▼ 22.瞳の中の宇宙
12月25日、世間はクリスマス。
だからって部活は休みになんてならないし休みたいとも思わない。
終業式は先週末に終わったけれど部活動が盛んな白鳥沢学園は冬休みだろうが関係なく生徒たちの声で溢れていた。
「白布、今日の予定は?」
「……」
「うわっ無視」
「顔がニヤついてるんだよ、おもしろがってるじゃねぇか」
「いやーだってクリスマスじゃん、世のカップルはどう過ごすのか気になるだろ」
朝の澄み切った空気の中、体育館で練習開始前のストレッチをしていたら太一が絡んでくる。
「なんもしないの?」
「…一緒に帰る約束はしてるけど」
「みょうじ登校してくるときプレゼントっぽい袋持ってたもんな」
「はぁ?何見てんだよ」
「たまたま会ったんだよ」
てかみょうじと約束してるってわかってるなら聞くなよ、とは言っても仕方がないから飲み込んだ。
「いーよな、彼女とクリスマスデート」
「太一は?なんかすんの?」
「寮の奴らと集まってゲーム三昧の予定。男子高校生って感じだろ」
「それはそれで楽しそうじゃん」
「白布も来る?」
「行かねーよ」
みょうじと二人で出かける機会は相変わらず多くない。
誘えば来てくれるだろうし、俺だって誘われたら喜んで行くのだけれど。
部活を終えて、自主練もいつもより少し短めに切り上げる。
みょうじは「帰るタイミングなくしそうだから」と全体練習が終わったときに早々に体育館を抜けていた。
マネージャーは選手の自主練には付き合わないことも珍しくないから、みょうじが「お疲れ様でした」と頭を下げても誰も不思議そうな顔はしていなかった。
自主練は文字通り自らに課した練習だし俺がいつ帰ろうがそんなことは他の奴らには関係ないと言えば関係ない、はずなのに。
汗を拭きながら俺が部室に引き上げようとしたら近くにいた奴が「デートか」「デートだな」「くそ…羨ましい…」なんて口々に言う。
いちいち相手にしてたらキリがないから聞こえないフリをした。
みょうじには何も言わない代わりに俺にはわりと絡んで来る、いつものことだ。
早く着替えて校舎のどこかで待っているはずのみょうじに連絡を入れなければ。
身支度を済ませて部活のエナメルバッグにタオルやらを詰め込むけれど、中に入っている包装紙が潰れないように普段よりずっと丁寧な動作になった。
『もしもし?』
「みょうじ、いま部室出た。どこにいる?」
『早かったね。わたしも女子棟にいたから校門向かうね』
「わかった」
男女で分かれている部室棟を出てみょうじに電話をかけたらすぐに出てくれて、用件はすぐ済んだから携帯はコートのポケットに突っ込んだ。
吐く息がすっかり白くなる季節になって、陽が落ちるのも早い。
目的地に着く頃には暗くなっているだろう。
「白布!」
校門に着くよりも早く名前を呼ばれて、振り返った先にはさっき電話で話したみょうじがいる。
小さな歩幅で、だけど俺を見つけたからか少しだけ早足になったみょうじに思わず顔が綻びそうになって、いつもと違うところに気が付いた。
「…髪、どうしたの」
「えっ…へ、変かな…?」
「いや、」
部活の時は結んでいるけれどそれ以外の時はおろしていることがほとんどのみょうじの髪。
揺れると少しだけ甘い香りがして、触れたいと何度思ったかわからない。
普段はストンと肩にかかっている髪が、毛先だけ緩く巻かれている。
どうしたの、と聞いたら不安げに自分の髪を一束つまんでこっちを見上げてきた。
「先輩がね、この後デートなんでしょって。先輩もこの後出掛けるみたいで、自分の準備してるついでにってやってくれたんだ」
「そっか…かわいい」
寒さからか顔を赤らめていたみょうじがマフラーに顔を埋めた。
伏せた長い睫毛がみょうじの頬に少しだけ影を作る。
「ありがとう」
えへへ、なんて笑うからここで抱きしめたい衝動を抑えて「うん」と頷くだけで精一杯だった。
まだ校舎内だから手だって繋げない。
コートのポケットに手を突っ込んで、二人で並んで駅に向かった。
「自主練、いつもより終わるの早かったね。よかったの?」
「今日くらい良いかなって。デートだし」
「、うん…」
早いと言っても、他の奴らと帰りの時間がかぶらないように少し早く切り上げただけだ。
その少しの時間すら惜しいと思うときだってあるけれど、今日くらいは。
夏に付き合いだして、もう五ヶ月が経ったけれどデートと呼べるデートなんて数える程しかしていない。
お互いこうなることはわかっていたし仕方のないことだけれど、その度にみょうじは照れたように嬉しそうに笑うのだ。
白鳥沢の最寄り駅から電車に揺られて、宮城で一番大きなターミナル駅で降りる。
数日前に25日どうする?と控えめに聞いて来たみょうじが、行けるなら行きたいとこれまた控えめに伝えて来たクリスマスマーケットとやらに行くためだ。
大きな公園内でやっているらしく、目的地に向けて歩きながらみょうじが白い息を吐きながら期待を顔に滲ませている。
「白布お腹空いてない?何か食べたいね」
屋台があるらしくてね、と話す姿がかわいくて緩む口元を隠そうとマフラーを首元から少し上にあげたら「寒いね」とみょうじが自分の両手をこすり合わせた。
「あったかいもん食いたいな」
「うん!シチューとかあるんだって。あとクリスマスのお菓子も」
「シュトーレン?」
「そうそう。わたしあれ好きなんだぁ」
会場に着く頃にはすっかり陽が落ちていて、イルミネーションで煌びやかに彩られた公園はいつもと違う場所のようだった。
うわぁ、とみょうじが隣で声を上げる。
「きれい」
…こういうとき、そう言う彼女の横顔のほうがよっぽど、とか思ってしまう男の気持ちが今なるわかる。
「そうだな」と返すとみょうじが嬉しそうに笑った。
空気はすっかり冷えているはずなのに、非日常の中にいるとあまり寒さを感じないのが不思議だった。
至る所に設置してあるストーブのおかげもあるだろう。
だけど、温かいものを食べて腹の中だけじゃなく心までほかほかするのは、みょうじが隣にいてくれるからだ。
食べやすいように一口サイズにされたチキンやホットサンドを食べて、みょうじが好きだと言っていたシュトーレンをデザートにすることにした。
同じ店で売っていたココアを買ったら、カップを渡すときに触れた手が冷たかった。
出来るだけ風のあたらない場所を探していると公園の隅のほうに木が壁になっているベンチがあったからそこに腰を落ち着ける。
ひっそりと置かれたベンチだけれど、ありがたいことにストーブの暖かさが届く場所だった。
「みょうじ、口に砂糖ついてる」
「えっ」
ぱくぱくと食べ終えたみょうじが「おいしかった」と笑う口の端に、シュトーレンの粉砂糖がついていてそれを指摘すれば自分で自分の唇を食べるように上唇と下唇をはむっと合わせた。
けれど唇の端についているそれは取れなくて、首を横に振ることで取れていないと教えると首を傾げてから小さな舌でぺろっと唇を舐めた。
「取れた?」
「…いや。…触ってもいい?」
一瞬きょとんとした後に、うん、と小さく頷いてゆるく巻いた髪が揺れた。
みょうじへ手を伸ばすとこっちを見上げていた瞳が戸惑うように潤んで、視線が外される。
俯いた表情がなぜか大人びて見えて心臓がうるさい。
さらりと唇の端を撫でれば砂糖はすぐに取れて、触れたときにみょうじがぴくっと身動ぎをしたからすぐに手を引っ込めた。
「悪い、嫌だった?」
「えっううん。大丈夫。と、取れた?」
「うん」
「ありがとう…白布、手冷たくなっちゃったね」
ぎゅっと、みょうじの両手が俺の右手を握る。
「わたしココア持ってたから手ぇあったかいでしょ?」
…なんて言うからさっきと形勢が逆転した。
いや、別にみょうじと何かを競い合っているわけではないんだけれど。
小さな手は確かに温かくて、ぎゅっぎゅっと俺に体温を分けるみたいに握ってくるから心臓まで掴まれている感覚がする。
自由な左手で、みょうじの頬を包むようにして撫でたら緩く弧を描いていた唇がきゅっと引き結ばれた。
「みょうじの顔も冷たい」
見上げてくる丸い瞳が、イルミネーションの光が反射しているみたいにキラキラと瞬いて吸い込まれそうだと思った。
引き寄せられるみたいに触れたみょうじの唇は柔らかくて、あたたかくて、甘くて。
あぁ俺、唇カサついてなかったかな、なんてことに思い至ったのはみょうじがりんごみたいな顔をして俯く姿を見てからだった。
伏せた睫毛が震えて、握られていた手の力がふっと緩んだから今度は俺から指と指を絡ませて隙間がなくなるように繋ぐと、見上げてくる瞳が涙の膜に覆われていて心臓が跳ねた。
「白布、」
「うん」
「…だいすき」
「うん、俺も。好きだよ」
瞳の中のきらめきが揺れて、いま世界に二人きりならいいのにと冗談じゃなく思った。
触れた唇の感覚がまだ残っていて、もう一度触れたくて誤魔化すように息を吐くとみょうじが慌てたように言葉を紡ぐ。
「あのね、プレゼント、渡してもいい?」
少し首を傾けてまだ紅潮したままの頬で聞いてくるみょうじに肯定を返すと繋がれていた手が離れてしまって急に冬を思い出したように寒さが戻ってきた。
太一が言っていたようにみょうじは手にプレゼントらしき袋をぶら下げていて、それをおずおずと差し出してくる。
「どうぞ」
「ありがとう。俺も…ちょっと待って」
白鳥沢バレー部であることを示す文字が書かれたエナメルバッグから、潰れないように入れていた袋を取り出して形が崩れていないか渡す前にもう一度軽く整えた。
「いつもありがとう」
「えへへ、こちらこそ。ねぇねぇ、開けてもいい?」
「おう」
みょうじがクリスマス用のラッピングですと店員が笑顔で巻いてくれたリボンを丁寧な手つきでほどく。
袋の中を覗く顔がニコニコとまるで小さな子供が宝物を入れた箱を開けるときのようで、喜んでくれるだろうかと少し緊張した。
「…えっ」
中身を確認したみょうじが、小さく声をあげた。
もしかして、気に入らなかっただろうか。
一瞬全身がヒヤリとするけれど俺の方に向き直ったみょうじの表情を見たら、そういうわけではなさそうだった。
「白布、わたしのも開けてみて」
促されてみょうじに渡された包みを開けて、俺もさっきのみょうじと同じように「あっ」と呟くことになった。
みょうじの手の中に収まっているものと、俺の手のひらの上に乗っかっているものが同じものだったからだ。
「すごい、こんな事ってあるんだね!」
パァっとみょうじが笑って、俺も笑ってしまう。
「すげーな」
「ねっ色違いだ、嬉しいなぁ」
みょうじが俺にくれたものは暗めのグレーの毛糸で編まれた手袋で、俺はみょうじにキャメル色の全く同じデザインのものを選んでいた。
試しに片方だけはめてみたみょうじが「あったかい」と俺に見せるように手を目の高さにあげる。
「何あげようかなぁって考えてね、タオルとか練習着とかも考えたんだけど。白布の大切な手、守れますようにって」
手袋にしてみました、なんて言うからまた驚いた。
「俺も、色々悩んだんだけどいつも洗濯とかスポドリ作りとか、水仕事しんどそうだなって思ってて。みょうじの手が冷えないように手袋選んだ」
プレゼントを選んだ経緯を話すのはこんなにむずがゆいことなのかと今初めて知った。
だけどみょうじが「理由まで似てる」と顔をくしゃくしゃにして笑うから俺もつられて笑う。
「白布、路面店で買ったんだね。袋かわいい」
「みょうじはデパート?」
「うん。メンズフロア行くの緊張した」
同じブランドのものだけれど包装紙が違う。
デパートのメンズブランドの階をみょうじがうろうろしていたのかと思うと心配にもなるけれど俺のためだし何も言えない。
「店員さんにね、彼氏にですかって聞かれて。はいって答えるの恥ずかしかったけど嬉しかったな」
寒さで鼻が赤くなっているみょうじの髪を撫でると瞼がきゅっと細められる。
マネージャーとして部のために働いてくれるジャージ姿が好きで、二人だけで机に向かって話もせずペンを握りしめている横顔も好きで、だけどやっぱりこうやって俺だけに見せてくれるみょうじの表情がたまらなく愛おしい。
するすると髪の毛が指の間をすり抜けて何度か梳くように撫でる。
顔を寄せたら瞳が少し見開かれて長い睫毛が震えた。
首を傾けて、唇が触れる直前に瞳から見えたきらめきがまるで濃紺に浮かぶ星みたいだと思った。
(2018.01.01.)