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「鉛筆を置いてください」

カリカリと広い試験会場いっぱいに満ちていたペンの音が、試験終了を告げるチャイムと試験監の声で止んだ。
後ろから回答用紙を回して、シャーペンや消しゴムをペンケースに仕舞う。
コートを着込んでマフラーを巻き付けて試験会場を出ると冷たい風が肺に入り込んできてようやく大きく深呼吸ができた。

(とりあえず、終わったぁー…)

第一希望の入試が終わった。
宗介が寝坊しても大丈夫だなとか言うから昨日は目覚ましのアラームをこれでもかというほどセットしたし、なかなか寝付けなかったけれど試験の出来はまぁまぁだと思う。
まだ明日も試験が残っているけれどとにかく安心した。

校舎を出てキャンパスをぐるっと見回す。
事前に調べていた地図を頭に浮かべて、プール棟を探すべく受験を終えた人たちと逆流するようにして足を進めた。
水泳部のプールだけでなく陸上部のトラックやバスケ部の体育館なんかも敷地内にあるみたいで、さすがスポーツが強い大学だなぁと学校のパンフレットを見たときに思ったことを思い出す。
周りをきょろきょろと見ながら歩いていたら、大きな案内ボードに地図が載っているのを見つけた。

「えーっと、今ここだから…」

昨日宗介と新幹線の乗り場で別れてから、人と話したのはホテルの人やコンビニの店員さんくらいだったこともあってか地図を眺めながら独り言が漏れる。
大学は春休み期間らしいから生徒はほとんど歩いていないし、誰に聞かれるわけでもないだろう。
……と思ったのだけれど。

「どこ行きたいんだ?」
「…えっ」
「なんか探してんだろ、受験生?連れてってやるよ」

在学生だろうか、ジャージに身を包んでいて、いかにも「これから部活です」という恰好をしている男の人に後ろから声をかけられた。

「えっと、プールに行きたくて…」
「水泳部志望?にしてはちっちぇな」
「あっいえ、マネージャーのほうです」

プールと口に出した途端に頭のてっぺんから足先までジロリと品定めするみたいに見られた。
えっなに、怖い。
けれどマネージャー志望、と口にした途端に合点がいったようでパッと明るい表情と声色に変わる。

「マネージャーか!尚が喜ぶな。こっち、付いてきて」

どうしよう逃げたい、なんて思っていたらそう言ってわたしに背を向けて歩き出してしまう。
尚って誰ですか。
だけど彼が着ていたジャージの背中に、大きくローマ字で大学名とSWIMMING TEAMと書いてあるのを見て思わず「あっ」と声が出てしまった。
追いかけるようにして足を動かして横に並ぶ。

「水泳部の方ですか?」
「おう。二年の桐嶋だ、よろしくな」
「桐嶋さん、みょうじです。よろしくお願いします」

まだ合格しているかもわからないから入部できるかも決まっていないのだけれど「よろしく」と笑ってくれた桐嶋さんの顔を見たら自然に笑顔がこぼれた。
広い校舎を桐嶋さんについて歩いて、空気はひんやり冷えているけれどなんだか胸の真ん中は不思議な温かさが灯る。

「どうだった?」
「え?」
「試験。今日受けたんだろ」
「あっはい……まぁまぁ、だと思います」
「そうか。まぁ、あとは結果発表待つしかねぇよな」

大学敷地内にはいくつも大きな建物があって、そのうちのひとつがプールやジムの入っている施設だった。
「ここがプール」と言った桐嶋さんが口角を上げて教えてくれて、足を踏み入れれば塩素のにおいがして夏以来かいでいなかった香りが懐かしい。

「うわぁ…広いですね、レーンがたくさん、温水ですよね」

鮫柄のプールも立派だったし県随一と聞いていたけれど、ここのプールを見たらきっとハルは迷わずに飛び込むだろうな。
部員の人たちが各々の専門種目を泳いでいて、タイムを計っている人、流しているだけの人、とにかく部員も多い。

「あぁ。上はジムな」

桐嶋さんが指さした方を見上げればガラス張りのトレーニングジムが上の階にあって、汗を流している部員がいる。
大学生は身体つきもが大きいのだな、と見上げながらまた「わぁー…」と我ながらマヌケな声が漏れた。

「…口開いてるぞ」
「えっす、すみません。つい…すごいですね」

ぶはっと吹き出すように笑われて、なんだか恥ずかしい。

「いや、設備は確かに整ってるよな。あっおい、尚!」

桐嶋さんがプールサイドでファイルを抱えながら何かを記入していたジャージ姿の人に声をかけた。
色素の薄い髪の毛が振り返ったときにサラッと揺れて綺麗な人だなぁと男の人なのに思う。

「夏也、遅かったね。その子は?」

なつや、夏也?
桐嶋夏也って…どこかで聞いたことあるような…。

「悪い悪い。マネージャー志望の…そういえば名前聞いてなかったな」
「みょうじなまえです、よろしくお願いします!今日入試受けてまだ入学できるかもわからないんですけど…」
「みょうじさん、よろしく。芹沢尚です」 
「よろしくな、みょうじ」
「あっ桐嶋夏也、さん!」

思い出した、桐嶋夏也さん!
岩鳶中でハルと真琴の先輩だった人、わたしたちが一年生のときの三年生だしわたしは別の中学だったから直接の関わりは全くなかったけれど宗介の出ていた大会や記録会に行ったときいつも上位選手として名前が掲示板に貼り出されていた人だ。

「は?なんだよ急に」
「あっすみません、わたしも岩鳶の方の出身で、桐嶋さんの名前知ってました」
「え、そうなのか。どこの学校だ?」
「岩鳶高校です…七瀬遙と橘真琴ってわかりますか?」
「遙に真琴か!懐かしいな、尚」

二人の名前を出すと桐嶋さんがまたパァッと明るく笑う。
精悍な顔立ちだけれど笑うと途端に少年らしくなるんだな、と先輩に対して少し失礼かもしれないけれど思った。

「そうだね。二人は元気?」
「はい。ハルは東京の大学に水泳で推薦もらって、真琴は一般受験ですけど大学から東京に来るみたいです。二人とは水泳部で一緒で」
「そうかぁ。嬉しいね、夏也」
「あの…芹沢さんも二人のこと知ってるんですか?」
「うん。岩鳶中の水泳部だったんだ。彼らの教育係だったんだよ」

芹沢さんは柔和に微笑んでいて、こんな優しそうな先輩が教育係だったなんて羨ましい。

「尚はスパルタだったよな、あいつら入部したての頃は毎日しごかれてたんだぜ」
「えっそうなんですか?!」
「あはは、みんな全くなってなかったからね」

ニコニコと笑う芹沢さんを見ながら桐嶋さんが「こんな顔して厳しいんだ」と言う表情がなんだか誇らしげというか、嬉しそうというか、良い関係性なのだなとわかった。
中学からの付き合いは伊達ではないのだろう。

「みょうじさん、練習見学していくんならあっちのベンチにどうぞ」
「いえ、今日は少しプールの様子が見れたらなって思っただけだったので…もう帰ります」

実は明日も別の大学の入試で、と言えば「受験生は大変だなぁ」と桐嶋さん。

「そう。じゃあ校門まで送るよ」
「えっ悪いです、ひとりで大丈夫ですよ」
「なーに言ってんだ。受験生もみんな帰ってるだろうし制服の女子高生がひとりでキャンパス歩いてんの危ねぇだろ」
「そういうこと。あぁ夏也はただでさえ遅れてるんだからもう着替えてきて」
「あー……そうだな。みょうじ、うちに入って来るの待ってるからな」

プール棟の入り口までは桐嶋さんも見送ってくれて、来るときは桐嶋さんの横をちょこまかと付いて歩いた道を帰りは芹沢さんがわたしの歩幅に合わせて歩いてくれた。

「芹沢さんはマネージャーさんなんですよね?今更ですけど」
「うん、そうだよ。みょうじさんは競泳はやってなかったんだよね?」
「はい、わたし泳げなくて…どうしてわかったんですか?」
「筋肉のつき方とか、かな。なんとなく見ればわかるよ」

「みょうじさんは何学部を受けたの?」という問いかけに学部名を答えれば、「俺、そこの学部の二年生」と目尻を下げて教えてくれた。

「自分は泳げないけど、選手のサポートとか何か関われることがしたいなと思ってて」
「…うん。わかるよ」

芹沢さんが深い緑かかった目を伏せて言う。
彼の柔らかい雰囲気や下がった目尻とか瞳の色は、真琴に少し似ているかもしれない。

校門に辿り着いて「ここで大丈夫です」と芹沢さんに向き合うと、さっき桐嶋さんが言ってくれたように「またここで会えるの楽しみにしてるよ」と言ってくれた。
芹沢さんも桐嶋さんも初対面のまだ入部するとも決まっていないわたしに対してすごく気さくで親切で、ますますここに入りたいなぁという思いが強くなる。
もう試験自体は終わってしまっているけれど、どうか数日後に良い結果が出ますように。



(2018.01.22.)




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