クレッシェンド(2/2)


「──では最後に、先日の小テストを返します」

 授業終了間近、そんな言葉とともに紙束を取り出した雪男くんを見て、燐くんや廉造くんがうええと顔を青くする。たかが小テストでそこまで……と思うけれど、わたしも暗記科目である悪魔薬学は決して得意とは言えないし、一応気を引き締めておく。
 奥村、杜山、と一人一人呼ばれていき、次はわたしの番だ。

「苗字」
「はいっ」

 急いで教卓まで向かい、手渡された用紙を受け取る。雪男くんが何も言わないということは、たぶん可もなく不可もない感じだ。恐る恐る点数を確認すれば、ソフトペン特有のピンク色で“89”と書かれていた。うん、やっぱり可もなく不可もない感じだ。
 ありがとうございますと一言告げ、出雲ちゃんの隣の席へ戻った。

「出雲ちゃん、どう……わあ満点」

 結果を聞くより早く、机の上に置かれたそれが目に入ってしまった。さすが秀才さんだ。

「暗記科目だもの。当たり前じゃない」
「うっ……もっと精進シマス……」
「何よ、悪かったの?」
「うーん、良くも悪くもな感じで……。はあ、数式とか計算だったらもっとできると思うんだけど……」
「とことん理系脳ね」

 呆れたように呟く出雲ちゃんに、はは、と乾いた笑いを送る。わたしだってもう少し文理の均衡の取れた頭になりたいものだ。
 ふとその時、ジリリリと昔の目覚まし時計のような音が教室に鳴り響いた。終業のチャイムだ。

「おっ、終わった!」
「すみません皆さん、まだ話が」

 早々に机の上の物を片付け始めた燐くんを横目に雪男くんが全体に声をかける。授業のことで何かあるのだろうかと思い耳を傾ければ、フェレス卿から通達が、と言葉を続けた。

祓魔師エクソシスト認定試験の日程が早まります」
「!!?」
「え!?」

 皆思わず口々に声を上げる。
祓魔師エクソシスト認定試験の日程といえば既にもうあと数ヶ月後に迫っていたものだから、他より出遅れているわたしはかなり焦って勉強していたというのに。さらに早まるというのだから驚きだ。
 雪男くんはスラスラと説明を述べながら何やら用紙を配布し始めた。

「詳しい説明は後日あるそうですが、日程変更に伴って取得希望称号マイスターを再度記入提出してもらいます。この用紙に記入した称号マイスターが最終決定となりますので、皆さんよく考えて決断して下さい」

 渡されたそれは称号マイスターの取得希望調査用紙だ。
医工騎士ドクターから変更するつもりもないのでこの記入自体に迷うことはないけれど、何しろ本当に急なことなのでさすがに戸惑ってしまう。

「……何で急に早まったの……!?」
「びっくりだよね……何か事情があるのかな」
「……あ!!」

 不意に子猫丸くんが声を張り上げ、何かあったのかと皆そちらに視線を集中させた。件の彼は慌てて席を立ったかと思えば、急いで机上の荷物をまとめ始めた。

「次の悪魔学、野外やった! 坊と神木さんもですよ!」
「あっ」
「せやった! スパイは?」
「俺も移動ですけど暗唱術なんで──…………て、普通に返事してもーた……」
「アンタは?」
「あ、わたしも暗唱術だから……」
「あっ、ほな名前ちゃん、俺とおんなじやん! 一緒に行こか」

 いつもの調子でそんな風に誘われ、うん、と頷いて荷物をまとめる。慌ただしく駆けていく悪魔学受講の3人を見送って、わたしと廉造くんも教室を後にした。

「次の暗唱術、教室どこなんだっけ」
「それよりさ、俺名前ちゃんに謝りたかってん」
「へ?」

 廊下を歩く最中、ふと廉造くんがしんみりした雰囲気で声を溢した。思わず立ち止まってその顔を見上げれば申し訳なさそうに眉尻を下げていて、その珍しさに目を見張った。

「え? なに?」
「いやぁ……ダンパん時、名前ちゃんのこと気絶させてしもたやん? あれ苦しかったかなーて……ほんま堪忍なぁ」
「あー……」

 学園祭のダンスパーティーで廉造くんが出雲ちゃんを連れ去ったあの時の話だ。夜魔徳ヤマンタカの炎を宿した錫杖で胸部をなぞられ、気を失ったあの時──。

「苦しくはなかったよ、すっごい怖かったけど」
「ヒィッ堪忍……」
「うん、でも廉造くんも二重スパイとかで大変だったんだもんね」

 廉造くんを責める気持ちはないので本心からそう言えば、彼はひどく青ざめさせていた顔をぱあと綻ばせガッシリと両手でわたしの手を握りしめた。女性好きの廉造くんでも、こういう直接的なスキンシップをされたことは今までに覚えがないので驚いてしまった。

「そうなんや! スパイ業ほんっま大変で……わかってくれるん名前ちゃんだけやわぁ……!」
「み、みんな言わないだけでそう思ってるよ。それより早く教室行かないと」
「ああ、暗唱術? それなら自習やし急がんでもええと思うよ」
「へ? 自習?」

 またもまさかの言葉に目をぱちくりさせていれば、やっぱ知らへんかった?なんて言って彼は笑った。

「掲示板見てへん? 授業変更とかそこに貼り出されるさかい、こまめに確認した方がええよぉ」
「へーっ……廉造くんがそういうの真面目に見るのってなんか意外だね」
「えーっ、ひどぉ。俺かてそれくらいやりますて」

 わざとらしく拗ねたように口を尖らせる廉造くんだけど、彼のことだから大方今回みたいな自習や休講の知らせをいち早く確認するためなのだろう。しかしそのおかげで今日の自習を知れたわけであるし、わたしも見習うべきだろうか。
 そんなことを考えていれば、廉造くんが「せやし、名前ちゃん」なんて、やたら愉快げに笑いかけた。

「今から俺と一緒にお話せーへん?」
「……廉造くん、自習は?」
「嫌やわ名前ちゃんまでそないなこと言わんで!!」

 そう言って廉造くんはわっと腕で目元を覆って大袈裟に嘘泣きしてみせる。まったく、泣いたり笑ったり忙しいひとだ。
 ていうか、ほんのつい先程祓魔師エクソシスト認定試験の日程が早まることを伝えられたというのに、危機感とかないのだろうか。

「あ、名前ちゃん今祓魔師エクソシスト認定試験ももうすぐやのに〜って思ったやろ」
「なっ……お、思ったけど。って、わかってるんなら廉造くんも勉強しなくちゃじゃないの?」
「ワ〜〜耳が痛いわぁ。勉強もせなあかんけど、俺にはもう一個やらなあかん大事なことがあるんよ」
「もう一個?」
「ウン、名前ちゃん、総帥と会うたんやろ?」
「そ……」

 はっと息を呑んだ。波打つ鼓動が速くなる。
 廉造くんが“総帥”なんて呼ぶ人──イルミナティの、あの人・・・しか考えられない。

「…………ルシフェルさん……」

 島根で異形屍人キメラゾンビからわたしを助けてくれた、恐ろしい光の王様。
 どういうわけか「イルミナティに歓迎する」なんて言われたけれど、あの後すぐに消えてしまったので何が何だかよくわからないままになってしまっていた。

「そーそー! 覚えとってくらはったんやなぁ、話が早いわぁ」
「さ、さすがに敵の大将に直接勧誘されたことを忘れるほど間抜けてはないつもりだよ」
「あっはっは、せやんなぁ。名前ちゃん賢いし」
「……でもわたし、お断りしたと思うんだけど」

 そうだ。あのままなあなあにしておくことが一番よくないと思って、その場ですぐに突っぱねたはずだ。それなのに廉造くんから話を持ち出されるなんて、もしかして聞いてもらえていなかったのだろうか。
 そんなわたしの表情を見てか「あ、わかっとるよ」なんて、飄々とした様相を崩さないまま彼は笑ってみせた。

「せやからイルミナティのことしっかりプレゼンしてこいて上から言われとって」
「ぷ、プレゼン?」
「うん、堪忍な、これも仕事なんよ。ほんのちょーっとお話聞いてくれるだけでええからさ」
「…………まあ、聞くくらいなら……」

 歯切れの悪いわたしの返事を聞いて、廉造くんは嬉しそうにニッコリと笑ってみせた。
 これでわたしが頑として聞かずに廉造くんが後で怒られるのも少し可哀想に思えてしまうし、何よりもイルミナティのことをわたしは知らなすぎる。わたしの今後のためにも、もちろん騎士團のためにも、情報を仕入れておいて悪いことはないだろう。
 ほな行こか、と空き教室に向かう廉造くんに、わたしは黙ってついていった。



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