いじわる獣を飼いならす

ジュダルとパティシエールの話




「よいしょ、っと」

彩り豊かなケーキたちをトレーに乗せ、ショーケースまで運び、せっせと並べながら、わたしはふと昔の事を思い出していた。
西洋でパティシエとしての腕を磨いて数年、ようやく自分の店を出すことができる、どうせなら大きな街でやってみたい、と意気込んで煌帝国へと足を踏み入れてーー…



「おーい、名前〜!」

丁度ショーケースへケーキを並べ終わった瞬間、店の入り口に設置しているベルの音と、それから聴き慣れた声が店内に入り込んできた。艶のいい黒髪でいたずらっ子のような笑みを浮かべた、うちのお得意様のジュダルだった。


「ジュダル、いらっしゃい。また来てくれたのね」
「今日は桃のけーきを出すって言ってただろ?楽しみでつい早く来ちまった!」

開店までまだ時間はあったが、弾んだ顔でわたしを見るジュダルに、まぁいっか、とcloseの看板はそのままにジュダルを奥のテラスへと招き入れた。


「はい、召し上がれ」

ジュダルの前に、お目当ての桃のタルトと紅茶を置く。お日さまに照らされ、つやつやとした桃に負けず、爛々とした目でそれを見つめるジュダルは、待ち切れないと言わんばかりにそれを頬張り始めた。


「うっめ〜、やっぱこれが一番美味いな!」
「ふふ、お褒めに預かり光栄です」

ぺろり、と容易く食べ切ってしまいそうな勢いのジュダルに思わず笑みがこぼれる。ジュダルの向かい側の椅子に腰掛けながら、そういえば最初に出したのも桃のタルトだったな、と初めてジュダルと出会ったときのことを思い出す。あのときもこんな風に美味しそうに食べてくれてたっけーー思いを巡らせていたが、ベルの音で我にかえる。


「名前?いないんですの?」
「紅玉ちゃん、いらっしゃい!ごめんね、掛け看板返したままなの忘れちゃってた」
「いいのよぉ、気にしないで」

ふわり、と微笑む紅玉につられてわたしも口角が上がる。扉に掛けてある看板をopenにひっくり返してから店内へと戻ると、ケーキを完食したジュダルが紅玉に気付いて、むっとしたような声を上げた。


「何でババアがここにいるんだよ?」
「もちろん、名前のけーきを食べに来たんですわぁ!特に今日は、桃のけーきがあるって名前に教えてもらっていたのぉ」

本当に楽しみにしていたのだろう、うっとりとショーケースを眺める紅玉は特に気にしていない、というか気付いていないようだったが、わたしはジュダルの方へ歩みを進める。


「こら、ジュダル!女の子にババアなんて言っちゃダメでしょ?」

めっ!、軽くジュダルの頬を摘みながら、顔を近付けて、しっかりと伝わるように目をじっと見つめる。少し目を見開いて硬直してから、勢いよく手が振り払われる。強く摘んだつもりはなかったが、そっぽを向くジュダルの顔はほんのり赤く染まっていた。


「ババアにババアっていって、何が悪いんだよ」
「あ、そんなこという悪い子にはもうケーキは食べさせてあげないよ?」
「はぁ?!ぜってー嫌だ!」
「なら、紅玉ちゃんにごめんなさい、は?」

ぐっ、押し黙ってからバツが悪そうに、ぼそりと呟いた謝罪は紅玉の耳にも届いたようだ。何処と無く嬉しそうに笑ってから思い付いたように、今日は持って帰って食べるわぁ、といった。
普段はジュダルと同じようにここで食べていくことが多いのに、不思議そうにしているのが顔に出ていたのか、用事を思い出したのぉ、という紅玉の言葉に納得する。
桃のタルトと他のケーキをいくつか包んで紅玉に手渡す。弾んだベルの音は鳴り終える間も無く、わたしを呼ぶ声で掻き消された。


「名前!おかわり〜!」
「もう、分かったからちょっと待っててっ」

扉に掛けてある看板が、何故かcloseになっていることに気付いたのは、他愛ない話をしながらケーキを思う存分堪能して、満足気に帰っていくジュダルを見送った後だった。






2019.0426