(もう、この街にはきっといない。) 疲弊した体で愛馬のシューターを引きながら、セルティは考えた。都内、いや、もしかしたら県外、日本にもいないのかもしれない。 吐けないため息をつきながら、シューターを車庫に入れ、リビングへと向かうと、同居人の岸谷新羅がソファに座っていた。ローテーブルには、顧客からのものであろうか、無地の封筒が置いてある。セルティに気がつくと、やあ、おかえり、と微笑む。 『悪い、起こしたか』 「いや、なんだか目が冴えちゃってね。」 PDFの画面を介して行われる会話も、長年の時を経てスムーズだ。それに加え、新羅には自らが思うところが、筒抜けとはいかないが大体のことは理解されている安心感がある。 セルティは滑らかにタイプを続けた。 『…何も見つからない。いったい静雄と臨也はどこに行ってしまったんだ…』 セルティの指から伸びた細かい影が、キーボードをすばやく叩いた。 『それに、あの二人が同じタイミングでいなくなるのも、わたしには理解できない。考えたくは無いが、もしも静雄が臨也を殺してしまって、それを隠そうと逃げているのだとしたら、まだ可能性はあるけど…』 そこでセルティは手を止め、伺う様に新羅を見た。 二人の捜索依頼を受けたとき、新羅は確信を持って、探すのなら二人一緒のところだろうとセルティに言ったのだ。 「……セルティ、ちょっとこっちに来て」 セルティの視線を受け、新羅はセルティを手招いた。二人分の重さにソファーが沈む。 新羅は、テーブルにおいてあった封筒を手で遊びながら、ゆっくりとした口調で言った。 「私は今まで君に多くの隠し事をしてきた。君だってそれは同じだろう。でも、隠し事を咎めるような君ではないと信じているから、僕はそのひとつを、君に打ち明けるよ。」 新羅の言い様に、セルティは黙って言葉の続きを促した。黒い影がゆっくりゆっくり波打っている。窓を、今にも凍えそうな風が叩いた。 「静雄君と臨也が二人でいなくなったのは、決してこれが初めてではないんだ。」 **** 逃げようと言い出したのは静雄からだった。 なんのこともないように、例えば今晩のおかずのメニューを言うように、近いうちに池袋を出ようと。 驚いて顔を見れば、当然のような顔で、二人でどっか行くんだろ、と言った。 けれど執着なら、己のほうが、重い。 臨也は聡い。思考を深く深く潜ることなど容易い。 それでも静雄が何を考えて何をしたいか分からなかった。 ただ漠然とした、そうであってほしいという希望と、そうであるかもしれないという自惚れに近い心緒があった。 高校のとき、静雄の気持ちが手に取るようにわかると、自負していた己は、どうしてそうも自信があったのだろう。 絶対に、互いの気持ちが同一であると思い込んでいた。 静雄の気持ちなどこれっぽちもわかってはいないのに。 もう何年も、胸の焦げるような思いを抱いてきた。 出会ってからずっと、臨也は静雄しか見なかったし、静雄以外望まなかった。 「なに考えてる」 「…何も」 不意に頭上から聞こえた声に、臨也ははっとした。 手にペットボトルを二つ持った静雄が、どさりと椅子に座る。差し出された飲料水はひやりと冷たい。 臨也は静雄を待っている間買ったコンビニのおにぎりをとりだし、ひとつ静雄に渡すと、静雄は少し目を細めてそれを受けとった。 電車がゆっくりゆっくり揺れている。 窓の外は海底のように暗い。ちらちら見える外の光だけがやけに浮き出して見えた。 「コンビニのおにぎりってさ」 「うん」 「なんかうまいよな。」 「…そうだね。おにぎりだけじゃなく、全部うまいでしょ、シズちゃん。」 おにぎりを数口で頬張ってしまった静雄は、上着のポケットに入ったタバコを探った。 車内に灰皿は無い。空気は健康的に澄んでいる。無意識の行動だったのだろう。 静雄は手をゆっくりと下ろしてペットボトルの蓋を開けた。蓋が壊れることは無い。ぱきぱきとプラスチックが鳴るだけだ。 降りよう。 シズちゃんだけでも、電車から降ろそう。まだ、停車駅があるはずだから。 |