Friday (2/4)

 天窓から差し込む光を受けながら、長い廊下を1人歩く。昼休みに寮へ戻る生徒なんて精々忘れ物を取りに来る人が稀にいる程度だ。どうやら今日はそれもいないようで、広い建物中がしんと静まり返り、俺の足音だけがコツコツと響き渡っていた。
 自分の部屋の扉に鍵を挿し、なるべく音を立てないように右へ回し開ける。志摩にはさすがに起きているだろうと言いはしたが、万が一のことも考えられる。もしもまだ寝ていた場合に起こしてしまわないようにとひっそり部屋へ入った。
 入り口からすぐのリビングスペースに姿が見えないということは、やはりまだ寝ているのだろうか。そう思い階段を上がりベッドの方へ視線を向けたが、どういうことだろうか。彼女がいないじゃないか。
 もしや、1人でどこかへ出かけたのだろうか?しかし昨日の口振りからしてこのあたりのことをよく知らないらしかったし、その発想はいまいちピンと来ない。まさか成仏……消えたのだろうか。
 そんな風に考えながら一先ず荷物を置こうと奥の自分のスペースへ足を運んだ瞬間、すぐにその動きを止めることになった。
 それぞれのスペースを区切る役割も果たしている、天井まで届く高い棚で隠れていた俺のベッドに、なんと彼女が横たわっているのだ。

「な……」

 驚いて溢れそうになった声はなんとか押し留められた。うつ伏せで壁の方向を向いているためこちらから顔は見えないが、よくよく見ると彼女の両手には1冊の本が開かれ、またその傍には2冊ほど本が積まれている。どうやらそれを読んでいるらしい。

「ん……?」

 気配に気がついたのか不意に彼女がゆっくりと半身を捻り、こちらへ視線をやる。すると俺を捉えた途端、大きな瞳をさらにはっと見開いて飛び起きた。むしろそのまま宙で一回転した。

「……おまえ、」
「あっ!あ、あの!ちがうの!別に竜士くんのベッドで寝るつもりとかはなくてね?!」

 ぼそりと呟いた俺の言葉を遮り、捲し立てるように弁明を始めた苗字の顔が次第に赤く火照っていく。口を出す隙もなさそうなので、とりあえず話を聞いてみることにしよう。

「起きたら竜士くんがいなくて、あー寝坊した!って思って!あ、普段はちゃんと起きられるんだよ。今日はホラ、目覚ましがなかったから……!」
「おう」
「それで1人でどうしようかなって。勝手に出かけるわけにもいかないし、部屋の中をウロウロしながら悩んでたら、竜士くんの棚にあった本が目に留まって!」
「おう」
「興味あったからちょっとだけ読ませてもらお〜って思って、ほんとにちょっと目を通すだけのつもりだったんだけど……その、入り込んじゃって、すぐそばの竜士くんのベッドに腰掛けちゃって……。そしたらちょっと寛ぎたくなっちゃって」
「…………ふっ」

 相当恥じているのだろう、異様に真っ赤な顔で早口に喋る苗字が面白いものだからつい抑えきれずに笑ってしまえば、彼女がキョトンとこちらを見た。

「んな焦らんでも別に怒っとらへんわ。何読んどったんや?」

 肩から鞄を降ろしてそう問いかければ、彼女は罰が悪そうに少し照れたようないじらしい表情でスイとこちらへ近づいてきた。

「……えっと。こっちの2冊は全部読んだのと、これは今3章まで」
「そないに読んだんか?苗字、読むん早いんやな」

 苗字が見せてきたのは3冊とも悪魔薬学や印章術などの悪魔祓いエクソシズムに関する、授業内で資料として使う書物だ。内容はそこまで難しいわけではないが、これを悪魔祓いエクソシズム初心者がほんの短時間で何冊も読み上げるとは、正直驚きだ。
 それを素直に褒めれば「知らないことばっかりで一気に読んじゃった」と苗字が嬉しそうにはにかんだのがなんだかかわいらしくて、思わず胸が小さく高鳴ったような気がした。

(……て、なにをゴースト相手にときめいとるんや……)

 振り払うようにぶんぶんと頭を振れば、それを見た苗字が不思議そうに首を傾げた。

「……そういえば竜士くん、帰ってくるの早いんだね。もう学校終わったの?」
「いや、今は昼休みや。お前の様子見に行こ思てな」
「えっ、わざわざ来てくれたの?!ごめんね、わたしが起きないばっかりに……」
「ええわそんなん、気にせんで」

 そうは言うもののやはり申し訳なさそうな表情をするものだから「朝放置したん俺やし」と付け加えれば、苗字は少し悩んだ後「じゃあおあいこだね」とまた笑った。

「ずっと寮おるんなら暇なんとちゃうかて、午後の授業一緒に受けるか訊こ思てたけど。本読んどるんならよかったか?」

 次はなにを読もうか探しているのか本棚をぼーっと眺める苗字にふと声をかけると、至極嬉しそうに目を煌かせながらこちらを振り向いた。

「わたしも学校に行ってもいいの?!」
「お、おう……なんや、学校行くんがそない嬉しいんか?」
「うん!!」

 俺の問いに間髪入れず元気よく頷いたものだから、これを志摩に見習ってほしいと内心小さくため息を吐いた。

「正十字学園ってずっと憧れてたんだ!楽しみ〜!やっぱりお金持ち学校だしテーブルマナーとか学ぶの?」
「アホか、普通に教科の勉強や」

 そんなことを抜かしながら楽しそうに鼻歌を歌い、出していた本を棚に戻す苗字にやはり朝のうちに声をかけてやればよかったか?なんて少し後悔した。

 ふと彼女に視線をやると、ふわふわした髪はあちこちに跳ね、袖の通されたパーカー姿はかなりラフそのもので、昨日と同様のそれらはどう見ても部屋着、もとい寝間着なのである。そういえば理事長はいつもの言動からして女子の服なんかにはよく気が回りそうであるのに、衣服の支給などもしてくれなかったのだ。
 すると俺のそんな視線に気がついたのか、彼女はヘラと笑ってみせた。

「わたしも何回か寝癖直したり着替えてみようとしたんだけどね、なんかこれ形状記憶みたいで。服脱いでも瞬きした瞬間に元に戻っちゃうんだよね」
「へえ……ゴーストてそないな風になっとるんか」
「うん、そうみたい」

 そう言った後「まあ髪は頑固な癖毛のおかげでいつもこれなんだけど」と小さく付け加えた。

「形状記憶だからか汚れたりも一切しないみたいなんだけど、でも着替えられないのはちょっとやだなぁ。毎日おんなじ服着てるみたいに思われちゃうよね」
「せやけど、魔障受けとる人にしか見えへんし、そない心配せんでええんとちゃうか?」
「ウーン、でも気持ち的に……。まあ考えたところでどうしようもないんだけど。ごめん、気にしないで」
「……お前、それ暑さは感じるんか?」
「へ?いや……」

 その返事を聞いて、急いでクローゼットを開けた。あんな風に哀しそうに笑う女をそのままにはできない。ふと、先程子猫丸に「面倒見がいい」などと言われたことを思い出し、ばつの悪い心地になった。

「脱ぐんで戻ってしもても、上に羽織るんならいけるかもしれん。俺ので悪いけどこれ着るか?」
「え?!あ、ありがとう……!」

 そう言って手渡したのは薄手のブルゾンだ。
 本来パーカーにブルゾンはこの季節ではもう暑いと思うが、暑さを感じないのであれば問題ないだろう。
 パーカーが同じでも上着を羽織っていれば印象は変わるため、苦し紛れだが誤魔化しにはなるのではないかと考えたのだ。

「竜士くん、これ借りてていいの?」
「ん?おう、苗字がそれでええんなら」

 考え事をしている間に羽織っていたらしい、不意に声をかけられた。
 小柄で華奢な苗字には俺のブルゾンは当然かなり大きくて袖が余っているが、本人は構わないようだ。

「えへ〜、かわいい!ありがとう竜士くん」
「はは……かわええて、メンズやぞ」

 そうは言いつつも嬉しそうに宙でくるくると回る苗字に、つられて俺も笑ってしまった。
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