「もう別れましょう」


今度こそ本気なのだと、冗談なんかではないのだと。
最後を伝えるために真っ直ぐ目を見つめてそう言えば、つい先刻まで妻だった彼女は、ひとつ深い溜息を吐いて家から出て行った。

絶望とまではいかないけれど、何もかもを失くしてしまったような気分だ。
ふぅ、と酷く重い息を吐いて額に手を当てる。

俺から別れを告げたのは、なけなしのプライド、とでも言うのだろうか。

彼女が出て行った窓の先をぼんやり眺めていると、リビングの扉が静かに開けられる音がして。
緩慢な動作でそちらに視線を流せば、たった一つだけ残された、俺の大切な愛おしい存在。


「…みょんす、」


じっとこちらを見上げるまだ小さな息子に、そっと両手を伸ばして呼びせ寄せる。
おいで、という俺の声に眉を垂れ下げたミョンスは、小走りで駆け寄ってきた。

抱きついてきた子を抱き上げて、ぎゅうと抱きしめる。


「おとおさん、」

「、ん?」

「おかあさん、いなくて、さみしい…?」


嗚呼、と。
思わず声にならない声が口からこぼれ落ちる。

まだ4つにも満たない子どもに、俺は何て事をしてしまったのだろう。


「だいじょうぶだよ、おとおさん。みょんすがいるよ」


ふわり。
額に触れる、小さな手。

頭を撫でてくれようとしたのだけれど、まだ小さなその腕では俺の頭まで届かない。

だけど、だけどそれでも、その手はとても温かい。


「…父さんは、ミョンスがいるから寂しくなんかないよ」

「ほんとう?」

「うん、本当」

「えへへ、よかった」


みょんすも、おとおさんがいるからへいきだよ。

そう言って笑う我が子を抱きしめて。
俺はほんの少しだけ、泣いた。



***



最近、父さんが綺麗になった。

綺麗という言葉を男に、しかも実の父親に対して使ってもいい表現なのかはわからないけれど、確かにそう思わせる。
それは彼が外見に気を遣うようになったからなのか、よく笑うようになったからなのか。

僕にはまだわからないけれど、やっぱり綺麗だな、と思うのだ。


「ミョンス〜、今日の夕飯はから揚げだぞ〜!」

「え、家燃やさないでね?」

「燃やさないよ!」


失礼だな!と言いながらも可笑しそうに笑う。

いってらっしゃい、という優しい声に送られながら玄関を開けると、不意に後ろから声が上がった。


「ミョンス、今日の帰りはいつもくらい?」

「ん?…うん、6時くらいかな」

「そっか…」

「何かあるの?」

「あっ、いや…」


そう言って、少し考え淀む父さん。
なんだろうと次の言葉を待っていると、何だか言い難そうに父さんが俯いていた顔を上げた。


「ミョンスに会わせたい人がいるんだ」

「…じゃあ、ちょっと早く帰って来た方がいい?」

「え、っと…うん、そうしてくれるか?」

「わかった」


じゃあ、行ってきます。

ひらり、父さんに手を振って家を後にする。
愛用の自転車に乗り込みながら、最近よく笑うようになった彼の笑顔の理由を考えていた。



***



「初めまして、ミョンスくん。ナムウヒョンです」


にっこり、柔らかくて人懐こそうな笑みを浮かべた彼は、自分の名を名乗りながら僕に右手を差し出した。
ウヒョンさん、の隣でどこか落ち着きなさそうにそわそわしている父を目の端に捕えながら、差し出された男らしい手のひらを握る。


「キムミョンス、です、…」


ぺこ、とお辞儀をして、もう一度彼を見上げる。
すると彼は、にこにこしながら頭を撫でてくれた。


「ミョンスくんは高校2年生なんだっけ?どう?学校楽しい?」

「あ、はい…」

「そっか、それはよかった。ミョンスくんカッコイイから、すごくモテるんじゃない?」


ソンギュと違って、と続けた彼に、父さんがちょっぴり怒ったように彼の背中を叩く。

“ソンギュ”という呼び方に、嗚呼、そういうことか、と納得した。


「ミョンス、俺、この人と再婚したいと思ってるんだ」


まあ、同性婚は事実上無理なんだけど、と苦笑する父さん。
彼が自分のことを“俺”と呼ぶのを久し振りに聞いたな、と思いながら、僕は静かに頷いた。

父さんより2歳年下の彼は、すごく話しやすくて無邪気な人だった。
だけどとても落ち着いた雰囲気で、なるほど、父さんの好きそうな人だ。

この人なら、父さんを幸せにしてくれるかもしれない。
ただ純粋に、そう思った。


「すぐに、とは言わないけど、近い将来一緒に暮らしたいと思ってる」

「うん、僕は大丈夫だよ」

「ほんとか?」

「ミョンスくん、無理しなくていいんだよ?」

「いえ、本当に。むしろすごく、嬉しいです」


同じような表情で僕を見つめてくる2人に、ちょっぴり笑みがこぼれる。

籍は入れられないけれど、記念旅行なんかに行けたらいいな。
なんて思いながら、目の前でああだこうだ言い合っている2人を眺めた。


「…ウヒョン、お父さん」

「、えっ?!」


そう言えば、僕はこれから彼のことを何て呼べばいいのだろう。
そう考えているうちに自然と呟いてしまっていたらしく、僕の声に反応した2人がぱちくりと目を瞬かせる。

始めは驚いていたウヒョン…さんが、徐々に嬉しそうな表情に変わっていって。
なんだか急激に恥ずかしくなってきて、僕は少し火照った顔を隠すためにグラスに注がれていた水を口に含んだ。


「ソンギュ、聞いた?!お父さんだって!お父さん!」

「ばか言うなよ!ミョンスの父親は俺だ!」

「ソンギュ聞いてなかったの?ミョンスくんがそう認めてくれたんじゃん!」

「違う!呼んでみただけだ!」


…なんというか、そこら辺の高校生より騒がしい。
でも、なんだろう。
こんなにも楽しそうにしている父さんを見るのは、本当に久しぶりかも知れない。

喜んだり、はしゃいだり、父さんがそんな風に感情を表すのは、決まって僕に関することだったから。
僕以外のことで、いや、彼自身のことで楽しそうにしている姿が、すごく綺麗だと思った。


「父さん、」

「ん?」

「何、ミョンスくん?」

「だから、ウヒョナじゃねぇよっ」


きっと、幸せになってね。

そう心の中で囁いて、相変わらずぎゃあぎゃあ言っている夫婦に僕はこっそり微笑んだ。




遠回りのハッピーエンド









なんという尻切れトンボ…。
そしてまさかのキムブラ親子パロ\(^o^)/
自分で書いていても違和感ありまくりでした。













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