議に思いつつ、カルテを捲ると彼女の能力について記されたページが目に入った。



「背中に、翼の移植……?」



他には感情の抑制、今までの全ての記憶の消去、と書かれてあった。



「どんな命令も聞く人形、という訳ですか…」



これでは完全に兵器扱いだ。

だけど、全てが繋がった。

何も感じていないような虚ろな瞳をしている理由。

必要以上に話さないのは本当に分からないということ。



「運ばれていた日に翼の移植をされていたんですね。チャンネルの原理を使って、ですか。」



チーターチャンネル、ライオンチャンネル。
確か他の誰かも同じ事を施されていたはず。

少女に確実に翼を移植するために安全性を他の者で試していたのか。



「……」



どこまでも腐っている。

だが、そこまで少女が重宝される理由が分からない。

No,000だと言うのにどうして今の今までどうして実験されずに生きてこられたのか。

その答えは、やはりカルテにあった。



「エストラーネオファミリー、ボスの娘…」



思考が一瞬、停止した。

ついでと言わんばかりに殴り書きされたような文字を見た刹那、心臓がドクンドクンと大きく鼓動し、喉の奥が痛くなった。



「……っ」



少女はエストラーネオのボスの妻が産んだ子を取り上げて生まれながらに兵器として育てられた。

何のための生まれたと言うのか。
人はそれをはっきりと分からないだろう。

けれど、少女の場合ははっきりしていた。
少女は兵器として戦うために誕生した。



「ファミリーの状勢を立て直すためだけに、自らの娘を兵器、に……?」



どうしてこんな事が出来るのか。
その時、ただただ力が欲しいと強く願った。

世界を手に出来るような、そんな力が欲しい。

この醜い俗界を変えられる力を手に入れたい。



「……」



感情を抑えて僕は彼女の部屋へと向かう。
鍵のついてない部屋はまったくと言っていいほど生活感がない。

開かない窓から入る月明かりが僕を照らす。

数分もしないうちに彼女は戻って来た。

昼間、見た時とは違う、翼が背中にある状態。

瞳は鋭く空のような鮮やかな蒼に光っていて、髪の色もどことなく色素が薄い。



「…こんばんは。」

『………』



話しかけても、また黙って僕を見ているだけ。

近づけば彼女の背中の翼は赤く染まっているのが確認できた。



「翼が赤いですね…、これは血ですか…?」

『…………』

「気持ち悪いでしょう?」

『……』

「洗ってあげますよ、こちらへ来て下さい」

『………』



か細い手を引いて浴室へと向かう。

初めて触れた手はとても冷たい。

彼女は捕まれた手をぴくりと反応させたとか思うと、じっと手を見ていた。



「お話しましょうか」

『……、……?』

「言葉、分かりますか?」

『……、分か、る…』

「……では、少し話しましょう」

『……?』

「どうしたのですか?」

『何、を……話せば…いい、の?』

「……」



思っても見なかった言葉が部屋に響いた。

あぁ、この子は本当に何も分からないのか。

だけど、初めて声を聞けた。

何故かそれが無性に嬉しく思った。

それと同時に血で染まっている彼女が痛々しく思った。



「……」



その後、色んな話をした。
一方的に僕が話すことに受け答えするだけだったから、傍から見れば会話になっていないのかもしれない。

けれど、少しだけ少女のことが分かった。

彼女は殺しという行為を分かっていない。

翼を持つ以前の記憶は何にもない。

ボスと呼ばれる者が自分の父親とも認識していない。母親も分からない。



「君は何故、人を殺めるんです?こんなにも美しい翼を血で赤く染めて……」

『ひ、と……殺、める…?ち……?』

「……分かりませんか」

『……?』

「哀しい子、ですね。」

『かな、し…い……こ…?』



気がつけば僕らしくない同情の言葉を呟いていた。

研究所で同情をかけられるなど自分がより惨めと確信するだけ。

だけど、その言葉でさえ分からない彼女にはえぐられるように胸が酷く痛んだ。



「……と、そろそろ行かなくては、見つかってしまう。」

『………?』

「また話しましょう、…では。」

『……』



それからは隙を見つけては少女の元へと向かった。

まずは彼女の洗脳をとかなくては始まらない。
酷だろうが何だろうが全てを教えなくては。

話していく中で少しずつ理解させていくと案の定、君は感情というものを露にした。

恐怖、哀しみ。
いい感情ではないけれど、それは大きな一歩。

その何も映さなかった朧な瞳からはぽろぽろと大粒の涙が零れる。

涙さえ何と問う彼女はとても悲痛で、だけど、感情のある表情は何よりも美しく思えた。



「……」



君の望む言葉はなんだろうか。

震える小さな君を抱き締めて懸命に言葉を探す。

もう、いいんです。大丈夫です。
そんなあやふやな言葉じゃ君に届かない。



「君は望めばいくらだって羽ばたけるでしょう?」

『……』



探して探して、考えていた言葉とはまったく違う。

気がつけば口にした言葉に君は驚いた顔をする。



『望んで、いい…の?』

「……もちろん」

『………む、くろ』

「……」



当たり前です。
誰だって何でも望んでいいんです。

それが人間なのですから。

僕は自然に口角が上がり、僕を見て君も笑う。

その日、初めて君の笑顔を見た。

ぎこちないけれど愛おしい。

懸命に望み求める君の姿は。



そう思うと自然に抱き締める手に力が入った。

守りたい、そう思った。



『む、くろ……くる、しい…』

「……!すみません、大丈夫ですか?」

『……、むくろ……』

「何ですか?」



君はじっと見つめる。

今の君の瞳にはきちんと僕が写っている。

そして、そっと小さな手の平で僕の頬に触れると、君は僕の瞳を見つめた。



「どうかしましたか…?」

『き、れい……』

「きれい……?」

『むく、ろの瞳…、きれい…』

「僕の瞳が、綺麗…?」

『う、ん…、綺麗…』

「………」

『む、くろ……?』

「……ありがとうございます。」

『むくろ…』

「クフフ、さぁ、これから、忙しくなりますよ、羽依…」

『……?』

「どうしましたか」

『羽依……?』

「あ………」

『……?』

「…ー…君の名前、です。」

『な、まえ…』

「僕は六道骸、君は羽依……」



真白羽依。
もう一度、羽依と呼ぶと微笑んで、僕に抱きついて来た。



…ー…それはとても嬉しそうな笑顔で。


***


『むくろ!……骸!』

「………ん」

『骸、骸……!』

「……?おや、羽依、どうかしましたか?」

『夕ご飯ができたよって呼びに来たのに……骸、ずっと起きなかった』

「クフフ、すみません。いつの間にか眠っていたみたいです。」

『骸、時々うなされてたよ。……怖い夢、見た?』

「大丈夫ですよ、怖い夢ではありません」

『………本当?』

「えぇ、懐かしい夢を見ました。」

『なつかしい、夢?どんな…?』

「内緒です。あぁ、お腹が空きました。行きましょう。」

『……?』



君は不思議そうに首を傾げる。

そっと口付ければ羽依は頬を赤く染めて僕を見た。



「愛してますよ、羽依」

『骸……』

「意味、分かってますよね」

『骸、いつもそれ聞く……』

「クフフ、羽依が可愛いからですよ」



そう伝えると羽依はさらに頬を赤く染め、僕の腕をぎゅっと掴む。

好きだ、愛しているだなんて僕が言葉にするとは思わなかった。

こんな瞬間が来るなんてずっと思っても見なかった。

愛おしくてたまらない。



「………」



いつだって一人で頑張ってきた羽依。

もう一人にさせない。させたくない。
何が敵に回ったとしても、僕がすぐ傍にいます。

何でも一人で背負い込まないで、頼ってください。

涙を全部、拭えないかも知れないけれど、抱き締めて傍に居ることが出来る。

迷惑なんかじゃない。

それが出来る事が嬉しいんです。



「……」



六道輪廻。六つの冥界。

その数だけ僕はこの瞳で世界を見てきた。

血生臭い歴史。醜い俗界を。

だけど、いつも見てみぬ振りをしていた。
傷つける力はあれど人を救える程の力なんて持ち合わせていなかったから。

だけど、彼女は僕の瞳を「綺麗」と言った。

それだけで救われた、気がした。



「……生きてみましょう、この俗界を」

『骸…?』

「君と共に……」



暗い暗い闇の中、君に巡り逢えた。

君がいて僕がいて、自分の存在が初めて意味を持った。

僕がいて君がいて、新しい世界になった。



それは何よりも愛おしい、世界。












それは決して綺麗なものではなかったけれど

あの時、君は確かに綺麗と言った。



end



加筆修正
2009/06/14


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