「お兄さん、かっこいいね。俺のこと飼わない?」


見ず知らずの人に、それも男に突然意味不明な発言をされた場合、間違いなく普通の人間は不審がるだろう。

俺もごくごく一般的な人間、つまり凡人なわけで、例に洩れず心の底から怪訝な顔をしてしまった。


「…はぁ?」


お前誰だよ、とか、突然なんだよ、とか。
そんなことを思うよりもまず、こいつ頭大丈夫か?なんて心配してやった俺、優しい。

でも表情は至って真面目に危ぶんでいるであろうに、当の本人はそんなこと気にも留めていないのかにこにこしている。


「ね、俺を拾ってよ」

「……」


ただでさえ仕事帰りで疲れているといいうのに、変な奴に出くわしてしまった。

はぁ、と大きく溜息を吐いて、俺より幾分背の低い男の横を通り過ぎた。
こういう輩は無視するに限る。


「え、ちょっとお兄さん、聞いてる?」

「聞いてない」


何事もなかったかのように歩き始めた俺の後を、慌てたように付いてくる男。

キャッチか?
でもそれなら尚更お断りだ。


「俺、行くところないんです。助けてよ、おにーさん」


ひょこっ、と俺の顔を覗き込んで、困ったように笑う。
鬱陶しいなぁと思いながらちらりとそいつに視線を落とすと、ばっちり目が合ってしまった。

眉を下げながらもやっぱりにこにこ笑っている男の顔は、まあまあイケメンの部類だ。

って、そんなのどうでもいいけど。


「お兄さん、カワイソウな俺の話、聞いてくれる?」

「聞かない」

「やん、冷た〜い」


ふざけた口調にほんの少しイラッとしながらそいつを睨むと、何故か嬉しそうに笑われた。

心底意味が解らない。

…つーか、


「どこまで着いてくんだよ」

「え?お兄さんのお家まで」

「はぁ?」


思わず立ち止まる。

すると俺の横を着いてきていた男も歩みを止めて、可愛らしく小首を傾げて見せた。


「俺のこと、飼って」


また口元が、いや、今度は顔全体が歪んだ。
やっぱりこいつ、頭オカシイ。


「…もうお前、着いてくんなよ。俺の家がバレるだろ」

「だから、飼ってよ」

「ペットショップに帰れ」

「え〜」


え〜、じゃねぇよ。

そう言ってやったら、ぷくーっと頬を膨らませる、謎の男。

そもそも、突然道端で声を掛けられて「俺を飼って」なんて言いだす輩を、「はいはいそうですか」って家に上げてやる馬鹿がどこに居る。

少なくとも、俺はそんな馬鹿じゃない。

空気を含んだ頬がまるでハムスターみたいな奴だな、なんて思いながら、止まっていた右足を再び前へ押し出した。


「ねぇ、お兄さあん」

「うるせぇどっか行け」

「ひどいなぁ。ペットでいいからさ〜」


ペットショップに帰れ、と言ったのは確かに俺だけど、自分をペット同様に扱っていいなどと口にする男に思わず呆れて溜息を吐いた。


「お前なぁ、自分はペットでいいとか、そんな簡単に言うな」

「でも俺、お兄さんが望むなら何にだってなるよ」


猫がいい?犬がいい?
なんて言いながら、動物の鳴きまねをする男。

基本的に俺は動物が苦手なので、どっちも要らねぇよ、と返しておいた。


「俺、ほんとまじで行くとこないんですよ」

「家出したならとっとと帰れ」

「家出じゃなくて、勘当されたの」

「あっそ」

「あれ、驚かないの?」


何でだよ、と思いながらただひたすらマンションを目指す。

隣の男は、う〜ん、と何やら考えていたが、それも無視してやった。


「お兄さん、気にならないの?」

「ならない」

「幼気な少年が家から追い出されたっていうのに?」

「お前もう少年じゃなくて青年だろ」


あ、バレてた?俺これでも若く見られる方なのにな〜。
とか何とかほざいているふざけた野郎を軽くあしらって、小さく鼻で笑う。

勘当なんて、どうせフラフラほっつき歩いてたからに決まっている。
女遊びの激しそうな顔してるし、などと思いながら歩いていると、やっと自宅マンションに着いた。

エントランスに入るためにロック解除キーの前に立ちながら、まだ後ろに居るチャラ男に声を掛ける。


「俺帰るから、お前も家帰れ」

「お兄さん、ほんと人の話聞いてくれないよね。俺、家無いんだってば」


はぁ、とわざとらしく溜息を漏らす男をちらりと見てから、ピッピッ、と暗証番号を入力する。

軽快な音を立てるタッチパネルをじっと見つめた後、男がにやりと笑って口を開いた。


「お兄さん、何だかんだ言って人のこと放っておけないタイプでしょ」

「…はぁ?」


今日は眉を寄せすぎて、眉間にシワが出来そうだ。
もちろん、目の前のこいつの所為で。


「口では関心ないようなことばっか言ってるけど、実は心配してくれてるんでしょ?」

「勝手に言ってろ」


その自信は一体どこから湧いてくるんだ、と呆れつつも、意外に鋭いこいつに少しだけ驚く。
…いや、別に心配も何もしてないけど。


「つーかお前、今までどうしてたんだよ」

「あ、やっと関心示してくれた」

「…帰れ」


ふふ、と嬉しそうに笑う隣の男を顔を歪めながら睨みつけてやると、不意に男らしい手が伸びてきて。

なんだなんだと身構えていると、ぐりぐりと眉間のシワを伸ばされた。


「女の子のお家を渡り歩いてました」

「……」


ぐりぐり、ぷにぴに。
俺の眉間を触りながら飄々といい退ける男の手を、ぺちんっ、と叩き落とす。


「…チャラ男」

「うん、見た目だけね」

「嘘吐け」


ヤることヤってたんだろ、と言えば、厭らしく微笑みながら今度は首に手を這わされた。

ぞくり、背筋が震える。


「お兄さんのことも、キモチよくしてあげよっか?」


俺、巧いよ。
なんて、ふざけすぎたことを平然とぬかすこの野郎の頭を引っ叩く。


「いたっ」

「ホモはお断りだ」

「やだなぁ、俺だって女の子が好きだよ」

「じゃあオンナノコのところに行け」


そう言って、タッチパネルのエンターキーを押す。
ういーん、と静かな音と共に開いたドアを潜ると、案の定こいつも着いてきた。


「お兄さん、今彼女いないでしょ」

「黙れ」


なんだよその確信めいた言い方は、と内心腹を立てながら、エレベーター前まで歩く。

もう俺の部屋番号がバレることに関しては諦めたが、部屋にだけは絶対入れてやらない。
絶対、何が何でも、だ。


「このマンションにもたくさん女住んでるから、そこ行けば」

「うわ、お兄さん結構エゲツナイね」

「うるせーよ」


降りてきたエレベーターに素早く乗り込んでドアを閉めてやろうと試みたが、その前にするりと体を滑り込ませて中へと入ってきた。

ボタン押さないの?という声に今日何度目かの重い溜息を吐いて、8階のボタンを押す。


「溜まってるでしょ?俺が相手してあげるよ」

「馬鹿言えホモ野郎」

「えー、今のは割と本気だったんだけどなぁ」

「お前の言葉は全部冗談にしか聞こえねぇよ」


それに、何で俺が年下の、しかも男なんかに相手されなきゃなんねぇんだよふざけんな。

一息にそう毒吐きながらぐったりと壁に寄りかかると、チャラ男がまたにこにこしながらこちらに身を寄せてきた。

瞬間、するりと腰に腕を回される。
びっくりして顔を上げると、ぺろり、と柔らかい感触がした。


「、は……」


驚きすぎて唖然としている俺を余所に、エレベーターがこれまたふざけた音を立てて開いた。

俺今、舐められた、のか……?

少しざらついた生ぬるい舌が触れたであろう鼻のてっぺんを押さえて、事の犯人である男を見つめる。

だけど奴は何事もなかったかのようにエレベーターから降りて、閉まろうとするドアを押さえながら俺を振り返った。


「降りないの?おにーさん、」


チャリ、と目の前にぶら下げられたそれは、見慣れすぎた鍵だった。




なむ、拾いました。