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「…携帯がない」

全国大会のためにみんなで神奈川に来た。
オーストラリアから帰って来たハルとも無事に合流して、今夜はあまちゃんがおいしい夜ご飯をみんなにご馳走してくれた。
ホテルに戻り順番にお風呂に入ろうと、まずはあまちゃんに先に入ってもらっていたときに携帯がないことに気が付いた。
部屋の中、持ち歩き用のカバンの中、着替えやらが詰まっている旅行カバンの中も探したけれど、ない。

「なまえちゃん、見つからない?電話鳴らそうか?」
「うん…お願いしてもいい?」

江ちゃんに電話をかけてもらって耳を澄ませるけれど、部屋の中から着信音は聞こえてこない。

「ないみたい…どこで落としたんだろう」
「あっ、なまえちゃん、待って。もしもし?」

今日一日の自分の行動を振り返ろうとしたところで、江ちゃんが携帯に向かって話し始める。
誰か拾ってくれた人が電話に出たのだろう。
江ちゃんに「代わるよ」と言って携帯を受け取る。

「もしもし、お電話代わりました。その携帯、わたしのものなんですが……」





「あれ、なまえちゃんに江ちゃん。こんな時間からどこ行くの?」

江ちゃんと連れ立ってホテルを出ようとしたところで、渚くんたちが出入り口から入ってくる。
四人でどこかに行っていたのだろうか。

「コンビニ?僕も行こっかな」
「ううん、違うの。実は携帯をご飯食べたお店に忘れてきちゃって」

取りに行ってくるね、と言ったら四人が四人とも少し眉を顰めて苦い顔をした。
えっなに?

「こんな時間から二人で、ですか?」
「そんなの駄目だよ!」
「危ない」

順番に怜ちゃん、渚くん、ハルだ。
ハルまでこんなことを言うなんて少し驚いてしまう。

「えっでもそんなに遠くないし、江ちゃんと二人だし大丈夫だよ」
「はい!なまえちゃんのことはわたしが守ります!」

わたしは両手をパタパタと振って、江ちゃんは片手で拳を作って二人で「大丈夫」ということを示したのだけど、真琴が大袈裟なくらい大きく溜息を吐いた。

「江ちゃんは部屋戻ってて。俺がなまえと一緒に行くから」
「え、でも…」
「女の子二人じゃ心配でこんな時間に出かけさせられないよ」
「それもそうですね、すみません真琴先輩」

わたしが「大丈夫だよ」と言い返す前に、江ちゃんがあっさりと手のひらを返してしまった。

「じゃあ行って来るね。何かあったら連絡する」
「いってらっしゃーい!」
「なまえちゃん、気を付けてね」

え、ちょっと待って本当に?

有無を言わさないみんなの雰囲気に背中を押されて、真琴に並んでホテルを出ると夏特有のじめじめした空気が身体に纏わりつく。
踏み出した足がもつれそうだし、呼吸すらうまくできない気がして、最寄りの駅までの短い道がひどく遠く感じる。

夜ご飯を食べたお店までは電車で二駅。
ホームの電光表示を見上げたら、電車が来るまではあと一分。
都会の電車は岩鳶とは違って運行本数が多いし駅の間隔が狭いからそこまで時間はかからないけれど、やっぱり気まずい。

「あの、」
「うん?」
「ごめんね、付き合わせちゃって。明日レースなのに…って、わっ」

地下鉄のホームは電車が近付いてきたからか、急に強い風が吹いた。
まとめていなかった髪の毛がぶわっと広がってしまって、慌てて右手で押さえるけれどぼさぼさになってしまう。
勇気を出して話を切り出して謝ったところなのにタイミングが悪いしなんだか格好がつかない。
心の中で「もう…」と何に対してかわからない悪態をついてあっちこっちを向いてしまった髪の毛を手櫛で整える、と。

真琴の手がわたしの後頭部に伸ばされて、そっと撫でた。

「…え、」
「ごめん、髪の毛直ってなかったから」
「あ、そっか。ありがとう」
「うん」

なんだ、そっか。
動揺してしまった自分が恥ずかしくて、自分の靴のつま先をジッと見下ろす。
ようやく電車が到着して、吸い込まれるように乗り込んだ。


そのあとは特に会話をすることなくレストランへ着いて、お店の方に「携帯を忘れてしまったみょうじです」と言ったら話がしっかり伝わっていたようですぐに返してもらうことができた。
小さな端末が自分の手元に戻ってきてホッとする。
もう一度お礼を言って、お店を後にした。
携帯がないと気が付いたときはすごく焦ったけれど、スムーズに終わってよかったなぁ。

「よかったね」
「え?」
「携帯。無事戻ってきてよかった」
「うん…ありがとう、付き合わせてごめんね」
「全然」

さっきは突風のせいでちゃんと言えなかったけれど、今度は落ち着いて言えた。
真琴がそれに返事をしてくれて、なんだかそれがすごく嬉しくてホッとして笑おうとしたのにへにゃっと顔が緩んでしまった。
そうしたら真琴がビックリしたように目を少し開いて、すぐに顔を背けられた。

(あ、まずい、調子乗りすぎたかな…)

「…そういえば、昔もこんなことあったよね。水族館でなまえが携帯なくしてさ」
「あぁ、一年生の時だよね、懐かしいなぁ」

入学してすぐにあった校外学習で水族館に行ったとき、携帯をなくして班のみんなと別行動していたら、行方不明になっていたハルを探している真琴と一緒に回ることになったんだったっけ。
まだお互いのことを苗字で呼び合っていて、隣を歩く距離感がわからなかったけれど静かな館内を二人で歩く時間は心地良かった。

「あの時と似てるね」
「…そうかな」
「そうだよ。なまえが携帯なくして、二人で歩いて、何話せばいいのかわからなくて必死に話題を探してる。あの時と同じだ」

真琴の顔を見上げたら、真琴はこっちを見ていなくて目線はまっすぐ横浜の夜景を見つめている。
わたしは何を言ったらいいのかわからない。

本当は真琴に言わなくちゃいけないことがある、と思う。
自分の気持ちとか進路のこととか、宗介とはなんでもないよってこととか。
だけどそれを伝えたところで何か変わるのかって聞かれたらわからなくて、もし話したところで真琴がどうでもいいって顔をしたら、それこそわたしは立ち直れないんじゃないかな。

横浜は海が近くて、だけど岩鳶のどこまでも続いて地平線がずっと遠くに感じる海とは違う。
人工的な光が水面に反射してキラキラと、まるでイルミネーションみたいに綺麗だ。
綺麗だね、の一言を飲み込んで胸の中に落とす。
真琴の瞳に映る眩い海は彼にはどんな風に見えているのだろうか。

「帰ろうか」
「うん」

こんな、カップルばかりの場所に長居する理由なんてもうわたしたちにはない。
明日は全国大会のレースだし、少しでも早く戻って寝てもらわないと。
柔らかく笑う真琴の笑顔が胸を締めつけて苦しいけれど、無理矢理にでも口角を上げて返事をした。




「じゃあ、ここで」
「うん。あの、ごめんね本当に。ありがとう」
「もう何回も聞いたよ」

どうしても空気は重たいままで、会話もぽつりぽつりとしかなかったけれどなんとかホテルまで帰り着いた。
みんなホテルの同じフロアの部屋を取っているから真琴はわたしたちの部屋の前まで送ってくれて、そこで改めてお礼を言えば真琴は眉を下げて弱く笑う。

「早くシャワー浴びて寝てね。髪の毛も乾かさないとダメだよ」
「一人のときはちゃんと乾かしてるから大丈夫だよ」

お節介なことを言ってしまったというのは真琴が少し驚いたみたいに目を見開いてから気が付いた。
真琴がシャワーを浴びた後に髪の毛をしっかり乾かさなくて、いつもポタポタと水滴を零していてタオルで拭いてあげていたのは、ついこの間のことなのにひどく遠い昔のことみたいだ。
二人で話すとまだ距離感が掴めない。

「なまえも早く寝て。顔色、ずっと良くない」

すっと真琴が右手を持ち上げて、その手がわたしの頬に触れそうになったところで真琴がハッとしたような顔をしてすぐに手を下げた。

「…ごめん」
「……ううん」
「じゃあおやすみ、また明日」
「うん、おやすみなさい」

あぁ、慣れとか癖って言うのはなかなかなくならないのだな、なんて他人事のように思った。

わたしが部屋に入らないと真琴も自分の部屋には戻らないのだろうとわかっていたから、カバンからルームキーを取り出そうとするけれど手つきが覚束ない。
もたもたしながらもなんとか鍵を開けて、もう一度だけ真琴のほうを振り向いて、手を振りながら「おやすみ」と言ったら真琴も振り返してくれた。



(2017.08.31.)



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