21.ふたりならば

「おはようございます!」
「おっす」
「はよー」

スゥ、といつもよりも空気を多く吸って、大きく吐き出した。
朝練が始まる前の体育館はいつもよりも空気が澄んでいるような気がして、選手陣もまだエンジンがかかっていないみたいだ。
アップをしている人たちの中に牛島さんを見つけて駆け寄っていく。

「牛島さんおはようございます」
「あぁ、おはよう。手は大丈夫か」
「はい。昨日はすみませんでした」
「いや…俺こそすまなかった。右手が使えないことで不便があったら言ってくれ」
「えっ、いえ、これは白布に包帯ぐるぐる巻かれただけで見た目ほど重症じゃないので!」

社交辞令だろうけれど牛島さんに何か頼み事をするなんて、そんな恐れ多い。
右手の、中指以外の指を握ったり開いたりして「大丈夫です」と示したら牛島さんが一瞬両目をパチパチと瞬かせた。

「はは、そうか。ならよかった」

何が起きたのか理解するまでたっぷり三秒はかかった。

「牛島さんって笑うんだ…」

その三秒の間に牛島さんはまたストレッチに戻っていて、わたしが呟いた独り言は近くにいた天童さんに拾われる。

「なまえちゃん、若利くんのことなんだと思ってんの?」
「えっ」
「若利だって笑うだろ。半年に一回くらい」
「試合のときはわりと多いよね」
「てかみょうじ、手本当に大丈夫なのか?」
「はい!全然大丈夫なので今日もこき使ってください瀬見先輩!」
「俺がいつお前のことこき使ったんだよ」

ぽん、と瀬見先輩の大きな手がわたしの頭に乗っけられた。

「今日もよろしくな」
「英太くん、なまえちゃん撫でるのほんと好きだね〜」

昨日のことを謝りに来るのは、正直ちょっと緊張していた。
だけど牛島さんが笑ってくれて天童さんと瀬見先輩が声をかけてくれて、それだけでこっちが救われたような気持ちになるのだから不思議だ。


「おーい、白布くん、朝っぱらから顔怖いよ」
「太一、うるさい」
「あっちは和やかだってのに」


他の先輩方にもお騒がせしたことの謝罪をして回っていたら白布と川西くんがトス練をしながら対極な表情で話していた。
白布はいつも以上に仏頂面で、川西くんはニヤニヤした顔。

「白布、川西くん、おはよう」
「おっみょうじ、おはよー」
「おはよう。手、どうだ」
「うん、大丈夫だよ。お風呂入るときめんどくさかったけど」

ヘラリ、とできるだけなんてことないよって心配されないように言ったら白布が「…ならいいんだけど」と返事をしてくれるのに間があって首を傾げてしまう。
今日はあんまり機嫌が良くないみたいだ。
…昨日の迷惑をかけてしまったことが原因ってわけではないんだろうけれど、何が白布の機嫌を損ねたのかは気になる。
放課後までにはいつもの彼に戻っているといいんだけど。






「なぁ太一、俺らって付き合ってるように見えない?」

朝から何を言っているんだろうと自分でも思うけれど、隣でスポドリを飲んでいた太一がゲホゲホとむせた。
吹き出した水分が飛んで来たら堪らないと思って少し離れたら「誰のせいだと思ってんだよ」と言われた。
朝練を終えて、朝のHRに間に合うように着替えに行こうかというタイミングで、一応部活の時間外だと思うからここ何日か考えていたことをぶつけてみたのだ。

「…頭でも打った?」
「打ってない」
「ですよね…あー、なに急に。どうした」

頭に浮かんだのは少し前に同じクラスの女子に昼休み呼び出されたこと。
話があると言われたものの、そこまで親しい意識はなかったから…と言ったら失礼なんだけれど、まさか告白されるとは思わなくて驚いた。
その子が言ったのだ、俺とみょうじの関係は友達の延長に見えると。

「俺にはラブラブカップルに見える」
「…それはそれで嫌なんだけど」

黙り込んだ俺に、太一がやけに真面目な声色で答えた。
体育館を出て部室に向かう道のり、他の奴らに聞かれないよう距離を取りながら声を抑えて続ける。
数日間胸の中で燻っていた疑問は誰にも話すつもりなんてなかったのだけれど、今朝のみょうじの様子を見たせいかスルッと言葉が滑るように出てしまったのだ。

「誰かになんか言われた?」

隣の太一に目線を向ければ、声色とは違って口角が片方だけあがっている。
くそ、なんか腹立つ。

「うん、まぁ」

告られてフッたらその相手に言われた、なんてなんとなく言い辛くて口籠ってしまう。
自分から切り出したくせに。

「あと、みょうじってやっぱ瀬見さんと仲良いし」
「あー…天童さんともよく話してるよな。ってか牛島さんがマネと笑いながら話してるとこ始めて見たかも」
「だよなー…」
「落ち込むなって白布」

ポン、と俺の肩に太一が手を置いた。

「落ち込んではない」
「朝からめっちゃ機嫌悪いじゃん。昨日保健室から戻ったときは元気そうだったのに」
「は?!」
「えっなに」
「別に元気じゃなかったんですけど」
「ふーん、みょうじと二人で保健室とかエロイとか思ってたけど別になんもなかったんか」
「おい馬鹿なに言ってんだ」

先ほど周りに人がいないことを確認したけれど思わず周囲に目を向ける。
太一は「誰もいないから大丈夫」とかけらけら笑いやがって、話を聞いてくれることはありがたいけれどこめかみがひくついた。

「部活のときは普通に選手とマネやってるけど、二人の時はどうなん?チューした?」
「話の主旨が変わってるんですけど」
「シュシとか難しいこと言うなって」
「……」
「ごめんって。瀬見さんな、みょうじのこと気に入ってるから仕方ない。みょうじも懐いてるし」

そうこう話しているうちに部室に着いてしまって、扉を開けずとも騒がしい声が聞こえてきてたくさんの部員がいることがわかる。
話は一旦中断して喧噪というのにふさわしい部室に身を投じた。




「で?なんだっけ、付き合ってるように見えないかって?」

昼休み、学食で太一と向かい合ってうどんをすすっていたら朝のことを蒸し返されて、今度は俺がむせる番だった。

「…おい、場所考えろ」
「誰も聞いてねーって」

確かにこの時間の学食は生徒たちの入れ替わりが激しくて一番賑やかな時間帯ではある。

「普段の二人知らないからなー。二人で出掛けたりしてんの?」
「いや…部活ばっかだしそんな時間ない。一緒に帰ることはあるけど」
「だよな。そうなると学校いる間だけど」

自由に使える時間なんて、学校の休み時間くらい。
だけどその昼休みだって太一とこうして学食にいるのだから、つまりそういうことだ。
無言でうどんをすする音が妙に虚しい。
太一は太一で、携帯をいじったかと思ったらすごい勢いで生姜焼き定食を頬張っている。
そんなに急いで食わなくても。

「まぁ、あんま気にしなくても普通に仲良く見えるよ」

残りの米を口に放り込んで「白布も早く食ったほうがいい」とか言うから昼飯くらい落ち着いて食わせてくれと思いながらも箸を進めていた、ら。

「川西くん、あれ、もう食べ終わっちゃってる」
「よっみょうじはもう食べた?」
「まだ途中。一緒に食べようと思ったのに」

みょうじが弁当箱が入っているのであろう小さいカバンを掲げて見せた。

「みょうじ、なんでいんの」

いつも弁当を持って来ていて、教室で友達と食べていると聞いたのは入学して間もない頃だ。
どうして学食にいるのだろう。

「えっ川西くんに呼ばれたんだけど…」

俺と白布を交互に見て不思議そうな顔をしているけれど、俺もわりと動揺している。

「呼んどいて悪いけど俺用事あったんだ、みょうじここ座っていーよ」
「えっ」
「おい太一」
「また部活でなー」

綺麗にたいらげた皿の乗ったトレーを持って行ってしまう太一の後ろ姿を二人で無言で見送りつつ、チラッとみょうじのほうを見たらバッチリと目が合った。

「わたしまだお昼ご飯途中なんだけど…」
「ここで食ってけば?」

太一がさっきまで座っていた向かいの席を見て言えば、「うん、じゃあ」とみょうじが少しはにかんだ。
中学のときは、昼ご飯は教室でみんな揃って給食を食べていたし、高校に入ってからは校内で一緒にいる時間はあまりなかったから照れくさい。
みょうじが小さい弁当箱を取り出して、半分残っていたサンドウィッチをもぐもぐと食べ始めた。
よくそんな量で足りるな、と思うけれどみょうじの細い身体を見たらこんなもんなのかとも思う。

「白布、学食で何が好きなの?」
「うどんか日替わり食うことが多い」
「へーわたし数えるくらいしか来たことなくて。今度食べてみたいな」
「そっか」
「うん」

今度一緒に来る?とか聞いたほうがよかったのかと気付いたのはすっかり話題が変わってからだった。
言えていたとしても、なんとも色気のない誘いなのだけれど。




「みょうじさ、それ巻き直した?」

二人並んで学食を出たところでみょうじに「それ」と右手の包帯を指して言うと少しまずいというような表情をして苦笑いが返ってきた。

「朝やろうと思って時間なくてそのままだ…」
「じゃあ保健室行くか」

みょうじがキョトンとした顔をした後に頷く。

「教室戻っちゃうのかと思った」
「別に部活の前でもいいけど」
「ううん、せっかく会えたしもうちょっと話したいって思ってたから嬉しい」
「……うん、俺も」

素直に言って、みょうじのほうを見たら俯いていて髪の毛の隙間から見えた表情は柔らかく笑っていた。

「なにニヤついてんの」
「えー?ふふ、だって嬉しいもん」
「…あっそ」
「これ、包帯ね、牛島さんに白布が大げさなんですって言ったら笑われた」

気の抜けたような笑顔を向けられて、牛島さんと何を話してたのかなんて気にしてなかったつもりだけど笑っていた理由がわかると胸につかえていたものがストンと落ちた。

傍から見た俺たちがどうだとか、そんなことはどうでもいいのかもしれない。
みょうじが俺に向ける顔は俺だけのものだし、俺のみょうじへの感情は他の誰にも伝わらなくたってまっすぐ隣の彼女にだけ届けばいいし、みょうじが嬉しそうに笑うのが嬉しい。

二人がたしかに想い合っている、それだけでいいんだ、きっと。





「それでその後に天童さんと瀬見先輩がね、」


だからと言って全く妬かないのかと聞かれるとまた話は別なのだけれど。



(2017.10.24.)







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