そして二人は
あれから、純君とは一言も話していない。
どう接していいか解らない。
あの光景は衝撃的で
純君があんな風に女の子と…
忘れたいのに脳裏に焼き付いていて離れない。
「真央も仲間に入る…?」
何度もリピートする彼の言葉。
ニヤリと左の口角だけを上げて笑う彼は私の知る純君とは程遠かった。
しかも、私を誘うなんて有り得ないよ…!
正直"汚い"って思ってしまった。
あんなものを見てしまったら、彼を見る目が変わってしまう。
噂や評判を鵜呑みにしたくなかった。
自分の眼で確かめたものを信じてたのに。
純君は、普段は近寄り難い雰囲気だったけど、補習の時は穏やかで優しかった。
何て事ない話もできたし、クラスの他の男子と変わらないって思ってた。
彼が抱えている問題を知って、何か私にも出来る事はないかって真剣に考えてた。
あの夕暮れの教室での彼の言葉に嘘はなかったと信じてたけど…
2人で流した涙は、何だったのだろう?
授業中、ノートを取るふりをして然り気無く純君の表情を窺うけど、無表情で何も読み取れない。
ただ、ぼんやりと前を見つめている整った顔があるだけ。
長くて密度の濃い睫毛、すっきりと通った鼻筋に薄い唇。
綺麗だと思うけど、とても冷たくて到底近づけるものじゃなかった。
もう、彼の事が分からない。
違う、きっと分かったつもりでいただけだったんだ。
2人だけで話す機会があって、彼の事を他の皆よりも知った気になってただけだった。
純君の一面を知っただけだったのに、全てを知った気でいただけだったんだ。
「そういえば、放課後買い物に行かない?ちょっと秋物みたいんだけど…」
昼休み、一緒にお弁当を食べてる友達からの遊びの誘い。
「あ…でも、真央は伊藤君の補習あるっけ?」
「…もういいの。せっかくだから私も行く!」
そう、彼と補習をするつもりはなかった。
あの日までは来なくても週に2回、火曜と木曜はずっと教室でいつも待ってた。
机を向かい合わせにして、彼がいつ来てもいいようにずっと空いた席を見つめていた。
また一緒に話をしながら、楽しく勉強できるって思ってたから。
けれど、あの日を境に待つ事を止めた。
先生にもすでに補習は参加出来なくなったと伝えてある。
放課後、約束通り友達と二人で繁華街に向かう。
夕方は賑わってて、買い物に来てる人、他の学校の子達や会社帰りの人でごった返してる。
色んなお店を見ながら、よく買い物するファッションビルの前に差し掛かった。
「次はここ見ようよ!3階にあるお店好きなんだよね〜!」
「いつも行くとこでしょ!?私も好き…」
そう言って、友人の方を見ると彼女越しに、道路を挟んだ先のカラオケに向かって歩いている純君が見えた。
思わず足が止まる。
瞳に捉えた彼は冷たく貼り付けたような心のないあの笑顔で誰かに話しかけてる。
目を凝らすとその相手はこの間一緒に屋上にいた女の子。
彼女は腕を彼の腕に絡ませて、二人の身体は密着していた。
あの時の光景がフラッシュバックする。
「ちょっと!真央?どうしたの?」
不審に思った友達の声で現実に引き戻される。
「なんでもない…ちょっとぼんやりしちゃっただけ」
「もう!しっかりして!ほら?行くよ!」
友達について彼等に背を向けてビルに入る。
その後は、どんな服や小物を見ても何も欲しいと思えなかった。どんよりと曇った様な暗い気分になってしまったから。
きっと毎回補習をサボってあんな風に遊んでいたんだろうな。
酷く寂しい気持ちになった。
私がずっと待ってたなんて知らないだろう。
あの二人で過ごした夕暮れの時間が余りに遠く、幻の様にしか思えなくなってきた。
「二宮さん!教科書ありがとう!」
それからしばらくしたある日の休み時間、あははと笑いながら湯野君が私の席にやってきた。
数学の教科書を忘れてしまった彼に自分のを貸してあげたのだ。
「全然いいよ!」
湯野君の爽やかな笑顔を見てると少し気分が軽くなる。
「ほんと教科書にも色々書き込んであって、すごく分かりやすかった!さすがだよね!」
「そんな事ないよ。でも、役立ったならよかった」
「また借りに来ようかな」
「ダメだよ!きちんと自分の持ってこなきゃ。でも、もしまた忘れたら言って!ちゃんと貸すから」
楽しく2人で話をしていると突然、バンッと音がする。
それは教室中が静まり返る位の大きな音だった。
もちろん、私達の会話も遮られる。
音の発生源に視線を向けると純君が立ちあがり、机に手を叩きつけていた。
その姿に驚いたけれど、何だか遠巻き見てしまう。
眉間によった皺に過度に細められた瞳、歯を食いしばっている歪んだ口元…怒りに満ちているのは明白だった。
「くっそ…!何なんだよ…」
乱暴に吐き捨てて、鞄を持って教室から出ていってしまう純君。
その後ろ姿は全てを拒絶しているように見えた。
あぁ、全ては私の思い上がりだったんだ。
普段、クラスの皆や先生ともうまくいっていない彼が自分にだけ心を開いてくれた。
まるで、誰にも懐かない野良猫が自分にだけ心を開いてくれた時の様な
無意味な優越感と独占感に浸っていただけ。
まざまざとそれを見せ付けられた。
皆が帰った後、がらんと空いた教室で私は一人クラス当番の仕事をしていた。
日が傾き始めた窓の外からは、部活のかけ声が遠く聞こえる。
黒板を丁寧に、チョークの後が一点もなくなるように綺麗に綺麗に消した。
「失礼します…」
「ったく、また伊藤か…今度はH高の生徒と喧嘩とは…」
「彼も懲りないですよね、 この間停学になったばかりなのにまた問題起こして…」
職員室に当番日誌を提出に行くと、
純君が他校の生徒と喧嘩騒ぎを起こした事で慌ただしくなっていた。
担任の先生はいなくて、他の先生達がひそひそと話をしている声が耳に入ってきた。
…やっぱり、皆の言う通りだったんだ。
女遊びが激しくて、不良で人に暴力を振るう。
もう2度と彼には関わらないでおこう。
その方がいい。
教室へ戻る廊下の窓から外を眺めると、太陽が沈みかけていた。
強烈なオレンジが横から射し込んで、影が深くなる。
誰一人生徒が歩いていない廊下は寂しくて、普段は自分のものの様に思えるその通路が
まるで知らん顔でひどく他人行儀な感じがする。そして、何か得体のしれないものが息をひそめている気がした。
自分が何処かに攫われてしまいそうなそんな雰囲気。
―――さっさと帰ろう。
言い知れない不安と焦りを感じて廊下を走り抜けて教室のドアを開ける。
けれども、そこへ足を踏み入れる事は出来なかった。
「伊藤君…」
視線の先には今一番会いたくない人がいた。
顔には痣があるし、口の端の傷や目の下の絆創膏も生々しい。
炎の様な真紅の空を従えて私を強く見つめる姿は、とても綺麗でそしてなんだか怖かった。
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