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一年半続けた部活を引退した。
二年生になってからの慣れないマネージャー業は手探りなことだらけだったけれど、みんなとゼロから積み上げた年月は楽しくて、終わってしまった今は寂しさと物足りなさでいっぱいだ。

「まこちゃんとハルちゃん、なまえちゃんも引退かぁ」

全国大会の帰りの電車の中で、後ろの席に座っていた渚くんがポツリと呟いた言葉が胸に沁み込んでそのまま涙になりそうだった。
隣に座っていた江ちゃんが「引退しても遊びに来てね」と言うけれど「うん」と短く返事をするのが精一杯。

「なまえちゃん、進路のことみなさんには話したの?」

江ちゃんが小さく、他のみんなには聞こえないように首を傾げた。

「ううん、まだ。なんかタイミング難しくて…」
「そっか。お兄ちゃんはまたオーストラリアみたいだし、遙先輩は場所はわからないけど推薦もらったところに行くだろうから岩鳶は出ちゃうだろうし…」

江ちゃんが言葉を切って、小さく息を吐いた。
高校三年生の今の時期、進路を決めている人も多いだろう。
けれど進路のその先、自分の将来を十八歳で選択できる凛やハルは、わたしよりもずっとずっと先を見ているようで、凛なんて小学生で留学なんてしちゃって、江ちゃんも松岡のおばさんもきっと寂しいのに笑顔で見送っていて。
宗介の東京行きを直前まで知らされていなくて、それが寂しくてそっけなくしか送り出せなかった昔の自分を思い出して、子供だったなぁと心の中で苦笑いをした。



夏休みが終わって、始業式では水泳部は全校生徒の前で健闘を称えられた。
運動部が全国大会に出ること自体も数年ぶりの快挙で、六位入賞という結果は本当に誇らしく体育館のステージに立つ四人は校長先生からこれでもかと言う程に褒めちぎられていた。

そして季節は夏から秋へ、転がるように流れて行く。

感傷に浸っている暇なんて受験生にはなくて、放課後、部活に行く代わりに図書室に足を運ぶのがすっかり習慣になっていた。
三年生で部活に入っていた人たちの引退時期はまちまちだけれど、水泳部は夏の大会で全国まで勝ち進んだからかなり遅い部類のはずだ。
その分、勉強も遅れている。
他の受験生と同じ土俵で戦うために今はひたすら勉強あるのみ、である。


「わ、すみません…!」

静かな放課後の図書室、赤本が並んでいる棚から自分の席へ戻ろうと歩いていたら曲がり角からふっと人影が現れて、止まる間もなくぶつかってしまった。
視界に入ったのは自分が付けているリボンと同じ緑色のネクタイで、同じ学年の男子生徒だということは瞬時に理解できた。

トン、という小さな衝突音の後に肩に手を置かれて顔をあげたら、そこにいたのは驚いたように目を真ん丸にした真琴だった。

「大丈夫?」
「あっうん、ごめん」

頭上から降ってきた聞き慣れたはずの声が落ち着かなくてすぐに離れる。

「真琴も勉強?」
「うん、なまえは…もう過去問やってるの?」

手に持っていたのは志望校の過去問題集で、反射的に学校名が見えないようにぎゅっと腕の中に隠す。

「えっと…本格的に解くわけじゃないんだけど、ちょっと見てみようかなって」
「そうなんだ」
「ぶつかっちゃってごめんね、じゃあ」
「あ、待って」

真琴の顔を見ずにこの場を去ろうと思ったのに呼び止められて、腕を掴まれた。

「…ごめん」

すぐにその手は離されて、真琴は何に対してなのかわからない謝罪を口にする。

「な、なにが?」
「えっあ、何がだろう…」

大きな体に似合わないくらいに眉を下げて、右手で首の裏を所在なさげにかく。
最近はピリピリとした雰囲気で話すことが多かったから、なんだか懐かしく感じてしまう。
全国大会も終わって真琴自身も張り詰めていたものがなくなったのかもしれない。

「あのさ…進路のことなんだけど、俺、東京に行こうと思ってて」
「……え?」
「ハルたちに聞いてなかった?」

真琴が少し迷ったように口を開いたかと思ったら、予想もしない言葉が降ってきた。
三年生になってから進路の話をしてこなかったわけではないけれど、なんとなく関係がぎくしゃくするようになってからは不自然なくらいに将来の話をわたしたちはしなくなった。

思えば、全国大会の帰りの電車で江ちゃんと凛たちの進路について話していたとき、江ちゃんは真琴のことには触れなかった。
江ちゃんは、知っていたのかもしれない。

「…聞いてないよ」
「なまえは、どうするの?」

ごく、と唾を飲み込む音が大きく鳴ってしまった気がする。
普段は意識せずにできることがこういう場面になると急にうまくできなくなるのはどうしてなんだろう。
全国大会が終わったら水泳部のみんなに進路のことを話そうと思っていたのに機会を逃してしまって江ちゃん以外には言えていなかったことをここで後悔することになるなんて。

「わたしは……」

東京と言ったって広いし、きっと二人とも上京することになっても通う学校が違えば住む場所も違うだろう。
狭いこの街とは違う。
高校を卒業してしまったら、わたしたちはもう会うこともなくなるのかな。

「…わたしも、東京の大学受けるよ」
「え、」

進路を決めたときは真琴にも話そうと清々しくすら思っていたはずなのに、予期せぬタイミングで伝えることになってしまった。

「そっか…ビックリした」
「うん、わたしも。真琴はSCでコーチとかするのかなって勝手に思ってた」
「将来的にはそういう仕事したいなって思ってるよ。大学で教育系の勉強するつもり」

吾朗ちゃんの手伝いでコーチをしていた短い期間、真琴は生徒の子供達のことを真剣に考えて一緒に学んで、自分の将来を決めたのだ。
背中が大きいなぁと感じたあの日を思い出して胸がぎゅっと締め付けられる。
真琴本人の口から聞けたことは嬉しいけれど、もっと早く教えてくれてもよかったのに。
あの頃はまだ彼氏彼女だったのに。
なんて、そんなことはとても言えないけれど。

「なまえは…」
「うん?」
「…いや、なんでもない」

なんだろう、首を傾げて真琴の言葉を待ったけれど「気にしないで」と弱く笑む。
普通に話せていると思ったらやっぱりまだ前のようには行かないみたいだ。

「じゃあ、また明日ね」
「うん、明日」

久しぶりに目を見て話した気がする。
また明日、なんて言ったのはいつ以来だろうか。
部活がなくなった今ではただのクラスメイトになってしまったのだとまた実感した。
朝教室に入ってまず姿を探して、まだ来ていなければどうしたのかなと思うし、既に登校していたら無意識に唇を引き結ぶ。
ただの友達になんて戻れるわけがなかった。






「失礼します」

赤本をコピーするために司書室にいる先生に声をかけたら、わたしの顔を見て少し驚いたように見えた。
情けない顔をしていたのかもしれない。
逃げ込むように駆け込んだ司書室の空気を大きく吸い込む。
少し気を抜いたら涙が表面張力に負けてしまいそうだった。



(2017.11.17.)




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