miacle
「…ここ…どこ?」
目を覚ますと知らない部屋のベッドの上に横になっていた。
しかも、真っ白な袖のないワンピースを着せられていた。
記憶を手繰り寄せる。
昨日、同僚と二人で出かけて、帰りに車で家まで送ってもらったはずなのに…
ぷつりと糸が切れたようにそこからの記憶がない。
思い出そうと部屋全体を見回す。
明かりはローテーブルや床にある火が点された沢山のキャンドル。
加えて、ベッドの際の窓から真夜中の月の光が差し込んでいた。
シーツも壁も置いてあるテーブルもすべて真っ白の部屋。
「何これ…」
そして、驚愕して固まった。
視線の向こうにはとんでもない光景が広がっていたからだ。
壁一面をびっしりと埋め尽くすおびただしい数の私の写真。
会社での姿はもちろん、家や休日の様子だけじゃなく学生時代のものまであった。
いつの間に撮られていたのだろう…
ゾクリと背筋が凍りつく。
あるはずのない出来事が一気に押し寄せて頭の中が一気に混乱する。
すると、扉が開いた。
「よかった。目が覚めたんだね。薬の量、間違えたのかと思ったよ」
部屋に入ってきたのは、昨夜別れたはずの同僚だった。
「…おあいて君、なんで?」
震える声で微笑みを携える彼に尋ねる。
仲の良い同期がこんな事をするなんて思わなかった。
仕事上はもちろん、会社の帰りに飲みに行ったりしてお互いの事を語り合える信頼していた男友達だったのに。
「好きだったんだ。ずっとなまえの事。入社式で出会った時から…」
「だからってこんな…」
「全部知りたくてさ、君の事が。会社での姿だけじゃなくてプライベートや俺と出会う前も。いつも仕事から帰ってきて、この写真達を眺めるとそれだけで疲れが飛ぶんだ」
嬉しそうにまるで仕事のプレゼンみたいに私に説明をする同僚。
その姿に狂気の沙汰という言葉が脳裏に過ぎる。
「でも、もうこんな写真なんていらない」
突然、全部の写真を壁から剥がした。
床に散乱したそれを拾い上げて、キャンドルの火で全て焼き棄てていく。
大きく上がる炎に照らされてる同期の整った顔は今まで見たことない冷たいものだった。
彼の視線の許で大量の写真が灰と化す。
「これからは君自身が俺の側にいてくれるから」
全てを焼き払ったおあいて君が顔を上げていつもの笑窪を見せた。
「え…?」
意味が分からなくて聞き返す。
「だってもう、なまえは俺のものでしょ?」
「…何言ってるの?」
「同じ部署になって、俺達がペアに決まった時に”奇跡”って本当にあるんだって初めて信じたよ」
彼が壁から離れてベッドの方へ歩を進める。
「一緒に仕事ができる様になって、それまでの平凡だった毎日が変わったんだ」
そこにいるのは飲みながら上司の愚痴を言ったり、仕事を成功させて喜びを共にした仲間じゃなくて全く知らない男の人だった。
「…来ないで…お願い」
思わず後ずさるけれど、その先は壁で押し付けた背中に痛みが走り骨が軋むだけ。
「おまけに彼氏と別れたって聞いて、これは運命なんだって思った」
そう、私は大学時代から付き合っていた彼氏と数カ月前に別れたのだった。
結婚まで考えていた人だったから、他の女性に取られてしまった事はすごくショックで仕事もままならない位に落ち込んだ。
その時に仕事のフォローだけでなく、私の話を聞いて、励ましてくれたのは紛れもなくおあいて君で。
今日も落ち込んだ私のために、一緒にドライブに行ってくれたのに…
突き付けられた彼の正体に全てが崩れていく。
「やっ…!触らないで!」
伸ばされた手が頬に触れる。
その指先は酷く冷たくて、一層恐怖を掻き立てた。
「これからは俺が君の事を守って、あの月みたいに綺麗なところへ連れて行ってあげるから…」
「んっ…!?」
そして、いきなり唇を塞がれてしまう。
両手で顔を固定されて、そのまま角度を変えて何度も何度も唇が重なる。舌が捻じ込まれて、歯列をなぞり喉の方まで迫るそれに口腔内を犯された。
「ずっと夢だったんだ。君の香りで1日が始まって、眠る君にキスをして終わるそんな毎日が」
顔を離してうっとりと願望を口にするおあいて君。
くたりと身体の力が抜けた私を彼の腕が抱き留める。
「大丈夫。もう嫌な上司に怒られる事も、あの元彼みたいな男のせいで理不尽に傷つく事もない」
いつも彼が纏っている優しい香りがこんなに苦しいと思う事があっただろうか。
「…私はそんな事望んでない。毎日、嫌な事や辛い事があっても、それでも自分の力でちゃんと立って生きていたいよ」
涙と一緒に溢れた本音。
立ち直りたいと必死にもがいていた私を助けてくれたと思ってたのに…
全ては違ったんだ。
二度も信じていた人に裏切られた心は深く抉られた。
「君のそんなところが好きなんだ。でも…」
哀しそうに目を伏せる彼は一瞬言葉を詰まらせたけれど、何かを決意した様に私を引き寄せる。
「もう何処にも行かせない。永遠に俺と一緒にいてくれればそれだけでいいから」
そう呟いたおあいて君は私を抱き締めた。
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