こいつとだけは友だちになれない。
練習生時代、ずっとそう思っていたのに。
いつからだっただろう。
こんなにもこいつが大切で、失くしたくないとまで思うようになったのは。
ごろん、と床に寝転がったままアイスバーの袋を破いて、冷たいそれをぺろりと舐める。
美味い。
口の内でそう呟きながら、ソファに腰かけて雑誌を読んでいるウヒョンを眺めた。
世界で一番近くにいた人
新リーダーが発表された。
今までずっと一緒に頑張ってきたヒョンが、事務所を辞めたからだ。
だけどまさか次代のリーダー役に俺が抜擢されるとは思いもしなかったし、もっと他に適役が居るだろうと疑問に思った。
…疑問?
いや、違う。
とにかく俺は、”リーダー”という、酷く重たくて古錆びた軛に囚われていたのだと思う。
それでも上の決めた指針には素直に従うしかなくて、結局俺はその桎梏に足を捕えられ、いつ転んでも可笑しくない状況だった。
いつだって不安定で、何もかもがめちゃくちゃで、全てが気に食わなかったのだ。
「何でそんなに怒るの?何にそんなにイラついてるの?」
悔しそうに唇を噛んで俯くミョンスの肩を、ソンヨルがきつく抱きながら俺を睨み付ける。
「俺たちのためなの?ヒョンは本当にそう思ってる?違うだろ?」
今のは只の八つ当たりだ。
そう吐き捨てるように言葉を発したソンヨルは、とうとう泣き出してしまったミョンスを抱えて部屋を出て行った。
ばたん、と強く閉じられた扉が唸る。
「…なんだよ、一番最後に入ってきたくせに」
むしゃくしゃした感情を持て余したまま、二人が出て行った扉を睨む。
ぎりぎりと掌を握り込んでいる俺を苦々しい表情で一瞥したドンウが、何か言いたそうにしながら口を開いた。
けれどその口はすぐに閉ざされ、口角が下を向く。
もう一度俺にちらりと視線を寄越したドンウは、小走りで練習室を飛び出した。
きっとあの二人を追いかけて行ったのだろう。
その事実にもまた、負の感情が俺の体を重くした。
「…少し休憩しよう」
静かに、けれど確かな威厳を持ってホヤが溜息を吐く。
壁際の隅に置いてあったタオルとドリンクを手にした彼は、おどおどと室内の様子を窺っていたソンジョンの手を引いて部屋を後にした。
また、ぱたん、と閉まるドア。
その音が両耳を震わせたと同時、俺はへなへなとその場に座り込んだ。
イライラが収まらない。
かといって物に当たる訳にもいかず、当たろうにも当たる物が無くて、腹の中をうごめくどす黒いものは肥大する一方だった。
「何なんだよ、・・・」
全部俺が悪いのか?
リーダーだから?
込み上げてきた涙を、ぐっと痛いくらい唇を噛んで耐える。
しばらくの間そうしていて、ようやく涙が沈んでいった頃に顔を上げると、もう一人のメンバーが壁に寄りかかりながら水を飲んでいた。
「…お前は出て行かないのか」
ナムウヒョン。
こいつは本当に自分勝手で、言うことを聞かなくて、そのくせ変に神経質で。
自分に必要なものと不必要なものをはっきり判断して分別しているこいつとは、絶対に仲良くなれないし、ならないと思っていた。
そう心に誓ったと言っても過言ではないくらい、俺はこいつのことが苦手だ。
何故こいつが今こうして練習室に残っているのかは知らないが、正直、ホヤたちと共に出て行ってほしかった。
…みんなに置いて行かれて腹を立て、少なからず傷ついていたくせに。
自分勝手なのは、俺の方だ。
「お前も出て行けば」
つくづく俺は、素直じゃない。
だけどやっぱりこいつと二人きりというのは、想像以上に気まずくて。
それにさっきの一連の流れを見られていた訳だから、もう俺のプライドはズタズタだった。
「出て行って欲しいの?」
不意に掛けられた、低い声。
その声に下を向いていた顔を上げるけれど、ウヒョンはちらりともこちらを見ない。
「…出てけよ」
「嘘。出て行って欲しくないくせに」
「はぁ?」
何言ってんだ、こいつ。
思わず歪む顔も、睨むような視線も、俺の方なんか一切見ていないウヒョンには効果なんてある訳がなくて。
腹が立つし、訳が分からないしで、俺はただひたすらにウヒョンを睥睨した。
「代わってあげようか、リーダー」
「…え?」
唐突に投げかけられた言葉に、動揺する。
だけどウヒョンは、そんな俺をも無視して話を続けた。
「リーダーなんて、誰にでも出来るよ」
「…」
「ドンウにもホヤにも出来るし、俺にだって出来る」
だけど。
そう言って、ウヒョンは一度言葉を切った。
「俺には、嫌われ役は出来ない」
嫌われたくないしね、と続けたウヒョンが、また一口水を飲んだ。
「初めからみんなに好かれてるリーダーは、リーダーじゃない。そんな奴は、すぐに潰れて消えるよ」
わけが、わからなかった。
ウヒョンの紡ぐ言葉が上手く飲み込めない。
ごくりと音を立てて喉を上下させてみても、結局は胃が消化しきれなくて、大きな塊が閊えるような心地。
「リーダーって、要は嫌われ役でしょ?」
「…なんだよ、それ」
「だってそうじゃん。みんなのこと叱って、嫌なことを強要するのが仕事だし」
「…だから俺がみんなから嫌われてるって?」
イライラ、イライラ。
負のスパイラルに囚われたままそう口にすれば、ウヒョンはくすくすと可笑しそうに笑った。
嗚呼、腹立たしい。
「俺はお前が嫌いだよ、ウヒョナ」
「うん、知ってる。俺も嫌いだよ、ヒョンのこと」
くすり。
ウヒョンの喉元が動く。
俺が無言のままで居ると、彼は手にしていたペットボトルにキャップをして、ボトルを適当に投げ捨てた。
「まあとにかく、」
言葉の続きを聴きながら、ウヒョンが放り投げたペットボトルを見つめる。
ちゃぷん、ちゃぷん、と中の水が揺れていた。
「ヒョンはとことん、嫌われればいいんだよ」
俺が、支えるから。
「、え…?」
思いもよらぬ言葉に、ぱっと顔を上げて彼の顔を見上げれば。
鏡越しに、俺の知らない力強い瞳とゆらゆら揺れる己の弱弱しい瞳が、重なり合った気がした。
「なぁ、ウヒョナ」
ソファに腰かけ雑誌を読み進めているウヒョンを、食い入るように見つめる。
「ソンギュ、アイス垂れるよ」
不意にウヒョンにそう言われて手元を見れば、たらりと溶けたアイスが俺の手を伝っていた。
それをぺろりと舐めとって、もう一度彼を見る。
その目はやっぱり雑誌に落とされたままで、相変わらず俺を見ようとはしてくれない。
「なぁ、ウヒョナ」
「ん?」
「俺はお前が嫌いだよ」
「うん、知ってる」
ふふ、と。
穏やかに笑いながら、ウヒョンがようやくこちらを見た。
「俺も嫌いだよ、ヒョンのこと」
やっぱり力強い彼の瞳と、相変わらず弱いままの俺の瞳が、またゆっくりと重なり合った。