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花火が終わって宗介に家まで送ってもらって、江ちゃんと凛に連絡を入れておいた。
花火大会の近くではメッセージが全く送れない電波状況だったけれど、「先に帰って来ちゃった、着替え今度取りに行くね」と短く打った文章はやけにあっさりと送信が完了した。

浴衣を脱いで、シャワーを手早く浴びて、髪の毛をタオルで拭きながら部屋に向かう。
家の中で急いだって仕方ないのだけれど、妙に気が急いた。
生まれた時から住んでいるこの家の部屋には滅多に見ることのない小学生のときの夏休みの絵日記から中学生のときの書道までいろんなものが残されている。
そういったものたちが無造作に詰め込まれている大きなお菓子の空箱が押し入れの中にあって、引っ張り出しながら高校生になってから開けていなかったことに気が付いた。

久しぶりに見たパッケージを目の前にして、少し躊躇しながら恐る恐る蓋に手をかける。
自分が仕舞いこんだ箱を開けるのに、どうしてこんなに緊張しなければいけないのだろうと自分でも思うけれど、忘れたふりをしていた記憶を掘り起こすのだから仕方がない。

蓋を開けて、一番下で下敷きになっているバインダーを取り出す。
それだけで瞳の奥から涙がせりあがってくるような気がして、グッと唇を噛んだ。
ページをめくると色褪せた地方新聞や、学校で配られたプリント、自分の字で書かれたノートの切れ端、覚えているものからすっかり忘れてしまっているものまで、ファイルいっぱいに挟み込んである。

一番最初のページに挟んであった新聞の日付は、十年以上前の夏のもので。
地元の水泳大会が行われたという小さな記事。
会場にいる子供達の全体写真と、開催概要、表彰台に登った子達の名前とタイムが載っている。
そこには松岡凛と山崎宗介の名前が並んでいた。

次のページには、その時の大会で凛と宗介に挟まれてカメラに笑顔を向けているわたしの写真。
二人は小さなトロフィーと表彰状を持ってやっぱり笑っている。

パラパラとめくるごとに記憶が溢れてくる。

中学の校内新聞には水泳部をはじめとする運動部が大会で残した成績が細かく載っていた。
わたしは帰宅部だったから関係ないのに、こんな古びたプリントを取っておいた理由はひとつで、そのことを人に話したことはない。
たくさんの種目のところに「山崎宗介」という名前があって、改めて幼馴染の活躍はすごかったのだなぁと思う。

校内新聞に凛の名前がないのは、もうオーストラリアに行ってしまっていたからだ。
その代わり凛からのエアメールが何通か入っていて、これも後で読み返してみようと少し張り詰めていた気持ちが緩んだ。

自分の手書きのメモには、大会毎の宗介の泳ぎについて書いてあった。
地方新聞にも、校内新聞にもこんなに細かくは取り上げてくれない。
予選から決勝までのタイムやスタート時のリアクション、ストローク、自分の目で見て、感じたこと。
拙いながらに何かを残そうと必死だったことが文字から伝わる。


当時のわたしは、ひどくかたくなだった。
マネージャーをやらないかと言われて、特段入りたい部活が他にあるわけではなかったのに断り、大会や記録会を見に来いと誘われてもなにかと理由をつけて断る。

水泳部に入りたくなかったのは水泳が嫌いだったからではないし、大会に誘ってくれた宗介に行かないと嘘をついたのは宗介が嫌いだったからではない。
ただ、わたしが幼かったのだ。
小学生の頃から背も高くスポーツができた宗介は、まぁ端的に言えば女の子から人気があった。
宗介と仲良くして女の子にやっかまれるのも、男の子からからかわれるのも、嫌だった。
学校では必要以上には話さなくなったし、大会にはこっそり誰にも言わずに足を運んだ。
恥ずかしい、面倒くさい、そして何よりも宗介からわたしのことを否定されるのが怖かった。
だから先にわたしから離れたのだ。

こっそり大会を観に行って、記録を取ったりレポートを残したところで本人には何も伝わらない。
それでいいと思っていた。
ただの自己満足で、本人に言えなくても誰よりも宗介のことを応援しようと、思っていたのだ。

結局宗介は高校から東京へ行ってしまって、連絡もほとんど取らなかった。
自分だけ凛にも宗介にも置いてけぼりにされた気がして水泳部がないからなんて理由で入学した岩鳶高校の制服に袖を通すときの気分ったらなかった。
受験するときは可愛いと思っていたのに、なんて勝手なのだろう。
東京での宗介の活躍だって、調べようと思えばすぐに調べられたのにそれをしなかったのは変な意地があったからだ。
素直になっていたら、宗介の不調や怪我のことをすぐに察せられただろうに…と思うとまた後悔がせり上がってくる。
それで何かが変わったのかはわからないけれど。

昔のことを思い出して、さっきまで一緒にいた宗介の柔らかい笑顔が浮かぶ。
やりたいことをやれと、後悔するな、と背中を押してくれた大きな手。

部屋で一人深呼吸をして、ファイルを閉じる。

まずは下の階にいるお母さんとお父さんに話をしよう。
きっとわかってくれる。
そうしたら学校に行って担任のあまちゃんにも話して、あぁ、あと凛と江ちゃんにも服を取りに行った時に話そう。
宗介にも、ちゃんと言おう。
岩鳶水泳部のみんなにも、全国大会が終わったら。
真琴はどんな顔をするだろう、もう関係ないって思われたら、やっぱり寂しいな。

落ち着いた足取りで階段を下りたら、リビングにはお母さんもお父さんも揃っていた。

「お母さん、」
「あら、髪の毛乾かしてないじゃない。風邪ひくわよ」
「うん。あのね、わたし進路決めた。東京に、行こうと思う」

パチクリと瞬きをして、「お父さん、お父さん」とソファでビールを飲んでいた父親を呼ぶ。

「ちゃんと自分で言いなさない」
「…お父さん、大学は東京に行かせてください。勉強したいことがあるの」

反対はされないだろうと思うけれど、やっぱり緊張する。
勢いのままに言ってしまわないと切り出すタイミングを失いそうだと思ったけれどお父さんもお母さんも突然すぎて驚きを隠せないって顔だ。

さっきの、宗介と同じ顔。




「東京って、どんなところだった?」

わたしからの問いかけに一拍置いて宗介から返ってきたのは、「自分で見てこい」というもっともな言葉と、泣きたくなるくらい優しい笑みだった。



(2017.08.11.)



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