小説2 | ナノ


「あーあったねえ、そんなことも。」

真っ黒なローブに、真っ黒な髪。真っ黒な靴に、顔色だけは妙に青白く、瞳だけは赤々と輝いている、一人の魔女。森のお菓子の家に住む魔女の臨也は、カップに入った濃くて甘いミルクティーを一口飲み、苦々しげに呟きました。細い指が、皇かなカップの縁を撫で、その姿はまるで芸術品のようです。森の開けた場所で、臨也は今日も一人で静かにティータイムを楽しんでいました。
ミルクティーに、いくつめかは数えるのをやめてしまった角砂糖を一つ落としたとき、臨也から少し離れた場所にある、木苺の木の葉ががさりと揺れました。臨也は、嫌そうに顔を顰めます。どうやら今日もまた、来たようです。

「やあシズちゃん。また来たの、君」

姿を現したのは、いつの日か森で迷子になっていた兄弟の兄の、静雄でした。随分と伸びた身長はすっかり魔女の臨也を追い越し、今では頭一個分、臨也より大きくなりました。心底嫌そうに臨也は紅茶を飲み干すと、ティーテーブルの向かいに座った静雄を見やりました。そんな臨也の視線を無視して、静雄は勝手知ったるとばかりに、大きめのマグカップに、ティーポッドに残っていた紅茶をすべて注ぎました。臨也の魔法の力で、紅茶はいつまでも熱いままです。金色の小瓶に入った蜂蜜を静雄はすべて紅茶に入れると、ようやっと臨也と視線を合わせました。

「おい、あれだせあれ」
「………君、俺が何だかわかってる?」
「うるせえなあ。いいから、早く出せよ。」
「あーもう、はいはいちょっと待ってて」

はあ、と大きなため息を一つ落とすと、臨也は陶器の器の中から、ひとつのプディングを取り出しました。美しくデコレーションされたそれを、静雄へと手渡します。

「まったく、どうしてこうも、面倒くさい契約なんだろうね」

目の前でみるみるなくなっていくプディングと静雄を眺めながら、臨也は二度目の溜息をつきました。








臨也は、森に住む独りぼっちの魔女でした。
うまれたときからずうっと一人だと、臨也は考えています。臨也には、自分が魔女で、お菓子の家の主人で、ひとりぼっちだということしかわかりませんでした。けれども臨也にとってはそれで充分でした。

臨也は人間が好きでした。森に迷い込んで、常識さえ失ってしまう人間を愛しいと感じていました。魔女狩りにくる人間も、臨也が少し誘惑すれば、すぐに虜になってしまいました。それも、臨也が人間を愛する一つの理由でした。そうして、臨也が人間に愛を注いでいるうちに、いつしか、臨也の森にも、臨也のお菓子の家にも、誰も近づかないようになりました。けれども臨也は寂しくありませんでした。だって、臨也は生まれたときから一人ぼっちの魔女だからです。

そんなある日のことでした。二人の兄弟が、森に迷い込んできたのです。臨也はすぐに魔法で、二人の兄弟を迷い込ませてしまいました。頭のいい弟の落とす、小さな星の形の飴は、森の動物たちにたべさせてしまいました。臨也の思惑通り、二人は真っ暗な森の中、とうとう泣き出してしまいました。小さくほくそ笑み、臨也はお菓子の家の明かりを付けました。ふらふらとお菓子につられてやってきた兄弟に、臨也は優しく微笑み、誘惑します。力持ちの兄も、賢い弟も、まだまだ小さな男の子でした。臨也のお菓子の誘惑に、すんなり虜になってしまいました。
思い出せば、魔女の臨也が、お菓子の家に自分以外の人間を入れたのは、この二人が初めてでした。臨也は今でも思います。このとき、この兄弟を家にいれさえしなければ、と。

臨也は、二人の兄弟を食べてしまったり、殺してしまう気はありませんでした。ただ、久々に近くで見た人間のこの兄弟を、観察したかったのです。力持ちの兄と、賢い弟の、仲の良い兄弟。二人がすやすや眠っているのをみながら、臨也ははて、と首をかしげました。この森に、おばあさんなど住んでいないからです。この森は、ずっと昔から臨也の森で、魔女がすむと言われていたのはもう昔のことですが、大人でも、入ってくることはないような、暗く寒い森でした。そこに、こんな小さな兄弟を、二人だけ。

(子捨てかな)

たどり着く答えは、たった一つだけでした。大切な子供を、二人だけで森に行かせるなど、親のすることではないのです。それならば、この二人は。

(かわいそうに)

街に帰ったって、どうせ親も、家も、もう無くなっていることでしょう。臨也は、不幸なこの兄弟の今後のことを考えて、楽しく、そして、ほんの少しだけ悲しくなりました。









「かわいそうだなんておもった俺が馬鹿だったけどね。あーあ、今まで自分を恨んだことなんてなかったけれど、こればっかりは恨むよ。何やってるんだよ俺。馬鹿か俺。」
「あ?てめえ、一人でなにしゃべってやがる。」
「あーもー、うるさい。君のことだよ、もー」

はあ、と溜息をつき、臨也は新しく煎れた紅茶をカップに注ぎました。臨也の言った言葉に、静雄はほんのりと耳を赤く染めましたが、臨也は紅茶にミルクと砂糖を入れるのに夢中で、それには気が付きません。静雄は顔をしかめると、臨也の手からカップを奪い取りました。臨也が非難の声を上げるまもなく、煎れたての紅茶を飲み干してしまいました。空になったカップを見て、臨也は静雄を睨みつけましたが、静雄は臨也が悪いというように、睨み返します。

「もー信じらんない!意味わかんない!死んでよシズちゃん!」
「うるせー!こっちのが信じられねえよこの鈍感が!てめえが死ね!」
「なに鈍感って!いっとくけど俺は魔女だからね!?シズちゃんよりずっと長く生きてるし、ずっといろんなこと知ってるし、いろんなこと分かってるんだからね!?」
「てめえはなんもわかっちゃいねーだろうが!何が魔女だ!つかお前男なのに魔女とかおかしーだろうが!」
「シズちゃんだって、その怪力のくせに人間とか意味わかんないんですけど!あーもー、いいからさっさと掃除してよ!」

臨也は、乱暴に椅子から立ち上がり、静雄を睨めつけました。静雄は舌打ちをしたものの、臨也の言葉に従って、ティーセットを片付け始めます。
これが、二人の間の契約なのです。

臨也は、親に捨てられた兄弟など、いままでいくつも見てきましたが、なぜだかこの二人が、どうしても気にかかってしまったのです。どうしてこうも、このかわいそうな兄弟を気に掛けてしまうのかは、臨也自身もわかりません。(解りたくないだけかもしれないですが。)
兄弟が寝ぼけ眼でベッドを抜け出してきたとき、臨也は兄弟に言いました。

(お菓子の家のお菓子を食べたのだから、君たちには代金を支払ってもらわないといけないね。)

兄弟はとても驚き、怒り、しまいには泣き出してしまいました。けれど、この二人を町に帰してしまうのは、消えた両親と家を見せるのは、あまりに酷だと思ったのです。今がつらくても、せめてここに居れば、おなかをすかせることはないと臨也はそんな、魔女らしからぬことまで考えていました。
けれど、臨也は知りませんでした。兄弟の兄は、ただ弟思いで優しいだけではなかったのです。兄はその細い腕で、家のドアを殴り、破壊してしまったのです。臨也は驚きました。まさか、こんな子供に、こんな力があるなんて、思いもよりませんでした。
兄は弟の腕を掴み、一目散に家から、そして森から逃げ出しました。邪魔をする木々は、彼に蹴散らされ、倒れています。
臨也は急いで、物事を見通す水晶を覗き込みまいした。弟の手を引き、明るいほうへと走る兄の姿が映し出されます。そして、森を抜けたそのとき、兄弟は、ぴたりと立ち止まりました。





「おい」
「うわっ!?」

いつのまにかすぐ近くに寄っていた静雄に、臨也は驚きの声を上げました。拍子に、水晶がごろりと台座から転がります。慌ててそれを受け止め、臨也は息を吹きかけました。今まで水晶にうつされていた兄弟の過去は、ぼんやりとした霧にのみこまれ消えていきた。
静雄は掃除のためにつけていたエプロンを外しながら、臨也の向かいに座りました。

「幽が、明日、学校を卒業する。」
「あれ、もうそんな年だっけ。幽くん、おおきくなったねえ。」

水晶を拭いながら、臨也は気のない返事をかえしました。静雄が言いたいことに、きっと気付いていますが、気付かないふりをします。

「俺も、成人だ。」
「ふうん。」
「だから……」
「だから、もう俺のところには来ない?」

なんでもないような口調で臨也は言いました。流石、何十年も魔女として生きてきたので、表情はぴくりともしません。

「違う。これからは俺が働いて、幽を上の学校にいかせる。だから、」
「俺は、もういらない?」

その言葉を聞き、静雄は顔をあげ、臨也を睨みました。けれども、すぐに、その眼光は弱まりました。臨也の細くて白い指先は、水晶を割らんばかりに力が込められていたからです。





長いので区切ります。いつの話だって感じですみません


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