スイート・ビター・スイート | ナノ
「美桜おはよー」
「ななちゃん!おはよー!」
ショートカットを揺らしながら講義室へと入ってきたのは、私の高校からの親友であるななちゃんだ。外が暑かったのか、パタパタと顔を手で扇ぎながら私の隣に座る。
高校を卒業して、大学生になって、早いものでもう3年がたった。私とななちゃんは同じ学部へ入り、相変わらず毎日一緒にいる。
「あれ、美桜今日いつもと雰囲気違う…いつもよりメイク気合い入ってない?」
「そう、かな…?」
「うん…あ、さては!デートだな!」
その問い詰めに緩んだ顔で頷けば、ななちゃんは「相変わらずラブラブねー」と笑う。
「でもデートなんて久しぶりなんじゃない?」
「うん、最近全然会えてなかったから…3週間くらい」
「そんなに?幸村くんも忙しいのねー」
そう、精市くんとはもう3週間ほど会っていない。
同じ立海大学でもお互い違う学部に進んだ私たちは、高校の時ほど頻繁に会うことが出来ていなかった。精市くんは大学でもテニス部を続けていて、相変わらず練習や試合で忙しそうだし、私は私でアルバイトやレポートに終われてそれなりに多忙な毎日を送っていた。
そんな中やっと時間が合う日を見つけ、今日は3週間ぶりに精市くんに会う。
「感動のあまりぶっ倒れないようにね」
「あははっ、さすがにそれはないよぉ」
なんて笑っていたけれど、久しぶりに会った精市くんはやっぱり格好よくて、どんなにたくさん人がいても私はすぐにその姿を見つけることが出来た。いつだったか長く会わない日が続いた後、久しぶりに会うことになった時にも今日と同じようにすぐに見つけ出すことができたよなぁ、なんて少しだけ懐かしいことを思い出した。
ラウンジで待っていてくれていた精市くんに、少しだけ高鳴る鼓動を感じながら近付く。
「精市くん!」
「あぁ、美桜。久しぶり」
「久しぶり。ごめんね、待たせちゃって」
「ううん、大丈夫。じゃあ、行こうか」
精市くんは大学生になって、高校生の時よりも更に格好よくなったと思う。幼さが完全になくなって、どこか大人の男の人だということまで感じさせる。ちらりと盗み見た横顔がやっぱり格好よくて、私は一人頬を染めた。
「…久しぶりだね、精市くんの部屋」
映画を観に行って、ご飯を食べて、ウィンドウショッピングをして。そんな普通のデートを楽しんだあと、精市くんのお家へやって来た。最近はほとんどお互いの家へ行くことがなかったから、久しぶりに入ったこの部屋がすごく懐かしく感じる。相変わらず綺麗に整頓されていて、思わず笑みが零れる。
「本当に久しぶりだね。はい、」
「ありがとう」
精市くんが持ってきてくれたグラスを受け取る。高校生の時から変わらない、大好きなミルクティーだ。
「美桜昔からミルクティー好きだよね」
「うん、だって美味しいんだもん!精市くんは…コーヒー?」
「あぁ、うん」
「わ、ブラックだ…大人…!」
「何を今更」
精市くんが可笑しそうに笑う。その無邪気な笑顔が妙に懐かしくて、途端に数えきれないほどの記憶が蘇る。
高校生の時は、笑ったり、泣いたり、怒ったり、精市くんと沢山の時間を過ごした。そんな私たちももう大人と言われる年齢になって、制服ではなく私服で、そしてお互いに多忙な日々を送っている。高校生の時の私からしたらこんな未来は全く想像出来なかった。けれど今ではそれに慣れて、その一方で精市くんとも変わらずお付き合いを続けていて。変わったことと、変わらないこと。それらが入り混じって、今がある。それがとても不思議なことのように思えてくるのだ。
「なんか、不思議だね」
「ん、何が?」
「…今でも変わらず私の隣には精市くんがいてくれて……大人なのに、時々高校生に戻ったような気持ちになる」
「ん…、そうだね」
その精市くんの伏し目がちな瞳が、更に懐かしさを呼び起こす。思わず視界が滲みそうになるのを隠すように、私はグラスを口に運んだ。
そんな私を見て、精市くんは嬉しそうに笑う。
「美桜、それまだ着けてくれるんだ」
「え?」
精市くんが指差した先には、いつだったか精市くんがプレゼントしてくれたバレッタ。精市くんが選んでくれて、そして似合うと言ってくれたバレッタを会う時には必ず付けるようにしていた。
「だって可愛いもん。それに精市くんが選んでくれたものだし」
思わず笑ってそう言うと、精市くんも笑顔になる。
そのまま優しく頭を撫でられ、私は目を瞑って幸せに浸った。そして更に、優しい声色で言葉が降ってくる。
「俺としては、それよりももっと良いものをあげたいんだけど」
「……え?」
その言葉にそれまで瞑っていた目を開け、目の前の精市くんを見る。高校生の時よりも少しだけ短くなった髪の毛、けれど変わらない真っ直ぐな瞳。どんなに時が経っても、私は相変わらず精市くんにドキドキする。
そして小さな箱を差し出され、私はそれを恐る恐る手に取ってゆっくりと開けた。
「…ゆびわ……」
「うん、美桜に似合うなぁって思って」
「で、でも、悪いよ…っ」
「あははっ、その髪飾りの時と同じこと言うんだな。でも俺があげたいんだから、いいの」
そう言って少しばかり強引に右手を取られ、そして薬指にその輝く指環が通される。
なぜだかサイズはぴったりで、精市くんは満足そうに笑った。
「ん、ぴったりだね。それにやっぱりよく似合う」
「あの、…嬉しい……っ」
「ふ、泣かないでよ」
「だって、嬉しいもん…」
涙腺が緩んで滲んでいく視界の中、精市くんの困ったような笑みが見える。私が泣くとこんな風に笑って、そして頭を撫でてくれるのだ。昔と変わらない優しさに、さらに涙はこみ上げる。
「あ、これね…」
「…え…?」
「おそろいなんだ」
「…っ、」
精市くんが取り出したのは、私のものよりも少しだけサイズが大きい指環。それを私と同じように右手の薬指に通すと、先程と同じように笑う。そして嬉しさのあまり私の涙が零れ落ちるのと同時に、精市くんは腕を伸ばし私をぎゅっと抱き締めた。
「最近あんまり会えてなかったし、きっとこれからは今以上に忙しくなって、会えない時間も長くなると思う…」
「う、ん…っ」
「でも、俺はずっと美桜が好きだよ。その指環は、俺の気持ち」
「う、ん、うん…っ!」
精市くんの服をきゅっと握って、幸せを噛み締める。私はこんなにも幸せでいいのだろうか。
そしてゆっくりと距離が出来て、触れるだけの優しいキスが降ってくる。右手に輝く指環も、優しい声で紡ぎ出される言葉も、包まれる温もりも、そして暖かい唇も、――すべてが私を幸せにする。
「泣き虫で恥ずかしがり屋なところは変わらないね…ほら、顔真っ赤」
「う…だって、精市くんが…」
唇が離れて、もう一度頭を撫でられる。きっと涙でぐちゃぐちゃだし、頬は真っ赤だし、私は今とんでもない顔だと思う。けれど精市くんがなんだか嬉しそうに顔を綻ばせるから、そんなことは全然気にならないのだ。
「そんなところも好き……いや、愛してる…かな?」
「え、っ?」
「うん、こっちのがしっくりくる」
「えっ、な…わぁっ!?」
突然の聞き慣れない言葉に驚いているとそのままもう一度ぎゅうっと抱き締められて、思わず変な声が出た。そんな私の声に、精市くんは声を上げて笑う。
それから私の耳元に唇を寄せると、それはもう史上最大級に甘い声色で囁くのだ。
「美桜、愛してる」
「…っ、な!えっ、う、えっ!?」
「あはははっ、」
精市くんはずるい。
精市くんには、私がその声に弱いことも、甘い言葉にすぐ照れてしまうことも、そして精市くんが大好きだということも何もかもお見通しなのだ。それを分かっていてあえて私の耳元でそんな最大級の愛情表現をしてくれるなんて、やっぱり精市くんは意地悪で、ずるくて、――だけどそれ以上に愛おしい。
「わ、私も…」
「ん?」
「あ、………あい、し、てる、…よ」
「ふ、片言…かわい」
この言葉は私にはまだ早いのかもしれない。けれどそんな私の片言な言葉に精市くんは慈しむように笑って、そしてまた頭を優しく撫でてくれるから、私は改めて精市くんには敵わないということを思い知るのだ。
精市くんと出会って、そして恋人同士になって、私はたくさんの"初めて"を経験した。初めての好きな人、初めての彼氏、初めてのキス、初めての喧嘩、初めての仲直り。そして初めて、素のままの私を見せて素肌で抱き合った。まだまだ数えきれないほど沢山の経験をして、私は今精市くんの腕の中にいる。そして今日初めて、精市くんに対するこの気持ちを、5文字の言葉で表現するのだということを知った。甘いこと、苦いこと、そんな沢山の"初めて"を精市くんと経験できてよかった。
「美桜、もう一回キスしていい?」
「…わざわざ聞かなくても、っ…」
「そ?じゃあ、遠慮なく」
ゆっくりと目を閉じる前に見えた精市くんの笑顔がまた私の胸をきゅっと締め付ける。
降り注ぐ優しいキスはコーヒーの苦さとミルクティーの甘さが混ざり合って、精市くんとの初恋のような味がした。
sweet bitter sweet
・・・end