スイート・ビター・スイート | ナノ
仁王くんとの出会いは最悪だった。
「幸村の女、じゃろ?」
そう言って不敵に笑った目を今でも覚えている。意地悪で、掴みどころがなくて、そして人をからかうようなことばかりする。かと思えば励ましてくれたり、時には真剣な表情を見せられたりもした。
そんな仁王くんのことが、私は苦手だった。嫌いでも怖いでもなく、私の心の内などすべて見透かされているような視線が、そして核心を付くときの鋭い声色が、ただ苦手だった。
けれど、
「好きじゃ」
そう告げられた時の声色は初めて聴くような、柔らかいものだった。この人がこんな声を出すなんて思ってもいなかったし、抱き締められた時に感じた仁王くんの心臓のスピードに驚きを隠せなかった。そして何よりも、女の子とただ遊ぶような付き合い方をしている理由が、私だったなんて信じられなかった。それでも仁王くんの声、体温、そして精市くんの言葉、頬に付いた傷。それらがすべて物語っているようだった。
仁王くんは本気で私のことを想ってくれていたのだと。
case.74
「仁王、くん」
「…ん」
「ごめんね、呼び出したりして」
「いいや、構わんぜよ」
雪の降る日の放課後、仁王くんをあの日と同じ視聴覚室に呼び出した。頬には精市くんと同じように絆創膏が貼られていたし、まだ少しだけ腫れているような気もした。
精市くんは教室で待っていると言ってくれたし、何かあったらすぐに飛んでいくから、と私の頭を撫でてくれた。
小さく息を吐く。上手く、伝えられるだろうか。
「仁王くん、あの、ね…」
「ん…?」
「…っ、あの…」
いざ伝えようと思うとなかなか言葉となって出てこない。そんな私を仁王くんは不思議そうな目で見るも、しばらくするとだんだん面白いものを見るかのような視線に変わっていった。そして最終的には噛み殺すような笑い声が聞こえてくる。
「…っ、美桜ちゃん、ちょっと落ち着きんしゃい」
「…あ、あのね!えっと…」
「ん…くくっ、話すの下手くそじゃなぁ…」
「う、…」
もう最悪だ。ちゃんと伝えたいことは頭では分かっているのだけれど、いざ本人を前にすると色々な感情がごちゃごちゃに混ざり合って、まともな言葉が出てこなかった。仁王くんはそれさえも見透かしているかのように笑い、そして一通り笑った後小さく息を吐いて教壇に腰を下ろした。見上げられるような形になり、初めて視線が合う。ひどく、優しい視線だった。
「はーっ…美桜ちゃん、本当に可愛いのぅ」
「…っ、何言って…!」
「それ。そういう反応が新鮮で、可愛い」
「や、やめて…」
そんな切なくなるほどの優しい声で、人を絆すようなことを言わないでほしい。私には精市くんだけだって分かってるくせに、まだ私を惑わせるようなことを言うのだ。今さらになってそんな表情を見せるなんて、やっぱり仁王くんは意地悪だ。