「やっばい、遅刻だ……!」

 入学して早々、わたしはおしゃれな学校の中庭を猛ダッシュで駆け抜け、人気の少ない建物を探していた。
 入学式の後、塾が始まるまで少し時間があるから校舎を見て回ろうなんて考えたのが馬鹿だった。始業時間からかれこれ10分は経過しているだろうか。完全に遅刻だ。
 授業初日から遅刻するだなんて、きっと先生はもちろん他の受講生からの印象は最悪だ。
 そんな風に後悔しながら走っていればようやく手頃な倉庫を見つけたので、わたしはポケットから塾への鍵を取り出した。こちらへ引っ越してくるより前に祓魔塾から予め送られてきていたものだ。まったく、どんな扉からでも塾へ行ける鍵とは、なんて便利なことだろう。
 勢いよく鍵穴へ差し込んだそれを左へ回し扉を開けると、そこは倉庫の中とは思えないような(もちろん鍵を使っているので倉庫の中ではないのだが)内装が広がっていた。
 思わず立ち止まって息を飲んでしまったのだが、すぐにハッと意識を取り戻し、本日1年生の授業が行われる教室である1106号室を急いで探した。

「────あっここだ!」

 一一〇六の文字を見つけたわたしはその扉を見上げ、再び息を飲んだ。
 それはわたしの背丈の何倍もある大きな扉だった。さらにその中に通常サイズの扉も取り付けられている。大きい方は一体誰用なんだろう。
 平均身長より少し小さめのわたしはもちろん大きい方の扉に手が届くはずもなく、通常サイズの扉に手をかけ、そのまま恐る恐る押し開けた。

「あのう、すみません……遅刻しちゃって…………」
「ふざけんな!」
「あああごめんなさい校舎が素敵でつい見惚れちゃってて……」

 いきなりの怒声に思わず身を縮こませぎゅっと目を瞑り必死に言い訳をしたが、何も返事が聞こえてこない。ふと瞼を開けば、黒髪の男子生徒が教卓に立つめがねの教員らしき若い男性に詰め寄っているところだった。どうやら先ほどの怒声はわたしへ向けたものでなく、彼らどちらかのものだったらしい。
 内心ホッとして息を吐いたが、これは一体どういう状況なのだろう。
 ふと横に視線をやれば、ショートカットとツインテールの女子生徒がいるではないか。

「あ、あの……これってどういう状況?」
「えっ!えっと……私たちもちょっとよくわからなくて……えへへ、ごめんね」

 わたしがこっそりと声をかければ、ショートカットの女子生徒が困ったように微笑みながらそう答えてくれた。ツインテールの女子生徒は僅かに眉間に皺を寄せ、口を開きはしなかった。

「……さっきも言ったけど……」

 すると不意に教卓に立つめがねの男性が口を開き、詰め寄る男子生徒に何やら話を始めた。小さな声でよく聞こえはしなかったが、表情からしてやはり何か揉めているようだ。
 というか、あのめがねの人、見覚えがある気がするのだけど。ウーン、どこで見たんだっけ。
 入り口付近で立ち止まったまま首を傾げていたら、再び怒声が教室に轟いた。今度は「なんで俺に言わねーんだ」と。
 その際めがねの男性が持っていたらしい試験管が床に落ち、ガチャンと不快な音を立てた。それから腐敗臭が漂い始めたものだから、思わず袖で鼻を覆った。
 するとなんと教室の中央に突然丸い形の何かが現れた。悪魔だ。

「悪魔!」
「え、どこ?!」
「そこ!!」

 どうやら魔障を受けていない生徒もいるらしい、教卓を囲っていた2人を除いて静まっていた教室内がパニックに見舞われた。
 悪魔は先ほど声をかけた女子生徒2人に向かって飛び出した。

「危ない!!」

 咄嗟に庇おうと2人の前に出たが、だからと言って対策があるわけでもない。やばい、やられる────!
 護るように両手を大きく広げたまま瞼を強く閉じたが、パンパンといくつかの銃声が鳴ったあと、なにか柔らかいものが破裂するような音が聞こえた。ゆっくりと目を開けると、そこには撃たれた悪魔が3匹転がっていた。

「ひゃあ!」

 正直グロい。エグい。銃で撃たれたくらいでそんなに身体が破裂するものなのか。対悪魔用だから当たった瞬間なにかが作用したりするのだろうか。
 とにかく自分の血の気が引いていくのを感じながら呆然とその場に立ち尽くしていれば、「教室の外に避難して」という指示が聞こえた。
 そうだ、逃げよう。今のわたしじゃ何もできないことは明白だ。
 そう思っているのに、わたしの脚は震えるばかりで言うことを聞いてくれなくて。

「あ……あ」

 祓魔師になるためにこうして塾に通うことを決めたのだからある程度の覚悟はしてきたつもりだったが、まさか自分がこんなにも動けないだなんて。あ、なんか目頭が熱い。
 するとふと背後から腕を掴まれ、強く引っ張られたと思えばグイと教室の外へ出されていた。

「あほ、逃げろ言われたやろ!何やっとるんや!」

 途端声を張り上げたのは掻き上げた黒髪のモヒカン部分だけを金色に染めているガタイのいい男子生徒で、眉間に皺が濃く寄せられていて、その耳にはピアスがたくさんついていて……ついにわたしの涙腺は崩壊した。

「だ、だって!怖くて……脚が、震えて……!」

 ぼろぼろと溢れる涙は拭う間もないほどで、ああ、入学までにこの泣き虫も治しとくんだったな、なんて冷静に考えた。

「まあまあ、坊。この子のすぐ間近に悪魔の死体転がったんですよ?そら動けんくもなりますて!そない怒鳴らはったらかわいそうですよ」

 少し間の抜けたような男声に視線を向ければ、それはまた気の抜けるようなピンクの髪色をした男子生徒のものだった。

「怖い思いした上にこないなニワトリに凄まれてなあ。堪忍な、この人も変態なだけで悪いニワトリとちゃうねん」

 なんて言いながらわたしの頭を緩く撫でるピンク頭の男子生徒に、モヒカン染めの男子生徒は「誰がニワトリや、誰が変態や!」などと怒鳴り散らした。
 そういえば先程は頭がいっぱいいっぱいで考える余裕もなかったが、動けないわたしをこの廊下まで引っ張り出してくれたのは紛れも無いこのモヒカン染めの彼なのだ。そして怒鳴ったのもわたしを心配してのことなのだ。
 わたしはようやく落ち着いてきた涙を袖で拭って、ずびと鼻をすすった。

「……あの!」

 そう呼びかけたわたしの声に振り向いた2人にまだ少しビクつきながらも、精一杯笑顔を向けた。

「動けなかったの、助けてくれてありがとう」

 それを聞いてモヒカン染めの彼はほんの少しだけ顔を赤らめながら、「フン……まあ怪我とかしとらんならええわ」なんて呟いた。

 するとふと教室の扉が開き、めがねの男性が一言謝罪を入れた後別の教室で授業を再開する旨を伝えた。どうやら一緒に教室に残っていたらしい、突っかかっていた男子生徒ももう不満はないようだ。

 何はともあれ、こうしてわたしの祓魔ライフは幕を開けたのだった。





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2018年8月執筆

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