69.5 | ナノ
「好きじゃ」
なんて、自分があんなにも真剣な声で誰かに想いを告げるなど、ありえないと思っていた。
case.69.5
恋愛はくだらないものだと思っていた。告白?付き合う?恋人同士?そんなものクソ食らえだ。所詮は男と女。相容れないものがあって当然だし、そんなことに時間を割くなんてバカバカしいとすら思っていた。
けれど女は簡単だ。ちょっと俺の見てくれがいいからって、猫なで声で寄ってくる。そしてちょっと甘い言葉を掛けてやればすぐに落ちる。簡単で、滑稽で、バカな女たちは不本意にも溜まる欲望を処理するにはもってこいだった。
それが、彼女と出会うまでの俺。
「…っ、はなしてよぉ」
今にも泣きそうな表情で掴んだ腕を震わせる。そうか、こいつが。
幸村に彼女ができてからというものの、やたら幸せそうだし雰囲気も柔らかくなった気がしていた。どうやらそう思っていたのは俺だけではないらしく、赤也なんて「幸村部長、彼女さんにベタ惚れっスね」とか言っていた。あの幸村が入れ込んでいる女なんて、一体どんないい女なのだろうと、そう思っていた。
――のに……こんな小動物みたいな女とはのぅ。
それが彼女の第一印象。近付いたのはただの興味本位だった。
そんな彼女は、俺の前でくるくると表情を変える。
ある時は幸村の部活が終わるのを健気に待っていたり、ある時は幸村が女に囲まれているのをもどかしそうに見つめていたり。そしてまたある時は、俺みたいな危険人物には近づかない、と声を震わせながらも睨まれたり。そんな彼女のことを純粋に面白い奴だと思った。俺に寄って来る女とはどこか違う、そんな雰囲気を彼女は持っていた。こういうタイプの子と関わるのは初めてだったから、単に新鮮だっただけなのかもしれないが。
けれど彼女の存在は確実に俺の中で大きくなっていく。
何よりも、幸村を真っ直ぐに想うその気持ちをすごいと思った。ここまで一人の人間を真っ直ぐに、そしてがむしゃらに想うことができるのか。俺にはできないことだ。純粋に、すごいと思ったのだ。けれどこんな気持ちをどうしていいのか分からず、俺は結局彼女に意地悪を言ったり、からかったり、たまに背中を押してみたり。そんな曖昧な態度でしか接することができなかった。
その気持ちに嘘を付けなくなる時がやがてやってくると言うのに。
「でもいつまでたってもヤらせてくれん女、俺は嫌じゃけど」
それは完全に嫌味だった。彼女の首筋に色づいた赤いキスマークに、俺は嫉妬していた。幸村が付けたであろうその痕が憎たらしくて仕方がなかったのだ。
そんな俺の嫌味で歪む彼女の表情、正直心が痛んだ。俺にもまだ痛むような心が残っていたのか、と驚いたけれど、もうこの気持ちに嘘はつけないことを確信した。
そして夏休みが明けると、彼女は女の顔になっていた。何が変わったと言われれば説明はし難いが、どこか大人びて、綺麗になっていた。俺の言葉がきっかけになったのかは分からない。けれど確実にあの二人の距離はぐんと縮まったのだ。きっともう俺が揺るがしても無駄なのではないか。そう思ったら急に虚しくなってきて、すべてがどうでもいいとさえ感じるようになった。
「ね、仁王くん、好きよ」
「あぁ、俺もじゃよ。なぁ……ええか?」
「ん、仁王くんなら」
女は簡単だ。俺がちょっと甘い言葉を吐いて抱き寄せれば、すぐに詐欺に掛かる。ぽっかりと空いた心の穴を埋めるには、女を抱くのが手っ取り早かった。この瞬間だけは、何もかも忘れられる。彼女の色んな表情も、彼女への気持ちも、何もかも。
それが仇となって、いや、こうなるべくしてなったのか。
抱き寄せた彼女の身体は柔らかくて、小さくて。こみ上げる気持ちを抑えることなんて不可能で、バカみたいな告白をしてしまった。彼女を前にしたら、平静を装うことで精いっぱいだった。
「ほんと、バカみたいじゃな…」
誰もいない廊下を歩きながら、一人ぽつりと呟く。きっと今頃彼女は呆然として、おそらく泣いているだろう。俺は彼女にそんな表情しかさせていない。本当は幸村に向けるあの笑顔が欲しかったのに。
けれど彼女への気持ちを吐き出したことで、自分自身の心の中は幾分かすっきりしたことも事実だ。
――あー…幸村に言わんとな。
殴られる覚悟はある。同時にちょっとくらい殴り返しても構わないだろうという闘争心も残っている。
彼女が今この瞬間だけでも俺のことを考えているであろうという事実が、嬉しくて仕方がなかった。