▼ come home2
「徹、大丈夫?」
ソファに座った途端、私の肩を抱き寄せた彼に問いかける。
程良く柔らかく、けれどもしっかりと身体を支えてくれるソファに安心して身を委ねる事で何だか気持ちが大きくなって、素直に思った事を口にする事が出来た。
「あ?何がだよ」
「さっき、帰って来た時、すごく不機嫌だったからさ」
「まぁ、色々あんだわ。会社を経営してくって事はよ。お前には関係ねぇ事だけど」
私の髪の毛を手に取り遊びながら、伏し目がちにそんな事を呟く美しい人。
俯く睫毛の影が彼に憂いを与えていた。
やはり、20代で起業して会社を経営していくという事は並大抵の事ではない。
学生の頃は、よく講義や集まりをサボって飄々と自由を謳歌していた印象しかなかったけれど、やはり今は違う。
彼等の苦労を知らない私には、何も言えなかった。
「んだよ。んなしけた顔してんな。つーか、お前枝毛あるぞ」
大きく口を開けて意地悪に笑いながら、毛先が分かれた髪の毛をわざわざ見せつけてくる。
「ほっといてよ!しかたないでしょ!?痛みやすいのよ」
なんて怒れば、徹は更に笑い声を大きくする。
「そっちだってあるんじゃないの!?」
今度は私が反撃とばかりに彼の髪に手を伸ばそうとすれば、不意にその手を掴まれた。
さっきまでのふざけた雰囲気とは違い、強く深い眼差しで見つめられる。
余りに綺麗で息を飲んだ私は動けなくなってしまった。
そのまま私の唇に彼が自身のそれを重ねようとした所で…
「お待たせー!!」
環が三人分のコーヒーとお皿、ケーキの箱をトレイに乗せてやってきた。
「…お前、わざとだな」
舌打ちをしながら徹が私から離れれば
「さぁ?何の事?」
とぼけながら、ローテーブルにかいがいしくコーヒーカップやお皿を並べ始める環。
慣れた手つきの理由は、どうやら起業したばかりの頃、来客があれば自身でこんな風にコーヒーを出していたからとの事らしい。
徹が一家の主であるなら、彼はかいがいしくその周囲の世話をする女房役といったところだろう。
想像すると自然と笑みが零れる。
「しのぶ、改めましてようこそ我が家へ!」
「ありがとう」
歓迎の言葉と共に、環が箱から取り出したのは色とりどりの果実がのった大きなフルーツタルトだった。
「このケーキさ、徹が選んだんだよ。ね?」
「そうなの?」
「うん。”しのぶはフルーツタルトが好きだ”って自信満々に選んでたよ?」
その言葉にとても嬉しくなる。
「徹、覚えててくれたんだ…」
そう、大学生の時に一緒にカフェに行く事があると、よく私は大好きなフルーツタルトを頼んでいた。
一度壊れた関係でも、かつて友人だった頃の事を覚えててくれてたなんて…心の中が温かくなる。
「たまたまだ。ったく、余計な事言うんじゃねぇよ!環!」
照れ臭そうに顔を赤くしてそっぽを向いてしまう徹。
「なんで?いいじゃん!だいたいお前はいつも…」
私を挟んで2人が言い合いを始める。
懐かしいこの感じ。
やっぱり2人の根本は変わっていないのだと思い、契約の事なんて忘れてしまいそうになる。
”ご主人”と”ペット”という関係ではなく、あの頃と同じ友人として同居をするのではないかと思える。
そんな風にわいわいと楽しく三人でケーキを食べ終えて和やかな空気が流れる中、環が不意に口を開いた。
「しのぶ、俺達本当にこの日を楽しみにしてたんだよ?」
「え…?」
「これからずっと俺達のモノとして此処にいてくれるなんて…」
どこまでも優しい笑顔で、真綿で首を絞める様にそんな事を呟いた。
すると、先程までとは一転して、部屋の雰囲気が一気に重くなる。
心が翳っていく。
まるで、陽射しが分厚い雲に遮られて影を落とす様に。
そして、徹も無言で煙草を取り出し、火を点けた。
「まぁ、俺達もさすがにこの家から一歩も出るなとは言わねぇが、誰と何処に行くかは逐一報告しろ」
ふうっと紫煙を吐きながら、横目で私をじっと見つめる。
有無を言わさない、強い視線。
それは契約書にも書かれていたし、承知していたけれど改めて言葉にされると恐ろしい心地がする。
「そうだね。それに、俺達が知らないお友達の事や昔の事、何もかもを全部知りたいな」
にっこりと微笑む環の目の奥は妖しくキラリと光っている。
あぁ、この二人は私の世界をそのまま根刮ぎ奪うつもりだ。
自由を与えたふりをして、自分達が作った箱庭へと収めようとしている。
許されたのは表面的な彼等にとって都合のよい自由だけで、結局は支配される。
自分がした選択の哀しさと恐ろしさを思い知らされたのだった。
2015.11.17
天野屋 遥か
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