星月夜



ずっと気になっていた。

目が離せなかったんだ。

君が手を上げるだけで空気が変わる。
長い髪をなびかせて活き活きとダンスが楽しくて仕方ない見ている者に伝わる位に笑顔で全身全霊で踊る君の姿が好きだった。

―――――――――――――――――


「もう終わりにしよ?綾仁君…」

朧気な灯がひっそりと点る静かな部屋に響く彼女の言葉は、妙にくっきりと輪郭が浮き彫りになっていた。

「えっ…?」

期待していた柔らかさと温もりが遠ざかる。
俺のアパートでの行為の後、いつもと違って腕をすり抜けたさつきちゃんはそのまま着替えを始めた。

落ち着いた茶色の長い髪の毛が俺を遮り、拒絶するその背中。

さっきまでの睦事はまるで幻かの様に、淡々と布を身に付けていく彼女の後ろ姿をベッドに座ったままずっと見つめていた。

このままだと彼女は消えてしまう――

不意にそんな不安に襲われて、気づけば君の腕を掴んでベッドに引き戻していた。

「ちょっと!離して!!」

「やだよ…離さない…」

逃れようと髪を振り乱して暴れる君をシーツに縫い付ける。

「…さつきちゃんの事、好きだから」

彼女の両腕を掴んで、身体に覆い被さった。

「私は綾仁君に”好き”なんて言ってもらえるような女じゃない!だって…」

嫌がる彼女が身体を捩り、ベッドがギシギシと音を立てた。
俺もそれに比例して腕に力を込める。

「…わかってるよ」

すると、彼女の抵抗がぴたりと止んだ。

「俺とHしてる時、いつも別の男の事考えてるでしょ?多分、前言ってた”好きな奴”だよね?」

彼女の顔を正面から覗き込むと、君は目を見開いて震えていた。

「それでも、俺は…」

硬直している君にそのままそっと唇を寄せた。
優しくただ触れるだけのキス。

それはあの日を思い出させる。
全てが始まったあの瞬間…


「さつきちゃん、最近どうかした?」

サークルのイベントの打ち上げの時、たまたま隣の席になったから思い切って前から聞きたかった事を聞いてみた。

「なんで?」

「だって、最近のダンス元気ないから。そういうのってめっちゃ出ちゃうじゃん。」

切れ長の瞳を大きく見開いてびっくりしている彼女を尻目に言葉を続ける。

「もし、何か悩みあったら聞くよ。俺でよかったら」

以前みたいな弾けんばかりの笑顔もダンスのキレもなくなってたから不思議で。
ダンスはスポーツに近い部分はあるけれど、それでも本質は自己表現だから。
悩みや迷いがあれば、それが一発で分かってしまう。
サークル内でも練習熱心で有名で真面目な君だからダンスの事で悩んでるんだと思って。

ところが、返ってきたのは思ってもみない言葉だった。

「…私、好きな人がいるんだけど…その人には好きな女の子がいて…」

彼女の瞳からはいつの間にか涙が零れている。
慌てて居酒屋の外に出て、2人きりでゆっくりと話を聞いた。
大まかな事しか聞けなかったけれど、どうやら好きな男にはどんなにアプローチしても振り向いてもらえず悩んでいるみたい。

「今度のイベント、俺と一緒に踊らない?」

報われない恋をしている君を元気づけたくて、そんな申し出をした。

「綾仁君…ありがとう…」

俺に微笑みかけているはずなのに、君の笑顔は何処か遠かった。
繋ぎ止めたくて、思わずキスをしてしまった。
夏の艶めかしい濃密な空気の中、軽く触れ合うだけだったのに、その唇の熱が鮮烈で今でも忘れられなかった。

その後、2人でダンスの練習を重ねる内に君に惹かれて、芽衣と別れてしまった。
けれど、君にはその理由は言えなかった。
だって、好きな奴がいるの分かってるのにそんな事言える訳がない。
君がソイツの事をずっと想っているのを知ってて気持ちを告げられる程に狡猾にはなれなかった。
それに、相談相手としてでもいいから一番近くにいる立場を失いたくなかったんだ。

けれど、お互いに寂しさは募り、ある日とうとう関係を持ってしまった。
恋人ではないけれど、セフレと称するにはすでに心が癒着しすぎた曖昧な関係が始まる。
さつきちゃんは俺を求めるくせにいつも泣いていた。


「お願いだから…優しくしないで…」

ぽろぽろと涙を溢す彼女。
彼女の身体から力が抜けていくのが分かる。

「何で?」

掴んでいた両腕を解放して彼女の柔らかな頬にそっと触れた。

「だって、私は…」

俺の眼差しから顔を背ける彼女。

「あなたとあの子を別れさせるためだけに近づいたんだから…!」

「えっ…?」

衝撃的な発言に動きが止まる。
部屋の中が水を打った様に静まり返った。

「…芽衣ちゃんの…今の彼氏の宗弥が…」

ぽつりぽつりとさつきちゃんが俺の知らなかった事実を告白していく。
彼女の溢した点が1本の線を描いた。


あぁ、そういう事だったんだ…

だから君がいつも俺に見せる笑顔は哀しそうだったんだね。
太陽に雲がかかり陰ってしまっているような、優しくて温かいのにどこか寂しそうなそんな笑顔。
全て俺への後ろめたさと罪悪感だったんだ…

でも、あの時の君の涙はどう考えても嘘には思えなかった。
心の底から苦しんでるのが見えて。
いつもサークルで踊ってる時は誰よりも堂々としていて、強くしなやかな君がこんな苦しみを抱えている事を知って驚いた。
どうにか助けてあげたいと思ったんだ。

だからこそ、さつきちゃんを選んだ。

苦しかったよ。
君と芽衣の間で揺れていたあの頃は。
アイツの事は確かに好きだった。
可愛かったし、優しかったし、一緒にいるのが楽しくていつも笑ってた。
だけど、それ以上に君の事が気になった。
その儚い微笑みに酷く心がざわめいたんだ。


「綾仁君…ごめんなさい…ごめんなさい…」

子供の様に肩を震わせて泣きじゃくる彼女。
うわ言の様に俺への謝罪を繰り返し続ける。

「もういいよ…」

もうこれ以上何も言わないで。
謝らないで。

さつきちゃんは凄く優しくて愛情の深い女の子なんだ。
他人の事ばかりを優先して自分ばかりが傷付いている。
その宗弥って奴の事も…


「さつきちゃん、大丈夫だから…」

彼女の傍らに身体を沈めて、そっと呟く。

その涙を拭ってあげたかった。
これ以上傷付く事が無いように守りたかった。

大切な女の子をぎゅっと抱き締める。
離さないように。
強く強く。

あぁ、願わくば
君の心からの笑顔をいつかまた見られます様に。
そのためなら、俺は何でもするよ…


窓から見える夜空には無数の星が瞬いていた。


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