鬼は弱り目に来ると言うけれど、不運という奴は本当に単体では来てくれないらしい。
言葉の弊害、文化の差異。
これまでに様々なことで障害を感じていたけれど、それももう、限界に近いのかも知れない。
日常生活に支障を来す程では無くなったといえども、仕事に置いてはまた別だ。
今日だってその所為で恨事を招き、同僚や上司に迷惑を掛けてしまった。
どうして異国にまで来たのかと問われれば、やりたかったことがあったからだ。
結局それも、夢半ば、志半ばに終わってしまったのだけれど。
自責の念に駆られながらも、どうしようもない物に八つ当たりせずには居られなくて。
「かっこ悪いな…」
もう苦笑も、溜め息すらも出ないみたいだ。
何もかもがどうでもよくなるって、こういうことを言うのだろうな。
そんなことを思いながら帰宅すると、柔らかな香りが体を包み込んだ。
「お帰りなさい、ウーファン」
玄関の扉を開ける音で気づいたのだろう、イーシンがふんわりとした笑顔で出迎えてくれた。
いつもはその言葉だけで疲れも忘れられるのだけれど、今日はそうも行かない様で。
荷物持つね、とか、お風呂湧いてるよ、とか。
彼の優しい気遣いに応えることすら、億劫に感じてしまう。
そんな自分に嫌気が差して、それにまたイライラする。
負の無限ループに陥りながら、後を付いてくるイーシンを振り払うようにして脱衣所に入った。
力任せに閉じた扉が、ばん、と強い音を立てる。
一切見向きしなかったから分からないけれど、きっとイーシンは驚いたような、悲しそうな顔をしているのだろう。
想像して、また自分に腹が立った。
昂ぶった感情のままに衣服を脱ぎ散らかしてシャワールームに入ると、バスタブには沸したての湯が張られていて、そこからもくもくと温かい蒸気が上がっていた。
イーシンはいつも、俺の帰宅に合わせて風呂を沸かしたり、食事を用意したりしてくれている。
どんなに帰りが遅くなろうとも、夕食は外で済ませてくると連絡しない限り、イーシンはいつも俺と一緒に食事を取るようにしていた。
それは俺が言いつけたことではなくて、彼がそうしたいのだと。
今日もきっと、いや、間違いなく、風呂を上がれば出来立ての夕食がテーブルに並んでいるのだろう。
ざああ、と熱いお湯を頭から被って、熱で熱を取るように。
体を一通り洗い流してから、たっぷりの湯に浸かって気を紛らわせた。
それでもやっぱり、不安や焦燥は消えてくれないけれど。
「ウーファン、髪べたべただよ」
碌に拭きもしないで出たから、ぽたぽたと髪から雫が零れ落ちる。
黙ったままリビングに入ってきた俺を見たイーシンが、先ほどと同じ様に笑った。
そっと包み込むように俺の頭にタオルを掛けて、まるで赤ん坊を撫でるみたいに。
その手がひどく温かくて、今にも吐露してしまいそうな弱音を隠す為に俯いた。
しばらくの間そうしていたのだけれど、イーシンがぽんぽん、と俺の頭を叩くから。
ほんの少しだけ顔を上げて見れば。
ふわり。
また彼が微笑んだ。
「ウーファン、ごはん、食べよう?」
今日はね、いつもより上手く出来たんだ。
そう言って笑うイーシンに押されて、静かに席に着く。
目の前に並べられたそれらは、俺の好物ばかりで。
「…いただきます」
小さく呟いて、温かな夕食に箸を付ける。
ゆっくりと口に運んで咀嚼すれば、一度耐えたはずの感情が止まらなかった。
ぽろぽろと涙があふれ出てきては、頬をしっとり濡らしてゆく。
「ほんと、かっこわり…」
涙だか鼻水だかでぐしゃぐしゃになった顔を、ぐいと拭う。
だけど手が追いつかない程こぼれてきて、格好悪い姿を見られないように、また下を向いて隠した。
「ウーファンは、世界一かっこいいよ」
そんな声が聞こえたと同時、顔を覆っていた両手をそっと取られて。
俯く俺を覗き込むように、イーシンが両膝を床に付いてこちらを見上げていた。
その表情はやっぱり、どこまでも穏やかで、優しい。
「僕にとっては、世界一かっこいい」
泣き顔はちょっぴり不細工だけどね、だなんて。
「いーしん、…」
「なぁに、泣き虫さん」
「…俺は泣き虫じゃない」
「ふふ、よく泣くくせに」
俺をからかって笑うイーシンに、それはお前だろうと言ってやりたかったのだけれど。
何だか釣られて、俺も少しばかり笑った。
「イーシン、…イーシン、」
「なぁに」
「…さっきは、ごめん…」
「うん」
「、あいしてる」
「うん、」
大丈夫、大丈夫だよ。
ウーファンならきっと、大丈夫だから。
やっぱり赤ん坊をあやすような声色で、仕草で、ふわりと包み込まれる。
その穏やかな温もりに抱きしめられて、またほんの少しだけ、泣いた。
愛しい泣き虫
本当はクリレイ夫婦パロの序章というか何というか、プロポーズ話にしようと思っていたのですが…。
クリス=かっこつけたがり(ちょいちょいダサい)→れいちゃんの前では紳士ぶりたい→でもヘマする、っていう方程式を考えていたら、いつに間にかこんなことになってました。笑