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やらなくてはいけないことがあるというのは、余計なことを考えなくて済むということなんだなと気が付いた。

一月中旬に受験したセンター試験の出来は上々で、あとは一月末から二月にかけて行われる各大学の一般入試に向けてひたすら過去問や自分の苦手分野の問題をやり込む期間になった。
現役受験生は直前まで伸びる、という予備校や学校の先生に言われた言葉を信じて、少しでも頭に知識を叩き込む。
朝起きてから寝るまで、ご飯とお風呂以外は勉強しかしない生活は逆に何も考えずに済んで楽だった。

クリスマスの夜、真琴に余計なことを言ってしまった自覚はある。
「好きだった」なんて今更言ってもどうにもならないのに。
あのあと真琴から連絡なんて来るはずもなくて、三学期に学校に行って教室で顔を合わせたけれど、どう声をかけたらいいのかわからなくて挨拶すらできなかった。
目が合って、逸らされるのが怖くてわたしから先に逸らして、もう真琴のほうへ顔を向けることもしないでいるうちに自由登校期間になってしまった。





「よう」
「…えっなんでいるの?」
「江に電車の時間聞いた]

受験のために東京へ行く日の朝、地元の駅に着くと宗介が改札前のベンチで待っていた。

「なまえ、一人で新幹線乗ったことねぇだろ。乗り場まで付いてってやろうと思って」
「子供じゃないんですけど…」

唇を尖らせて言うと二泊分の荷物が入った重たいカバンを持っていたはずの右手がふっと軽くなる。
ベンチから立ち上がった宗介が、わたしが手に持っていたカバンを奪うようにして持ってくれたのだ。

「まぁ荷物持ちってことで。ほら行くぞ」
「わ、ちょっと待って…!」

田舎の電車は本数が少なくて、ターミナル駅で乗りたい新幹線に乗るためには地元の駅で電車を見送るわけにはいかない。
宗介がわたしのカバンを持ったままずかずかと進んで行くから追いかける形で電車に飛び乗った。

「宗介、今日学校は?」
「休みみたいなもん。岩鳶だって三年はもう授業ないだろ」
「うん。進路決まってる子たちは自宅待機してるみたい」

ガタン、ガタン、と電車が規則的な音を立てながら田舎道を走る。
流れて行く見慣れた景色を眺めていたら試験に赴くための緊張が少し和らいだ。

「…授業はねぇけど放課後は部活に顔出してる」
「えっ泳いでるの?」
「まぁ流す程度に泳ぐこともあるけど、ほとんどは後輩の指導だな」

いつもと変わらないあまり感情が出ない顔で言う宗介のことをまじまじと見てしまった。
後輩の指導、宗介が。
なんだか想像がつかないけれど意外と面倒見がいいところもあるんだ。
今日もこうやってわざわざ見送りに来てくれるしなぁ。

「あとはリハビリ兼ねて筋トレしたり。何にもしないと身体なまるし」
「…無理しないでね」
「あぁ。今は凛にも見張られてるからな。似鳥とかも意外と口うるせぇんだ」

思い出したかのように宗介がふっと笑った。

「なまえは、何日か東京泊まるんだろ?」
「うん。試験日程が二校詰まってて…二泊三日だよ。本命の大学近くのホテル取った」
「そうか、なら寝坊しても大丈夫だな」
「不吉なこと言わないでくれる?!」

本気で言っているのか和ませようと言っているのかわからなくてつい大きな声が出てしまった。
結局新幹線の乗り場に着くまでこんな調子でぽんぽんと会話が続いて一人で東京に行くという緊張は軽くなったような気がする。

「第一志望は試験明日だよな。明後日にもう一校受けてその日に帰るのか」
「そうだよ。第一志望が先に終わっちゃうの良いんだか悪いんだかって感じだよね」

今日の夕方に東京に着いて、明日が第一志望の試験。
次の日に別の大学の入試を受けて、その日のうちに新幹線に乗って帰って来る予定だ。
慌ただしいけれど、ここが山場。

「…なまえは、大学でも水泳部のマネージャーやるつもりあるのか?」

並んで座っていた駅の待合室のベンチで、不意にそんなことを聞かれて宗介の顔を見上げた。
膝の上に乗せていた自分の手を無意識にぎゅっと握りしめる。
水泳に関われることを、と思って志望校を決めたし、そのことは宗介だって知っているから改めて部活のことを聞かれて少しだけ戸惑うけれどしっかり宗介の目を見て答えた。

「…うん。やりたいなって思ってるよ」

どうして?と聞くと「あのな、」と少し言い淀むけれどその表情は少し前みたいに何を考えているのかわからない暗い瞳ではなくて、優しさが浮かんでいるように思えた。

「なまえの第一志望の大学の水泳部に、鯨津のときの先輩がいるんだ。連絡したら明日も部活あって一般の人も見学できるらしい」
「え、」
「別になまえが行くとかは話してないから行く行かないはお前の自由だけど」
「…わざわざ聞いてくれたの?」

なんとなくだけれど、宗介は東京の知り合いとは連絡を取っていないのではないかと思っていた。
友達はそりゃあいただろうけど…全国大会で鯨津高校のジャージを着た選手と話している様子はなかったし。

「まぁな。てかお前がそこ受けるって言うまでは先輩が行ってることすら頭から抜けてた」

連絡するの気まずくなかったのかな、なんてことは口に出して聞けないけれどわたしが相当驚いた顔をしていたのか苦笑いして「そんな顔すんな」って頭にぽんっと手を乗せられる。

「俺だって昔の知り合いに連絡くらいする。なにもおかしいことなんてねぇだろ」
「うん…そうだよね、聞いてくれてありがとう」
「おう。俺も、ありがとう」
「ん?なにが?」
「なまえのおかげで…」

言い淀んだ宗介が、「あー…」と言いながら自分の首の後ろをかく。

「本当は、少し前までは東京の知り合いに連絡するとか考えられなかった。それをさせたのはお前だから、俺もなまえのおかげで少しは進めた気がする」

今度は早口で一息に言い切って自分の片手で顔を覆って俯いた。

「だから、俺だってお前のこと応援してるよ。お前がいつも俺のこと応援してくれてたみたいに」

顔は見えないけれど、短髪から覗く耳は少しだけ赤い。

「宗介が照れてる…」
「うるせぇな」
「ふふ、ありがとう。プール、行ってみるね」

わたしは別に何もしていないのだけれど、宗介が少しでも前を向けているなら嬉しい。
東京に進学すると打ち明けたときは宗介の反応が怖かったけれどあの時からずっと背中を押してくれている幼馴染の温かさが心に沁みた。




「じゃあ、送ってくれてありがとう」
「頑張ってこいよ」

新幹線の出発時間が近付いて、ホームの待合室を出たところで改めて宗介にお礼をすると宗介が優しく笑いながらそう言うから目の前の顔が少し滲んだ。
最近涙腺が緩いな、と誤魔化すように頷いて新幹線に乗り込む。
窓際の指定席を取っていたから、出発するまで宗介の顔を見ることができたし、走り出した新幹線の窓から手を振ったら控えめに振り返してくれた。


わたしは、宗介に「頑張って」と声をかけたことがあっただろうか。
小さい頃はレースに向かう凛と宗介を笑顔で送り出せていたけれど、中学にあがったあたりからはまっすぐな応援を向けることができなかったような気がする。
宗介の背中をただ見送ることしかできなかった。
激励の言葉なんてなくても宗介はわたしが考え及ぶ以上の努力をしていて、結果を残して、もっともっと高みを目指して進んでいくのだとわかっていたから。
いつも見送るしかできなかった宗介に、背を押された。
それは酷く心強くて、頼もしくて、ここまでやってきたことを信じて出し切るしかないと思わせてくれた。

速度をあげていく新幹線の座席に体重を預けて、大きく息を吐く。
窓の外を流れる風景は、もうわたしが知っている景色ではなくなっていた。



(2018.01.16.)


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