72.5 | ナノ

「怪我…どうしたの…?」

彼女は俺の頬を見て、遠慮がちに問う。この怪我も、彼女がこんなにも元気がないのも、昨日仁王に告げられた事実が原因だ。


case.72.5


その日珍しく仁王が部活に顔を出した。
夏休みが明けてから数えるほどしか部活に来ていない仁王を、赤也を始めとする後輩たち、そして俺たちは一体どうしたのだろうかと心配していた。その仁王が久しぶりに部室にやって来て、俺たちと一緒に後輩の指導にまで参加していた。どういう風吹き回しだろうかと思いつつも、ようやく目が覚めたのか、と少しばかりほっとしていた。


「のう、幸村」

部活が終わり、シャワールームから戻ると部室の中には仁王しかいなかった。俺に気付くと仁王はこちらを一瞥し、そしてゆっくりと立ち上がって近付く。いつもとはどこか違う、強い口調。そして、鋭い視線。
少しばかり戸惑いつつも「何?」と返せば思いもよらなかった事実を告げられた。

「…告白した」
「え?」
「お前さんの彼女に、好きじゃ、って。そう言った」
「………は?」

意味が分からない。仁王が、告白した?あいつに?
突然の激白にフリーズする俺を余所に、仁王は更に淡々と続ける。その瞳はどこか闘志を秘めているようで。俺は仁王から紡ぎ出される言葉に返答するのが精一杯なほど動揺していた。けれどそんな素振りは仁王には絶対に見せない。見せたくない。

「幸村、あの子のこと抱いたんじゃろ…?」
「…だったら、何?」
「女の顔になっとって、驚いた。俺の言葉がきっかけだとしたら、って思うと心苦しくてのぅ。なんか無性に虚しくなったんじゃよ」
「だから女と遊んでたのか?」
「まぁ、そんなところじゃ」
「全部…あいつへの気持ちを消すため、か」
「…あぁ」
「本気か?」
「…本気じゃ」

俺の言葉に仁王は一瞬躊躇うような素振りを見せたが、最後にはしっかりと頷いた。
仁王が部活にも授業にも出ず女と遊んでいたのは、そういうことだったのか。
俺が初めて彼女を抱くきっかけになる彼女のおかしな行動をとらせたのも、仁王の言葉が原因。そして何よりも、仁王が事あるごとに彼女に関わってきたのも、すべてその気持ちが原因、か。

それに気付けなかったこと、そして今平然とそれを告げる仁王の声、全てに苛ついた。

「抑えられんかった。抱き締めたらすごいちっこくて、可愛くて、幸村には悪いけど俺はやっぱりあの子のことが好きじゃ」
「…っ !」

自分がこんなにも取り乱すようなことはあるはずがないと思っていた。自分自身温厚な方だと思っていたし、一時の感情に任せて無茶な行動をとるなんて、あり得なかったから。

けれど俺はその最後の言葉にかっとなって、気付いたら仁王の制服の胸ぐらを掴んで右頬を思い切り殴り飛ばしていた。ガタン、とロッカーが大きく鳴る。
そして間髪入れず仁王は起き上がり、次の瞬間なぜか俺までも殴り飛ばされた。

「っ、…!」
「…っ、お返し、じゃ…」

殴られた頬も、仁王を殴り飛ばした拳も、そしてなぜか胸の奥までもがじんじんと痛む。それを掻き消すように俺は立ち上がって仁王に近付き、両手で胸ぐらを掴んだ。

「…ふざけるな…」
「…っ、」
「あいつは俺のだ。他の誰にも、お前にも、絶対渡さない」
「……力ずくで、奪おうとしてもか」
「やれるもんならやってみろ」
「…っふ、怖いのぅ」

仁王が力なく笑ったのを合図に、俺は掴んでいた制服から手を離した。
仁王とは長い付き合いになるけれど、どこまでが本気でどこまでが詐欺なのか未だによく分からない時がある。けれど先程俺に告げた彼女が好きだという言葉、そして俺を殴った時のあの眼。それだけは紛れもない仁王の本音だろう。

「…仁王」
「何じゃ?」
「今日部活に来たのは、俺にそれを言うためか?」
「まぁ、そんなところじゃな」
「…ふぅん」
「あぁ、あと…」
「何?」
「あの子が女と遊ぶのはやめろって…幸村たちも心配しとるって言うから、な」
「………そう」

仁王は本気だ。本気で、彼女のことを想っている。ムカつくけれど、この事実は受け入れなくてはならない。

いつだったか俺が他校の女の子に告白された時、彼女は「嫉妬深くてごめん」と言っていた。そんなの俺も、だ。仁王が彼女に告白したと聞いて、どうしようもないくらいの焦りと嫉妬心を感じている。けれどそれ以上に、彼女はだれにも渡したくないという気持ちの方が大きいのも事実だ。



「ちょっと話していこっか」

昨日から続いているもやもやとした気持ちを、早く晴らしたい。彼女を強く抱き締めて、誰にも負けないくらい大きな俺の気持ちも伝えなければ。

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