「あっ、ソンギュまた煙草吸ってる!」


も〜、だめって言ったじゃん!と騒ぎ立てながら俺を指さしてくる小煩い男、ナムウヒョン。
お前はどこぞの主婦か、と思いながらも完全無視を貫く。

こいつがここに来てから、早1か月。
仕事帰りに声を掛けられ、あれよあれよという間に自宅へ到着し、いつの間にかバックポケットから抜き抜かれていた部屋の鍵で勝手に家に上がり込まれたあの日。

あれには流石の俺も結構焦ったが、結局ウヒョンを居候として迎え入れなければならないハメになってしまった。


「ソンギュってば、聞いてる?いい加減煙草やめなよ」

「無理」


煙草はお前よりも大切なものだから。

そう言いながらわざと煙を噴かすと、ウヒョンはこれでもかという程顔をしかめ、煙たそうにゲホゲホと咽た。
全く、失礼な奴だ。


「おい、居候」

「あのね、ソンギュ。いつも言ってるけど、煙草は百害あって一利無しなんだからね?」


ふぅ、と紫煙を燻らせる俺に呆れたような顔のウヒョン。
見た目も言動も全てチャラいくせに、ウヒョンは煙草も酒も嫌う。

ギャップありすぎだろうとも思ったけれど、別にそんなことはどうだってよかった。


「ソンギュ、知ってる?」

「あ?」

「煙草って、赤ちゃんの時にお母さんからおっぱいを貰い足りなかった人が吸うものなんだって」

「げほっ!」


ウヒョンの突拍子もない発言に思わず咽返る。
ゲホゴホと咳き込む俺の背中を撫でながら、平然とした顔で大丈夫?などと問うてきたので、奴の鳩尾に一発お見舞いしてやった。


「いったぁ…!ほんと暴力的なんだから…」

「お前が変なこというからだろ!」

「だって本当だもん!」

「“だもん”とか言うな!気色悪ぃ!」


このぶりっ子め!と言いながらもう一発殴ってやろうとしたけれど、今度はけたけた笑い声を上げているウヒョンに腕を掴まれて不発に終わった。


「お前さぁ、……もういいわ」

「え、なに?」

「何でもない」

「ん?俺のおっぱい欲しいの?」

「絞め殺されたいのか?」


キッと睨み付けてやるも、何が可笑しいのかとても楽しそうに笑うウヒョン。
本当に面倒くさい奴を拾ってしまったと何度目かの後悔をしながら、煙草の火を消して寝室に向かった。







ブルーマンデーとは、本当に良く言ったものだと思う。

朝目覚めた瞬間からこれから続く1週間のことに落胆し、日が沈むと共に残り4日間のことを考えて溜息を吐く。

ふと腕時計を確認すれば、長針は午後8時過ぎを指している。
今週は定時で帰れる日はあるのだろうかと考えながら、少し急いで荷物をまとめ会社を出た。


ウヒョンが居候になってよかったと思うことは、何と言っても家事をしてくれることだ。
朝はコーヒーも淹れてくれるし、夕食も結構凝ったものを作ってくれる。
洗濯も掃除も一手に引き受けてくれているウヒョンは、まあ、正直に言えばとても有り難い。

元々料理なんてしない上にあまり器用ではない俺は、年中散らかり放題の部屋で食事もまともに取らないという、不健康極まりない生活を送っていたから。

食糧を買ってくるから食費をくれと言われた時は少し戸惑ったし疑いもしたが、存外律儀な性格のウヒョンは、買い物後きちんと釣銭まで返してくれた。

料理も彼に一任してみたのだけれど、久しぶりの手料理だったこともあって、箸が進むままにぱくぱくと食べてしまった。
味も文句ない程美味しかったが、そんな俺を見たウヒョンがくすくす笑ってきたから、美味しいなんて言葉は一言も言ってやらなかったけれど。


「今日は何かな」


なんて、柄にもなく夕食のメニューを当てるのがこっそり楽しみになっていたりするのも、あいつには絶対に教えてやらない。

差し込んだ鍵を回して玄関扉を開けると、キッチンの方から漂う美味しそうな香り。
鼻を鳴らしてメニューを考えていると、奥の方からひょっこりと顔を出したウヒョンが俺に気付いてにこりと笑いかけてきた。


「お帰り、ソンギュ」

「ん、ただいま」


もうこれを数十回と繰り返してきている訳だけれど、何度やっても慣れない。
胸を擽る恥ずかしさが込み上げてきて、未だにウヒョンの顔を見ながら返事をすることが出来なかったりする。

今日はクリームシチューだよ〜、と間延びした声で告げるウヒョンに一つ頷きながらダイニングへ向かう。
そこにはもう食器が綺麗に並べられていて、俺が席に着くと同時にウヒョンが皿に盛り付けてくれた。

でもそこでふと、あることに気付く。


「?一人分?」


お前はもう済ませたのか?と問おうとすると、付けていたエプロンを外しながらウヒョンが申し訳なさそうに口を開いた。


「ソンギュごめん、俺ちょっと今から出かけなきゃいけなくて」

「今から?」

「うん。朝には戻るから」


ごめんね、と顔の前で手を合わせるウヒョン。

こいつが夕方や夜半から出かけることは、今までにも何度かあった。
それについて何とも思わないことはないけれど、結局いつも朝方にはここへ帰ってくる。

どこで何をしているのかはいつかちゃんと聞いておかなければいけないとは思っているが、別に今日でなくともいいだろう。
そう考えて、出支度をしている居候野郎の背中をぼんやり眺めながら食事に手を付けた。


「じゃあ、行って来るね」

「ん、」


合鍵を指にぶら下げた手でひらひらと手を振るウヒョン。
その声に小さく返事をしながら、出来立ての温かいクリームシチューの具を口の中に放り込んだ。







「キムソンギュ〜!朝ですよー!」


シャッ、と勢いよく開かれるカーテンの音と、朝から喧しいウヒョンの声。
それに香ばしいコーヒーの香りが鼻孔をくすぐって、五感すべてが俺に朝を告げる。

起きないと、と思う反面、まだ寝ていたいと無意識に布団の中に潜ってしまう。
そんな俺からシーツを奪い去って、ウヒョンはいつもの甘い声で恐ろしいことを口にした。


「ソンギュ、会社遅れるよ?」


言葉の意味を咀嚼した瞬間、がばりとベッドから飛び起きる。
癖で時計を確認すれば、まだ出勤には時間があった。


「なんだよ、まだ余裕じゃん…」

「だめ。ソンギュいつもそう言って、結局バタバタするんだから」


何でも早めにするに越したことは無いよ。
なんて、やっぱりこいつはどこぞの主婦だ。


「ほらソンギュ、起きて」

「ん〜…」


ずるずると体をベッドから引きずり出され、まだ覚束ない足でダイニングへと向かうウヒョンに続く。
あくびをしながらがしがしと頭を掻いていると、おじさんみたいだと笑われた。


「はい、コーヒー」

「ん、」


席に着いて、既にシュガーとミルクが入ったコーヒーに口付ける。
ウヒョンはブラックを飲みながら、俺の前の椅子に腰かけた。


「あ、そうだ、ソンギュ」

「、んぁ?」

「これ、はい。居候代」

「…あ?」


すっ、と目の前に差し出されたのは、かなり分厚い茶封筒。
まだ覚醒しきらない脳でそれを手にしてみて、はたと気づいた。


「…はぁ?」


居候代?
一体何の話だ。

少し、いや、割と困惑しながら茶封筒の中を覗き込んでみると、そこには数十枚もの紙幣が入れられていた。


「…お前、働いてたっけ?」

「いや、仕事って言うか…うん、まあ、そんな感じ」

「……」


珍しく言葉を濁らせるウヒョン。
けれどそれは、特別言いづらいことだからという訳でもなさそうだ。

じっと目の前の居候を見つめる。
ソンギュ、目開いてる?などと失礼極まりない発言をしているウヒョンを探るように眺め、軽く30はあるであろう現金について問い質す。


「おい、居候」

「ん?」

「この金はなんだ」

「え、だから、居候代?」

「違う、そうじゃない。この金は一体どうしたんだって聞いてる」


俺こそ失礼かも知れないけれど、こいつがコツコツ内職をしているとも、きちんと仕事を見つけて働きに出ているとも到底思えない。

こいつが外に出るのは、買い物に行く時か、夜遅くに出かける時だけだ。


「…お前、なにやってんの?」

「何って、何が?」

「仕事じゃないんだろ?」

「ん〜…。わかりやすく言えば、ホストみたいなもの…かな?」


付き合ってるお姉さま方からのご威光だよ。

平然とそう言ってのけるウヒョンに、俺は沸々と湧きあがる怒りを感じた。


「…居候代なんか要らねぇよ」

「え?」

「こんな金要らない」

「……」


つまりこの金は、この居候野郎が女を抱いて手にしたものだということだ。

今の今まで夜半から出かけていくこいつを放っておいた俺も俺だけれど、ウヒョンがこんなことをしていたという事実が少なからずショックだった。


「俺はお前の家族でも先輩でも何でもないから言わせてもらうけど、」


自分を易々と売るような奴は嫌いだ。

そう言い放って、目の前の居候野郎に茶封筒を投げて返す。
ぱしん、と乾いた音が鳴って、ウヒョンの胸に当たって落ちた封筒から紙幣数枚が顔を覗かせる。

しばらくの間無言が続いたが、ウヒョンはただ、そっか、と言って小さく笑った。

俺はそれさえも許せなくて、テーブルの上でほかほかと美味しそうな湯気を立てている朝食には一切触れず、いつもの何倍もの速さで身支度をして部屋を出た。



普段より数十分も早く着いてしまった会社で、ウヒョンのことをぼんやり考える。

俺がウヒョンと出会った日。
親に勘当されたのだと話した彼に、今までどうしていたのだと聞いたっけ。

あの時ウヒョンは確か、知り合いの女の家を転々としていたと答えた。
今朝と同じ、何でもないような顔をして。


「…くそっ」


俺は元々、貞操観念やらそういった類の物に関してだらしない奴らのことを良くは思っていなかった。
だからあの日も、ウヒョンのことを荒んだ口調で攻め立てたのだけれど。


「風俗みたいじゃねぇかよ…」


あいつのことだから、セックスを商売としているのではなく、“たまたま抱いた女が気前よく金をくれた”だけ、…なのだろうけれど。
断ることも突き返すこともせず甘受するだけのウヒョンは、抱いてくれれば金を出すという女の言葉を笑って受け入れていたのだろう。

想像して、吐き気がした。


「さいあく…」


その日一日は、本当に最悪の気分だった。







「どこ行ったんだよ、あの居候…」


最悪の気分のまま、どんな顔をして帰ればいいのかと頭を悩ませながら帰宅した俺を待っていたのは、久方ぶりに目にする暗闇だった。

ウヒョンはいつも部屋中の電気を灯していたし、夜から出かける日でも必ず俺が帰宅してからだったから。
玄関を開けて、誰にともなく呟く“ただいま”の言葉。

キッチンを覗いてみても、ダイニングを覗いてみても、そこに彼の姿はない。
携帯電話を確認しても連絡は入っていないし、置手紙も何もない。

出て行った、のだろうか。
今朝の俺に呆れて?居辛くなったから?

いや、そんなことはどうだっていいじゃないか。
久し振りに一人でゆっくり過ごせるのだから。

そう考え直した俺は、食事も取らずにソファに倒れ込んだ。


「香水くせ…」


ウヒョンの香水の香りが染みついたソファの上。
ぐるりと部屋を見渡してみる。

割と綺麗に片づけられた室内。
けれどよく見ると、至る所に居候野郎の私物が転がっている。

音楽プレーヤー、ゲーム機、マンガ、畳まれずに放置されている洗濯物。
きっと風呂場のハブラシも、少し高いシャンプー類も、昨日のままにされているのだろう。


「誰が買ってやったと思ってんだ、あの野郎」


生活用品を買いそろえるために朝から2人で出かけた日。
両手いっぱいに荷物をぶら下げたウヒョンが、買い物メモと睨めっこする俺に向かって笑ったことがあった。

ソンギュ、主婦みたいだね。
そう言って笑う居候に、俺は「お前は俺のヒモ野郎だけどな」と言って返したっけ。


買い物に行く前、今は手持ちがないのだと困ったように眉尻を下げるウヒョンに、いつか絶対返せよと言ったのは俺だけれど。


「あんな金、誰が受け取るかっつーの…」







結局俺の居候は、あれから4日経っても帰って来なかった。

会社の帰り、華金だからと同僚に飲みに誘われたが、何となくそんな気分じゃなかったから断った。
もしかしたらあいつが帰って来ているかも知れないと思ったから、なんていう甘ったるい理由ではない。

そもそもあの部屋は俺の家であって、あいつの帰る場所なんかじゃない。
だって、所詮は”居候“なのだから。

未だそのままにしてあるウヒョンの私物を見る度に何故か腹が立つのだが、結果的にはこれでよかったのかもしれない。

あと3日待って、何の音沙汰もなければ私物を全て処分しよう。
そう考えながら寝室に向かおうとすると、玄関の方から物音がした。

まさかと思いつつも、無意識にリビングのドアに視線を送る。

静かに開いた扉の向こう。
ばっちり合った視線に、少し驚いた表情のウヒョンが居た。


「……どちら様ですか」

「えっ?!」


動揺しすぎて思わず口にした言葉。
そんな俺にウヒョンは今度こそ驚きの声を上げると、しばらくの間ぽかんとした後、申し訳なさそうに苦笑した。


「ごめん、ソンギュ」

「……」

「ごめんね、」


何がだよ、と問いたかったけれど、今の俺からは何の言葉も出ない。

何で帰ってきたんだよ、とか、そもそも帰って来たのか荷物を取に来たのか、とか。
色々と言いたいことはあるはずなのに。


「…ねぇ、お兄さん。可哀想な俺の話、聞いてくれる?」


困ったように笑いながら俺の顔を覗き込んでくるウヒョン。

この台詞、どこかで聞いたことがあるのだけれど。一体どこだったか。
考えて、けれどすぐに答えは見つかった。


「俺ね、帰るとこないの」


だから、俺のこと飼って。

そう言ったチャラ男に、俺はこれでもかというくらい怪訝な顔をしてやった。




なむ、飼いました。



「ところでお前さ、4日もどこほっつき歩いてたわけ?」

「あ、気になるんだ?」

「うるせーよ」


すぱんっ、と調子乗り野郎の頭を叩いてやる。
本当、こいつはすぐに調子に乗るから困る。

初めてウヒョンと会った時もそうだったなぁと思い返して、小さく笑う。


「俺さ、この間ソンギュにお金渡したじゃん?」

「…うん」

「あのお金をくれたお姉さま方のところに行ってたの。全部切ろうと思って」

「……」

「あ、セックスはしてな…いや、した子もいるけど」


こいつ、まじで殴り殺してやろうか。
なんて。俺にはそんなことを言う資格なんか無いけれど。

やっぱり何となく腹が立って、キッ、と睨み付けてやった。


「ごめんごめん、睨まないでよ。最後に抱いてくれってせがまれて、俺も大変だったんだから」

「お前ほんと殺したい」

「俺、愛されてるね」

「黙れこのクソ居候野郎」


くすくす笑いながら頬に触れようとしてくる居候野郎の腕を掴んで跳ね除ける。

汚い手で触るんじゃねぇよ、と軽蔑の目で訴えたら、少し悲しそうに微笑まれて。
その顔にちょっぴりどきりとしたなんて、口が裂けても言えない。


「ねぇ、ソンギュ。お願いがあるんだけどさ、」

「あ?」

「その”居候野郎“って言うの、やめて欲しいなぁ、なんて」

「じゃあ“ヒモ野郎”」

「うん、それも嫌なんだけど…」


今まで居候という呼び名でも返事をしていたのに、急になんだよ。
わがままな奴だな、と眉を顰めながらもウヒョンの次の言葉を待つ。

するとウヒョンは、一度俺に跳ね除けられた手を伸ばして今度こそ頬に触れてきた。


「俺を、ソンギュの“居候”じゃなくて、“同居人”にしてください」


不意打ちすぎるその言葉に戸惑いながら。
けれどやっぱり、こいつは正真正銘のばか野郎だ、なんて。


「…このばか同居人」


最後まで可愛くない暴言を吐く俺に、ウヒョンはありがとう、と言って嬉しそうに笑った。











azu様よりキリ番リクエストを頂いていた、『なむ、拾いました。』の続編でした!
azu様、長らくお待たせしてしまい申し訳ありません(>_<)

今回のお話ですが、ナムにもソンギュにも“情”と呼ぶには安すぎる、つまり少なからず”愛情”が芽生えてきたかも知れない、という内容でした。
とても分かりにくいですが…。笑

azu様、リクエストありがとうございました!(^-^)
















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