46

「なまえちゃん、クリスマスパーティーやろうよ」

三年生の教室にやってきて周りは知らない先輩ばかりのはずなのに、いつもと変わらない明るさで渚くんが言い放った。
その後ろでは怜くんが左手で眼鏡をあげながら微笑んでいる。

「クリスマスパーティーって…わたし一応受験生なんですけど…」
「大丈夫です!真琴先輩と遙先輩も参加しますから!もちろん江さんも」

何が大丈夫なんだ、とツッコミたい気持ちを抑えて窓際の席に座っている二人に視線を向けるとやっぱりというかこちらを見ていて、真琴は苦笑いをしていた。
ハルは無表情だけれど、こくりと頷く。
え、なにその無言の圧力。

「ハルちゃんの家でやるんだよ!たまには勉強のこと忘れてみんなで集まろうよー!ピザとかケーキとか用意は僕たちがするから!」

勉強のこと忘れてって、冬休み目前の三年生のピリついた受験モードの教室でなんてことを。
無邪気って怖い。
けど、渚くんの底抜けな明るさに久しぶりに触れて顔が勝手に綻んだ。

「じゃあ、ちょっと顔出すくらいなら…」
「ほんと!?やったー!怜ちゃん頑張ろうね!」

じゃあねー!と約束を取り付けるだけ取り付けて二人は教室を出て行ってしまった。
バタバタという足音が廊下の向こう側へ遠ざかっていって、思わず笑ってしまう。

「葉月くんと竜ヶ崎くんだっけ?元気だねぇ」
「ね、最近会ってなかったけど相変わらずだった」

わたしの席で机を一緒に囲んでいた友達が微笑ましいわぁ、と言いながら笑う。
渚くんと怜くんは真琴とハルのいるこのクラスによく遊びに来るものだから、クラスメイトたちは二人のことを知っている人も多い。
友達は、開いていた参考書を口元に寄せて内緒話をするようにわたしの方に身を寄せた。

「…けど、なまえと橘くんってさ、」
「うん…」
「だよね、なのにクリスマス一緒にって気まずくない?葉月くんたち知らないの?」

橘くんってさ、と皆まで言わない友達にこっそりと感謝をする。
別れてからしばらく経ってから仲の良いこの子には「実は、」と話をしたのだけれど、知ってたよ、なんて少し寂しそうな顔で言うものだからぽろっと涙が零れた。

「渚くんたちには…ハッキリ言ってないんだけど、知ってるはず」
「はず、って。またなまえは〜!」
「すみません……」
「ちゃんと言葉にしないと、間違って伝わったり誤解されたりするよ。そんなの嫌でしょ」
「おっしゃる通りで…」

心当たりがありすぎて、言葉がグサグサと刺さる。

「行きたくなかったら、無理して行くことないんだからね」
「うん、ありがと」

力なく笑えば彼女が口元を隠していた参考書に再び目を落としたから、わたしもそれにならって勉強に戻った。

行きたくないわけではない。
真琴とはすっかり話さなくなってしまったし、ハルは同じクラスなのに元々部活関係のことしか話さなくて、渚くんと怜くんとは顔を合わせる機会自体が減ってしまった。
江ちゃんとも、なかなか話すタイミングがないからみんなで集まるというのなら行きたいな、と素直に思う。
このところ勉強ばっかりだったし、と一週間後に迫ったクリスマスが楽しみになった。




『明日は五時にハルちゃんの家に集合だよー!』

渚くんから連絡をもらって、それに短く「はーい」と返事をしたら、すぐに「楽しみだね!」とカラフルな絵文字が送られてきた。

手ぶらで行くのもなぁと思ったけれど、まるで心を読まれたかのように「なまえちゃんは何も持って来なくていいし準備も手伝わなくていいからね」と江ちゃんから言われていたからお言葉に甘えることにする。

ハルの家に行くのはすごく久しぶりだった。
途中で真琴の家へと続く道を通り過ぎて、ここにもしばらく来ていないなぁと思うと胸の奥が少し痛い。
集まるとなったらハルの家だし、きっと橘家に足を踏み入れることはもうないのだろう。
…寂しいな、なんて、思ってもどうしようもないのだけれど。

「なまえちゃん!いらっしゃい!」
「お邪魔しまーす。わ、いい匂いする」
「さっき笹部コーチがピザ届けてくれたところなの」

時間に間に合うように七瀬家のチャイムを鳴らすと出迎えてくれてのは江ちゃんで、なんだか少しホッとする。
家の中は暖かくてさっきまで感じていた言いようのない寂しさも和らいだ。
ガラ、と純和風な七瀬家の居間に続く引き戸を開けるともうみんな揃っていて、笑顔で迎え入れてくれる。

「えっもしかしてわたし以外のみんなで準備してた?ごめんね何も手伝わなくて…」
「いいのいいの!ハルちゃんは推薦で勉強しないし、まこちゃんは家が近いから!ねっ」
「うん。俺もほとんど何もしてないよ」
「準備と言っても飲み物買ってきたりお皿出したりくらいでしたしね」
「そうそう、なまえちゃん座って座って!乾杯しましょうっ」

みんなが代わる代わる口を開いて、ハルはいつ通り言葉なく頷くだけだけれど、ジュースの入ったコップを手にして渚くんの「メリークリスマース!」なんてやけに陽気な声に合わせてみんなで乾杯をした。
こんな風にみんなで集まるのは全国大会の打ち上げ以来で、あぁやっぱり落ち着くなぁと思う。

「なまえちゃんはどこの大学受けるの?」

みんなが用意してくれた食べ物がすっかりお腹の中に収まって、デザートのケーキをつついていたら渚くんに問いかけられた。
ちなみにこのケーキはハルが作ったらしい。
本当にそつなくなんでも作れてしまうんだなぁ。
江ちゃんたちも生クリームを泡立てるくらいは手伝ったらしいけれど。

「第一希望は東京の大学だよ」
「えっそうなんだ!まこちゃんと一緒だね!」

渚くんがパッと明るい表情をして内心苦笑いをしてしまう。

「うん、そうだね」
「ハルちゃんも東京だしみんなで近くに住んだらしょっちゅう遊びに行けて楽しそうだね!」
「渚くん、気が早いですよ。東京と言っても広いですし通う大学によって住む場所も全然違うんですから」

怜くんの言葉に「そうだけどさぁ」と渚くんがかわいらしく頬を膨らませた。

「怜ちゃんだって三人が卒業しちゃっても仲良しでいてほしいって思うでしょ?」

なんの悪意もない言葉だけに、口に運んでいたケーキが胸に詰まるような気がした。
仲良しでいられたら、友達に戻れたら、どんなにいいだろう。
だけど未だに真琴の目をまっすぐ見ることができないわたしには、冬が過ぎて春が来ても東京の街で真琴と笑っている未来は想像すらできない。

怜くんがそれはそうですけど、と返すのと同時にピンポン、とインターホンが鳴る音がして肩がビクついてしまった。
ハルが「こんな時間に誰だ」と眉を寄せて立ち上がり応答すると、「こんばんは!」というかわいらしい声が返ってきた。

「えっ蘭ちゃんと蓮くん?」

玄関まで出向くと、マフラーをぐるぐる巻きにした蘭ちゃんと蓮くんが白い息を吐きながら立っていた。

「え、二人ともどうしたの、こんな時間に」
「なまえちゃんが来るってお兄ちゃんに聞いて!見て、これ二人で作ったんだよ」

久しぶりに顔を見たそっくりな二人が、満面の笑顔で差し出してくれたのはかわいらしくラッピングされた手のひらサイズのもので、

「クッキー、焼いたんだ!」
「ちゃんと味見もしたよ!クリスマスプレゼントっ」

なんて言われて、一瞬ためらってしまう。
二人にとってわたしは「お兄ちゃんの彼女」で、それが過去形になってしまった今、わたしがこれを受け取る権利があるのだろうか。

「なまえ、もらってあげて」

隣を見上げると真琴が眉を下げている。

「うん。蘭ちゃん、蓮くんありがとう。わたしなにもなくて…ごめんね」
「ううん!どういたしまして」
「またうちにも遊びに来てね!」

差し出された小さな手から包みを受け取ったら、二人がパァっと明るく笑ってそんなことを言うからまた胸が重たくなる。
ありがとう、と返したのは肯定も否定もできなかったからだ。

「二人ともあがっていく?ってわたしの家じゃないんだけど」
「ううん、すぐ帰って来なさいってお母さんに言われたからもう帰る」
「そっか。じゃあわたしも送りがてら帰ろうかなぁ」
「ほんと?じゃあなまえちゃんも一緒に帰ろう!」
「うん、コートとか取ってくるからちょっと待っててくれる?」

居間のほうを振り返ったらみんながこちらを覗き込んでいて、江ちゃんがすぐにわたしのコートとカバンを持ってきてくれた。

「ごめん、そろそろ帰るね」
「ううん、勉強忙しいのに来てくれてありがとう!」
「なまえちゃんに会うの次は年明けかなー」
「そうですね、また学校で」

三年生は年明けの始業式には登校するけれど、その後は受験のためにほとんど自由登校だ。
二年生の三人に会う機会はきっとあんまりないだろうなぁと思ったけれど、あえて口にはしなかった。
寂しさが増すだけだから。
なんて、思っていたら真琴がなぜか自分のコートを奥から持って来て羽織った。

「俺も二人のこと送ってくるよ」
「え、」
「そうだね、なまえちゃんだけじゃ危ないもんね!」

危ないって、橘家までは徒歩一分もかからないし実際来るときは二人だけで来たみたいなのに。
わたしだけで大丈夫だよ、と主張する間もなく「俺はまた戻ってくるから」と真琴がスニーカーを履いて言う。

「ほら、蘭と蓮、みんなにさよならして」
「バイバーイ」

みんなに見送られてハルの家を出て、暗い石階段を少しくだれば真琴の家にあっという間に着いた。

「なまえちゃん、ケーキ食べた?」
「うん、食べたよ。蘭ちゃんと蓮くんは?」
「ケーキもチキンも食べたよ!」
「そっかぁ」
「なまえちゃんもまたご飯食べにきてね」
「お母さんとお父さんも会いたがってたよ」

玄関先で「またね」と蘭ちゃんに腰のあたりにむぎゅっと抱きつかれて小さな頭を撫でてあげたら嬉しそうに笑ってくれた。
こんな妹や弟が本当にいたらかわいくて仕方ないなぁと思いながら蘭ちゃんと蓮くんが家の中に入って行くのを見届けた、のだけれど。

「…真琴、戻らないの?」

真琴は元来た道を戻ろうとはせずに、まだ寒空の下わたしの隣にいる。

「うん。送ってくよ」

誰を、なんて言うのは聞かなくてもわかる。

「えっ大丈夫だよ、一人で」
「でももう暗いから」

ほら行こう、と真琴がスタスタと歩き出してしまうから後ろを追いかけるようにして横に並ぶ。
付き合っていたときは帰りに橘家の最寄り駅まで送ってもらうことが多かったけれど、今となっては素直に甘えることができなくて真琴の表情を窺うように見上げても、真琴はまっすぐ前を向いていた。

「…真琴、お家の人に別れたこと言ってないの?」
「あぁ…うん。わざわざ言うのもなんか変かなって」

わざわざ言う程のことじゃないって言われているみたいで、わたしとのことは些細なことなんだって言われているみたいで、「そっか」と返す言葉は小さすぎて空気に溶けて消える。
真琴を見上げていた顔はもう隣を向けなくて、マフラーに埋めた。

田舎の駅はとても小さくて、改札を通ればすぐにホームという造りになっている。
電車の到着を知らせる音が鳴るまで改札内には入らずに真琴と話をする、というのが今までだったら普通のことだったのだけど、今日はどうするのだろうか。
駅に着いて、「じゃあ…」と発した声は我ながら歯切れが悪すぎる。

「電車来るまでいるよ」
「え、」
「しばらく来ないみたいだし、なまえ一人置いて帰ったら送ってきた意味ないから」

そう言うと、駅の出入り口に置かれた色褪せたベンチに向かうのは二人の暗黙の決まり事だ。
真琴が「先に座ってて」と残して自動販売機のあるほうへ歩いて行く。
ガコン、という飲み物が落ちる音が二回して、そっちを見たら真琴が両手に小さなペットボトルを持って戻って来た。
はい、と渡されたボトルを受け取る前に慌ててカバンからお財布を取り出そうとしたらその手を取られて半ば無理矢理渡される。

「真琴、お金払うよ」
「いいよこれくらい」
「でも、」
「もらって」

眉を下げて少しだけ笑った真琴の顔に胸が詰まるみたいに何も言えなくて、小さくありがとうと言えばどういたしまして、と穏やかな声が降ってきた。
二人きりで話すのは久しぶりだけど、真琴は夏頃にくらべたら穏やかに笑ってくれるようになった、ような気がする。
いつまでも気まずさや寂しさを引きずっているのはわたしだけなのかな。
真琴が普通にしてくれるなら、わたしも同じように、もう大丈夫だよってフリをしないと。

「…真琴は、勉強どう?」
「うん、順調かな。なまえはセンター受けるの?」
「一応。センター利用で受けられる学校の願書は出したよ」
「そっか。年明けたらすぐセンターだね。緊張するなぁ」
「そうだね」

真琴が笑うから、わたしも笑う。
本当はこうして隣にいるだけで心臓がいつもより早く動いていて、手に持った飲み物の温度なんてわからないくらいに手が冷えて震えそうだった。
うまく笑えている自信がなくて隣を見上げたら、柔らかな瞳が揺らいでいるように見えて息をのむ。

「ど、うしたの」

唇がうまく動かないのは寒さのせいだけじゃない。
どうしてそんな風に悲しそうに笑うの。

「……気まずそうにされるのが嫌で、早く普通に話せるようになりたいなって思ってたんだ。だけど、なんでもないって顔されるのも嫌なものだなって」

矛盾してるよね、と呟く真琴の言葉を聞きながら買ってもらった飲み物を握る手に力がこもる。

なんでもない顔って、なんだろう。
真琴とのこと、ふっきれたって顔?
そう見えるように振舞おうと思ったのだからそれは良いことなはずなのに、真琴がこんなことを言うからやっぱり痛くて、全部全部痛くて、もう嫌だって、優しく笑いかけないでって泣いてここから立ち去ることができたらいいのに。
それができないのは、わたしがまだ真琴のことを大切に想っていて、嫌われたくないと思っているからだ。

「山崎くんは元気?」
「元気、だと思う。しばらく会ってないからわからないけど、多分」

宗介の名前を出されたことにはもう驚かない。
真琴は、わたしと宗介が頻繁に会っていると思っているのだろうか。
もしかして、付き合っているとか、思っているのだろうか。
真琴から返事が来る前に「宗介はまだ寮暮らしだし」と付け足す声は早口になった。
そうしないと声が震えそうなのが真琴に伝わってしまう気がしたからだ。

クリスマスだというのに駅前は人通りが少なくて、駅員さんが用意したのであろう小さなクリスマスツリーの電飾がチカチカと点滅している光さえ瞳を刺激して視界が滲みそうになる。
ホームから聞こえてきた電車の到着が間もなくだと告げるアナウンスが救いにすら思えて、反射的に立ち上がると真琴もゆったりとした動作でベンチから腰を上げた。

「…じゃあ、送ってくれてありがとう」
「どういたしまして。気を付けて帰って」
「うん……あのね真琴、信じてくれないかもしれないけど、もう遅いかもしれないけど。わたし、」

ガタンガタン、と電車が近付いてくる音がする。
自分の心臓が動いている音も、うるさいくらいに耳に響く。

「真琴のことが、本当に好きだったんだよ」

なのに傷付けた。
上手に愛せなかった。
優しい笑顔で全部包んでくれる真琴に、無理をさせていた。

真琴が辛いなら受け入れようと思っていた。
なのに結局こんなことを言って、あぁやっぱり真琴が驚いたみたいに目を見開いている。
そんな風にまるで傍観者みたいなことを思って、「ばいばい」と告げて駅のホームに吸い込まれるように歩き出す。
身を切るような寒さは嘘みたいに感じなくなっていたのに、温かいものを持っているはずの手先は血液が巡っていないのではないかと言うほど冷えていた。




(2017.12.24.)



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