スイート・ビター・スイート | ナノ

「美桜ちゃんいらっしゃい。わざわざありがとうね」

そう言ってにこりと笑ったのは精市くんのお母さん。いつ見ても綺麗だなぁ、と思わず見惚れてしまう。「精市、部屋にいるからね」とまたもや美しい笑顔で言われ、私も笑顔でお礼を言って階段を上がった。
さて、なぜ私が精市くんの家に来ているかというと、それは今朝に遡る。


case.65


『風邪引いた』

精市くんからたった一行のメールが届いたのは朝のホームルームの時だった。話によると、幸いにも流行り始めているインフルエンザではなくただの風邪だけれど、熱が出てしんどいから休む、とのことだった。いくらただの風邪と言っても心配なものは心配だ。そのメールを見てからというものの心配のあまりそわそわして授業なんてまったく集中できなかった。そんな中、数時間ぶりに精市くんからメールが届いた。

『美桜にあいたい』

急にどうしたの、なんだか可愛いんですけど。と、ドキドキしながらも私はそのメールに即行返信をして、ダッシュで学校を出たのだ。


コンコン、とドアをノックして返事を待つ。けれどいつまでたっても返事は返って来ず、仕方なく恐る恐るドアを開けた。
精市くんの部屋はいつも綺麗に整頓されている。その部屋の端に置かれたベッドで、精市くんは規則正しい寝息を立てていた。

――わ、寝てる……

そっと近づいて、顔を覗き込む。まだ熱があるのだろうか、少しばかり汗ばんだ額、そしてその額に垂れ下がる前髪が妙に色っぽくて、不謹慎だけれどきゅんとしてしまった。

「ん……」

――わ…!起きる!

あまりに近くで見すぎたのだろうか、小さな声が聞こえて急いで距離を取る。しかし次の瞬間には精市くんはゆっくりと目を開き、ぼんやりとした表情で私へと視線を向けた。

「あっ、あの、私お見舞いに来て…ノックしても返事来ないから勝手に入っちゃって、精市くん寝てるから、あまりに綺麗で思わず見惚れてて、それで、あの…」
「…ん、分かったから落ち着いて美桜」
「あ、う…はい…」

一人で焦る私を落ち着かせるように精市くんは笑う。少しだけ声が掠れていつもより低く聞こえたのは、きっと風邪を引いているからだろう。
そしてようやく落ち着いたところで改めてベッドに寝転ぶ精市くんに向き直る。

「あの、お見舞いに来ました。調子はどう…?」
「うん、寝たらだいぶ良くなったよ。熱ももうそんなに高くなさそうだし」
「そ、っかぁ…!よかった…」

ほっと胸を撫で下ろす私に、精市くんは布団の中から手を出して伸ばす。反射的に頭を近付けると、思った通り精市くんは私の頭を優しく撫でてくれた。

「ふふ、来てくれてありがとう」
「ううん!精市くんのメール見たらいてもたってもいられなくなっちゃって」

その私の言葉に精市くんの手がぴたりと止まる。そしてその手をひっこめ、私の方に向いていた顔も天井の方を向いてしまった。
え、何?と思って精市くんを見つめると、今度は頬がほんのりと赤いことに気付く。精市くんはその顔を片腕で覆うようにして、先程と同じように少しばかり掠れた声で呟いた。

「…半分冗談だったのに。寝ぼけながら打ったら、そのまま送っちゃって…やっぱり送らなきゃよかった…」
「え、…え…?」

これって、照れてるのかな。どうしよう、可愛い。
普段の精市くんからは想像も付かないような表情に思わず鼓動が加速する。ていうか半分冗談だったということは、半分は本当で、私に会いたかったということだよね。何それ、嬉しい。そして精市くんが可愛い。
私は手を伸ばし、精市くんの顔に掛かる腕にそっと触れた。そしてゆっくりとその腕を顔から離す。それに気付きこちらを見た精市くんと目が合った瞬間、吸い寄せられるようにその頬に唇を寄せていた。

「っ、な…」
「…え…?……う、わぁぁぁ…!?ご、ごめんなんさい、私、今…!」
「…自分でしといて何照れてるの」

なぜか精市くん以上に驚く私を見て、最初は目を丸くしていた精市くんもやがて困ったように笑う。自分でもどうして頬にキスをしたのかは分からない。ただ寝顔とか先程の言葉とか少しだけ赤くなった頬とか、いつもと違う精市くんの表情にドキドキしていたのは間違いない。

「あーあ、美桜のせいで熱上がったかも」
「えっ!?うそっ、ごめんね…!」
「んー、美桜がもう一回キスしてくれたら治る」

にっこりといつもと変わらない笑顔で告げられた言葉に、私は思わずこくりと息を飲む。そして当然のように逆らうことなどできない私は、再度精市くんの頬に唇を寄せた。

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