Monday (1/2)

 硝子越しに射す陽が窓際の席に座る生徒の肌をじりじりと焼く。息の詰まるような静けさに、カリカリと文字を綴る音だけが小さく響き渡る。
 休みが明け、月曜日。正十字学園では定期試験が開始されていた。
 わたしの主・竜士くんも当然例外ではなく、机に向かってペンを走らせている。「暗記科目が得意だ」と話していた彼にとってきっと歴史の試験は造作もないのだろう、いつも寄っている眉間の皺が心なしか緩やかに見える。

 普段のように授業であればわたしも一緒に聞いていられるのだけれど、試験となってはそうもいかない。ぶっちゃけ暇だ。どうにか暇を潰せるものはないだろうか。
 そう思いふと窓の外に目をやると、遠目に黒猫が歩いているのを発見した。
 あれは確か……クロ。燐くんの使い魔の猫又ケット・シーだ。
 猫が長生きをすると尻尾が裂けて猫又になる、という話は昔からテレビなどで見たことがあったが、本当に猫又ケット・シーという悪魔が存在したことには少し驚いた。きっと、テレビなんかで流れるお化けや妖怪の噂は魔障を受けた人やその知り合いなどが流しているんだろう。

猫又ケット・シーのクロちゃんのことは勉強会の時に燐くんからちらっと聞いていたが、あの日はいろいろとバタバタしていたこともあったので特に触れ合うこともなかった。
 再び窓の外を見てみるとクロちゃんはとことこと歩いているところだった。ああ、このままではどこかへ行ってしまう。
 何を隠そう、わたしは無類の動物好きなのだ。せっかくだからクロちゃんとも遊んでみたいと思うのは当然のことである。
 竜士くんを見やるとどうやら全ての解答を既に済ませたらしく、見直しをするべく1ページ目に戻っているところだった。そんな彼の元へふわりと飛んでいき、背後からポンと両肩にそれぞれ手を置く。それから身を乗り出すようにして彼の顔を覗き込んだ。

「竜士くん、わたしちょっと遊んでくるね」

 わたしの声は普通の人には聞こえないとはいえ、この教室の空気の中で普通に喋るのはさすがに抵抗があるし、何よりこのクラスには雪男くんもいるのだ。わたしはできるだけ潜めた声で竜士くんに話しかけた。
 すると、見直しをしていた竜士くんがシャープペンを持ち直したかと思えば、何気ない素ぶりで問題用紙の端に「了解」と薄く書きつけた。
 それを確認したわたしはすぐさま窓際へ向かい、そこからクロちゃん目掛けて一直線に飛んで行った。階段を降りたり標的から目を離したりせずに済む、こういった点ではゴーストは本当に便利だと思う。


「クロちゃん!!」

 どんどん歩いていくクロちゃんを危うく見失いそうになりながら必死に駆けつけたわたしが思わずその名を叫ぶと、クロちゃんはキュートなフォルムをくるりと翻してこちらを見た。

『なんだ、おまえ』
「え……?!喋った?!」

 口を開いたわけでもないのにどこからか聞こえてきたそのかわいいソプラノに、つい声を上げてしまった。
 そうか。ひょっとしてわたしとクロちゃんは悪魔同士だから、たとえ猫ちゃん相手だとしてもお話できるのではないだろうか。なんてことだ。全猫好き……否、全動物好きにとっての永遠の夢じゃないか。ゴースト万歳だ。ひたすらに多謝である。
 わたしが内心ではしゃいでいれば、クロちゃんが怪訝な表情をし始めてしまった。

「あっごめんね。わたし名前。竜士くんの使い魔なんだ」
『りゅうじ……りんのともだちか?そういえば、このまえいたような……』

 この前、というと勉強会の日だろうか。それとももっと前かもしれない。なんにせよ、クロちゃんが竜士くんを少しでも認識しているようでよかった。

「えへへ。ねえクロちゃん、撫でてもいい?」
『なんだきゅうに、しつれいなやつだなあ。べつにいいけど』
「やった!」

 猫に直接撫でる許可を取れるなんて貴重な体験だと思いつつ、お言葉に甘えて頭部にそっと手を伸ばした。
 クロちゃんの毛足は短いのに、添えた手が僅かに沈んだ。触り心地がべらぼうに良い。ふわふわだ。
猫又ケット・シーといえど猫ちゃんは猫ちゃんなんだなと肌で感じながら、つい顔が弛む。クロちゃんも無意識にか喉をごろごろと鳴らし始めた。
 これは永遠に撫でていられるやつだ、と思ったのも束の間、背や腹を撫で繰り回していたら終業のチャイムが校舎中に響き渡った。
 それでも暫くはまるで吸い付かれているかのように撫でる手を止めることはできなかったのだけど、ちらほらと生徒が歩いてきているのを見かけ、ようやく離れるに至った。

「わたし、竜士くんのところに戻らないと!じゃあね、クロちゃ──……あれ?」

 別れの挨拶と共に上空へ向けてクロちゃんから遠のいたところでふと振り返ってみると、そこにはなんだかときめいたような表情でクロちゃんに近寄ろうとする、塾で見かけたあのツインテールの彼女がいた。名前は確か出雲ちゃん。しえみちゃんが会話の中でそう呼んでいた覚えがある。
 そういえば彼女とはまだ話したことがないなと、初めて塾へ行った日や先日の勉強会を思い出した。せっかくここで会ったのだから何か挨拶でもしていこうと、徐々に下降する。そんなわたしの気配に気がつかないのか、彼女は「何かあげられる物とかあるかしら」と呟きながら鞄のチャックを開けた。

「…………!」

 ────その時、わたしは見てしまったのだ。
 累計二千万部を突破した、かの超大作少女漫画が彼女の鞄に入れられているのを。

「君物語!!」
「きゃっ?!」

 思いがけず発してしまった大声に、盛大に肩を揺らす出雲ちゃん。クロも驚いて逃げ出してしまった。
 くるりとこちらへ向き直った出雲ちゃんは怪訝そうに眉間に皺を寄せ、じっとりとこちらを見つめる。驚かせてしまったこと、遊ぼうとしていたクロを逃してしまったことを謝りつつ、内心のわたしは興奮が留まることはなかった。

「き、『君物語!』……!好きなの?!」
「えぇ……。……別に、アンタに関係ないでしょ」
「関係あるよ、わたしも大好きなの!すっごくきゅんきゅんするしおもしろいよね……!なのに周りの子達は巻数が多いからってなかなか読んでくれなくて……巷ではみんな読んでるらしいのに」
「わ、わかる……!あたしも朴に何回も勧めてるのに、アイツいつまで経っても読もうとしなくて。あれだけの巻数があるからこそのあの超大作だっていうのに」
「そう!そうなの!!」

 そこまで話したところで声が随分と大きくなってしまっていたことに気がつき、思いのほか白熱した『君物語!』トークを一旦落ち着けるべく小さく深呼吸をして息を整えた。

「……そこに入ってるのってもしかして新刊?」

 わたしが出雲ちゃんの鞄を指差してそう尋ねると、彼女は「えぇ」と頷いた。

「昨日発売日だったから書店で買って、その帰りにカフェで読んでから鞄に入れたままだったのを忘れてたのよね」
「い、いいなあ……!ねえ、もしよかったら読ませてもらえないかな?!」
「……いいわよ別に。今からちょうどお茶でもしようと思っていたところだし、貸してあげるわ」
「やったー!ありがとう!君物語の新刊が読めないなんて、死んでも死にきれないところだったよ……!」
「アンタが言うと冗談に聞こえないわね」

 そう言って出雲ちゃんはほくそ笑んだ。
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