僕はたぶん、兄さんのことを愛していたのだと思う。

今となっては断言の仕様がないけれど。
…いや、今だから、言えることかも知れない。

少なくとも僕は、僕の二つ上の兄より、四つ離れた兄の方が好きだった。
とはいえ彼は、僕のことなんて一度も気に留めてくれたことなど無かったのだけれど。




「この度は、ご愁傷様で…」


ありきたりな挨拶の辞を述べて頭を下げている、恐らく親戚であろう大人たちを、同じく深々と腰を曲げて挨拶を返している兄の後ろからぼんやりと眺めていた。

父は僕が三つの頃に他界しているし、母は会場の隅で泣きじゃくっている。
僕の二つ上の兄も泣き腫らした真っ赤な瞳をしているけれど、何とか務めを果たそうと躍起になっているような気がした。

…務め?
何の?

昨夜からずっと、僕はそればかりを考えている。

こじんまりとした会場内には、たくさんの椅子と、たくさんの花や灯り。
それから、一番てっぺん。天に限りなく近い所に居る、兄の姿。

大きな額に入れられた彼は、ちっとも笑いやしなかった。
そういえば昨夜、テヒョン兄さんが「笑った顔の写真が一枚も無かった」と言っていたっけ。

大好きだった兄が愛したのは、僕ではなくテヒョン兄さんだった。
その彼ですら、一番上の兄の笑顔は貴重だったと言うのだ。
僕が見ようはずも無い。

僕はふふ、と、額縁の中の兄に微笑んだ。
それがどうしてだかは解からなかったけれど、何故だかそうしてしまったのだ。

嬉しいはずはないのに。
だって、大好きな兄は、僕には決して微笑んでくれないのだから。




「ジョングク」


気付けば僕はテヒョン兄さんに腕を引かれたまま立ちすくんでいて、ぼぅっとたくさんの花に囲まれた兄を眺めていた僕に、テヒョン兄さんが一輪の百合を手渡してきた。


「最後の、餞だから、」


ぽつり。
小さな小さな声で呟いた兄さんの言葉に、僕は首を傾げる。

兄さん、違うよ。
餞っていうのは、誰かを送り出す時に使う言葉だよ。

僕がそう言った途端、テヒョン兄さんは綺麗な顔をくしゃりと歪めて口元を手の甲で覆った。


「どうしたの、兄さん」

「っ…、いい、から。早く兄さんに、その花を渡してあげて」


背を向けて俯くテヒョン兄を、僕は少しの間見つめた。
けれど兄は中々こちらを振り返ってはくれなくて、僕は諦めて少し離れた所に安置されている大きな箱に足を向けた。

母と、二つ上の兄と、黒ずくめの参列者たちが啜り泣く音が聞こえる。

ゆっくりと歩み寄って、その箱の前に立つ。
上からそっと中を覗き込むと、僕が知っているよりも更に真っ白な肌の、僕が愛して止まなかった兄が横たわっていた。


「兄さん…?何だか今日は、とっても穏やかな顔をするんだね」


僕が見た兄は、いつだって何か思い詰めたような表情をしていたのに。

今日に限って彼は、笑ってこそいないけれど、ひどく安らかな顔をしているものだから。
何だか僕は恐ろしくなって、手にしていた百合の花を兄さんの薄っぺらい体の上にぽとりと落とした。

そのままテヒョン兄さんの元に戻ると、近くに立っていた人たちが、兄が横たわっている箱に蓋をした。
それから何やら一言二言告げて腰を曲げると、黒ずくめの集団を引き攣れて会場の外へ向かってゆく。
兄が寝ている箱と共に。

僕は兄がどこかに連れて行かれてしまうと思って、隣に立っていたテヒョン兄さんの手を握った。
二つ上の兄は、もう何も言わなかった。







「兄さんは、愛していたんだよ」


僕が久し振りにテヒョン兄さんの声を聞いたのは、あの大きな箱が真っ白な灰となって帰って来た頃だった。

さらさらとした真っ白な灰に意識を奪われていた僕に、テヒョン兄さんはそう言った。
そう言って、また俯いた。


「愛していたから、兄さんも俺も、苦しんだ」


真っ白な灰を指で摘まんで、ぱっと放してみる。
さらさら、さらさら。
どこかから吹く風に乗って、それは一瞬のうちに消えて見えなくなった。


「お前を愛していた」


まるで壊れた人形のように同じ台詞を繰り返すテヒョン兄さんの隣で、僕もただ、灰を摘まんでは風に放った。


「ユンギ兄さんは、お前のことを愛していたんだよ」


その瞬間、僕の中の兄が、死んだ。