小説2 | ナノ


(もう、この街にはきっといない。)
疲弊した体で愛馬のシューターを引きながら、セルティは考えた。都内、いや、もしかしたら県外、日本にもいないのかもしれない。
吐けないため息をつきながら、シューターを車庫に入れ、リビングへと向かうと、同居人の岸谷新羅がソファに座っていた。ローテーブルには、顧客からのものであろうか、無地の封筒が置いてある。セルティに気がつくと、やあ、おかえり、と微笑む。

『悪い、起こしたか』
「いや、なんだか目が冴えちゃってね。」
 
PDFの画面を介して行われる会話も、長年の時を経てスムーズだ。それに加え、新羅には自らが思うところが、筒抜けとはいかないが大体のことは理解されている安心感がある。
セルティは滑らかにタイプを続けた。
 
『…何も見つからない。いったい静雄と臨也はどこに行ってしまったんだ…』
 
セルティの指から伸びた細かい影が、キーボードをすばやく叩いた。
 
『それに、あの二人が同じタイミングでいなくなるのも、わたしには理解できない。考えたくは無いが、もしも静雄が臨也を殺してしまって、それを隠そうと逃げているのだとしたら、まだ可能性はあるけど…』
 
そこでセルティは手を止め、伺う様に新羅を見た。
二人の捜索依頼を受けたとき、新羅は確信を持って、探すのなら二人一緒のところだろうとセルティに言ったのだ。
 
「……セルティ、ちょっとこっちに来て」
セルティの視線を受け、新羅はセルティを手招いた。二人分の重さにソファーが沈む。
新羅は、テーブルにおいてあった封筒を手で遊びながら、ゆっくりとした口調で言った。
 
「私は今まで君に多くの隠し事をしてきた。君だってそれは同じだろう。でも、隠し事を咎めるような君ではないと信じているから、僕はそのひとつを、君に打ち明けるよ。」

新羅の言い様に、セルティは黙って言葉の続きを促した。黒い影がゆっくりゆっくり波打っている。窓を、今にも凍えそうな風が叩いた。
 
「静雄君と臨也が二人でいなくなったのは、決してこれが初めてではないんだ。」


  

****



逃げようと言い出したのは静雄からだった。
なんのこともないように、例えば今晩のおかずのメニューを言うように、近いうちに池袋を出ようと。
驚いて顔を見れば、当然のような顔で、二人でどっか行くんだろ、と言った。
 
けれど執着なら、己のほうが、重い。
臨也は聡い。思考を深く深く潜ることなど容易い。
それでも静雄が何を考えて何をしたいか分からなかった。
ただ漠然とした、そうであってほしいという希望と、そうであるかもしれないという自惚れに近い心緒があった。
高校のとき、静雄の気持ちが手に取るようにわかると、自負していた己は、どうしてそうも自信があったのだろう。
絶対に、互いの気持ちが同一であると思い込んでいた。
静雄の気持ちなどこれっぽちもわかってはいないのに。
もう何年も、胸の焦げるような思いを抱いてきた。
出会ってからずっと、臨也は静雄しか見なかったし、静雄以外望まなかった。

「なに考えてる」
「…何も」
 
不意に頭上から聞こえた声に、臨也ははっとした。
手にペットボトルを二つ持った静雄が、どさりと椅子に座る。差し出された飲料水はひやりと冷たい。
臨也は静雄を待っている間買ったコンビニのおにぎりをとりだし、ひとつ静雄に渡すと、静雄は少し目を細めてそれを受けとった。
電車がゆっくりゆっくり揺れている。
窓の外は海底のように暗い。ちらちら見える外の光だけがやけに浮き出して見えた。
 
「コンビニのおにぎりってさ」
「うん」
「なんかうまいよな。」
「…そうだね。おにぎりだけじゃなく、全部うまいでしょ、シズちゃん。」
 
おにぎりを数口で頬張ってしまった静雄は、上着のポケットに入ったタバコを探った。
車内に灰皿は無い。空気は健康的に澄んでいる。無意識の行動だったのだろう。
静雄は手をゆっくりと下ろしてペットボトルの蓋を開けた。蓋が壊れることは無い。ぱきぱきとプラスチックが鳴るだけだ。

降りよう。
シズちゃんだけでも、電車から降ろそう。まだ、停車駅があるはずだから。



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