月の裏側 | ナノ








▼ 紅い月1

「晴陽ちゃんお疲れ。これ、よかったらどう?」

オフィスのデスクで一息ついていると、
同僚の理人君が給湯室で入れてきてくれた紅茶の入ったマグカップを差し出してくれた。
整った顔に親しみやすい笑顔を浮かべている彼は同期でもあり、
この部署に私が異動してきた時からいつもこんな風に気にかけてくれている。
隣の席の先輩は会議で離席中だから、当然の様にそこに座った。
この休憩タイムはもはや毎日の恒例になっている。
理人君が給湯室でコーヒーを入れている姿を見て羨ましがった私に
”カップを持ってこれば一緒に用意する”と申し出てくれたのだ。
彼自身は真っ黒のスタイリッシュなマグカップを使い、私は友達からの旅行のおみやげでもらった某カフェのご当地マグカップを給湯室に置いていた。

「ありがとう!いい匂いがするね〜」

「おすすめのハーブティだよ。眼精疲労にいいんだ。最近、目が疲れてるって言ってたでしょ?」

立派な体躯に美しい顔を持つ彼が背筋を伸ばして座り、キレイな所作で紅茶を飲んでいれば味気ないオフィスの一室なのにおしゃれなカフェの雰囲気を醸し出す。
さすがに、いつもこうして飲み物を用意してくれているから
クッキーやチョコといった軽くつまめるお菓子は私が用意していた。
それでも、たまにおいしいものがあると彼もお菓子を持ってきてくれる事もあった。

「そうなの。帰ってからも、仕事でパソコンと睨み合ってるからかなぁ」

「熱心なのはいいけど、それはダメだよ。きちんと休まなきゃ。夜更かしは美容によくないし、次の日の仕事にも影響するからさ…」

「分かってるんだけどさ、ついついキリのイイ所までしたいって思っちゃうんだよね」

「そっか。仕事の鬼の君らしいけどさ」

「そんな事ないよ。それなら理人君だって私以上の鬼じゃん」

二人でお菓子をつまみながら軽い会話を交わす。
ただ、彼は体重管理からかあまりお菓子は口にしない様で、私一人がぱくぱくと食べ進めていた。

「先輩!休憩中のところすみません!至急で見ていただきたい案件があるんですけど…」

そんな中、申し訳なさそうに後輩の男性社員が彼を呼びに来た。

「OK。すぐ行くから。昨日のトラブルの件だよね?」

立ち上がった彼は私に”ごめんね”と申し訳なさそうな顔をして、マグカップを持って立ち去った。
手を振って見送り、紅茶を飲み干すと自分も仕事に戻る。
後から聞いた話だと、理人君の的確なアドバイスできちんと解決したとの事。
この様に仕事も優秀で、皆に優しく面倒見のよい彼は老若男女問わずに評価が高く有望株として期待されていた。

勿論、気遣いの男は女性社員からの人気は絶大なもの。
食堂で色んな部署の女の人に話しかけられているし、取引先の女性社員からも連絡先を渡されたりは日常茶飯事。
その全てに対して丁寧に対応する彼は、女性関係も派手なのだろうと勝手に思っていた。

けれども、理人君の言葉にそのイメージは一変する。

「いつか僕も輝いて見える女の子と出会えるはずなんだよね」

お酒を飲みに行ったとき、決まって夢を見る乙女の様にうっとりとそんな事を言っていた。
女子社員からも絶大な人気を誇っているし、もっと遊び慣れた人なのかと思いきや、意外と一途らしい。
どうやら、”運命の女性”というものを信じているみたい。
連絡先は受け取るけれど、連絡をする事はほとんどないらしく、きちんとしているみたい。
優しくて完璧な彼にこんな風に強く想われる女性は幸せなんだろうな。
きっと、外見も中身も完璧な女性を彼女として紹介してくれるんだろう。
その時が楽しみだなぁと思っていた。


秋も深まり、空気が冷たく透明度を増した夜。
満月がはっきりと浮かんでいた空の下、浮かんでいる私と理人君の影。

「月が綺麗だね」

「ほんとだ」

仕事の帰り、たまたま一緒の時間に上がった私達は一緒に帰っていた。
電車で一駅向こうの会社が用意したマンションに二人とも住んでいる。
同じ物件ではないけれど、近くのため、一緒に帰ることはよくあった。

「理人君って月みたいだよね。夜の闇の中で優しくみんなを照らして導いてあげるそんな存在だと思う」

皆の中心にいつもいる彼。
勿論、集団の中で一等輝いている彼は太陽の様だと喩えるのが正しいのかもしれないけど、仕事でも窮地でリーダーシップを発揮するのは勿論、穏やかで周りの皆に優しくしている理人君は太陽の様な強いものよりも、月みたいに優しいものだと思っていた。

「そうかなぁ?そんな風に言われたのは初めてだよ」

嬉しそうにはにかむ理人君。
色素の薄い琥珀色の瞳が優しく細められる。
確か、どこか欧米の国のクォーターらしく、彫が深くて鼻が高い整った顔がそんな風に綻ぶのを見るのは、まるで花が咲く瞬間を偶然見る事が出来た様なそんな幸運な気分になる。
少し長い漆黒の髪に透明感のある白い肌を併せ持ち、背丈も186cmと高い彼が漆黒のトレンチコートを着ているのはそれだけで絵になっていて、私の様な凡人が隣に並ぶのが憚れる程だった。

そんな時、ケータイが長く震えている事に気付いた。
鞄から取り出して、相手を確認するとこの間、合コンで知り合った男性だった。丁度不在着信になったので、家に着いてからかけ直そうと思ってケータイをしまう。
その方がゆっくり話が出来ると思ったから。

「いいの?電話だったんでしょ?」

「急ぎじゃないから大丈夫。この間、合コンで知り合った人からだし」

気を使ってくれた同僚に何の気なしにそんな事を言った。
すると、切れ長の瞳を丸くしている。

「…そうなの?合コンなんて行ってたんだ」

穏やかな声なのに、忍ばせられた冷たさ。

「まぁね。先週の土曜に行ってきたばかりなの。一応、彼氏募集中だから」

少し違和感を覚えながらも会話を続ける。
今の部署に異動した少し後に、当時の恋人と別れてから一年以上ずっと彼氏が出来ないのだ。
合コンにも行くし、友達からの紹介もあった。
けれども、相手の男性といい感じになると、どうしてか連絡が途切れる事が何回もあった。

「ねぇ、同じ社内の人は考えてないの?彼氏に」

「今度は違う会社の人がいいかなぁ。別れた後に社内で会うと気まずいし…」

そう、元彼は同じ社内の他部署の人間だった。別れは突然向こうから一方的に告げられたし、今でも社内で鉢合わせたりすると必ず避けられるから、どうしてそこまでされないといけないのかと不快な気分になる。
喧嘩もなく上手く行ってたはずだったのに、どうしてあんな風に別れられたのかもわからなくて困ったのだった。

「…どうして晴陽ちゃんは他の男ばかりに目を向けるの?」

そんな事を思い出していたら、理人君は足を止めて質問を重ねてくる。
私もつられる様に立ち止まり向かい合う。

「どうして、いつまで経っても僕の気持ちに気付いてくれないの?」

「どういう事?」

漆黒のコートを纏った彼が一歩近づくだけで放つ妙な威圧感に身構えて、負けない様に質問で返す。
すると、まどろっこしいのは終わりにしようと言わんばかりに深く笑みを刻んだ彼はこう言った。

「君の事が大好きなんだ。だから、僕と付き合ってください」

最近の男の人には珍しい真っ直ぐな愛の告白。
しかも、あの理人君からのそんな申し出なら、本来ならば嬉しいはずなのに何故だか胸騒ぎを覚えた。


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