37

「わぁ、なまえちゃんかわいい!」

おばさんに着付けてもらった浴衣を見るなり江ちゃんがそう声をあげてくれて、「ありがとう」と返す前に足が床に張り付いたみたいに前に出せなくなった。
先に着付けを終えた江ちゃんと入れ替わりで和室に向かう前はいなかった人物が、松岡家のリビングで悠々と麦茶を飲んでいたからだ。

「…よお」
「え、待って。なんで宗介がいるの?」
「俺が呼んだんだよ。どうせ暇だろーから」

凛がへらっと言えば宗介が「うるせぇな」と軽い口調で返す。
たしかに鮫柄はオフだと言っていたから宗介も実家に帰っているのは自然なことだし、山崎家と松岡家、ついでにみょうじ家もそれぞれ徒歩数分のところにあるご近所さんだ。
幼馴染として育って昔はこの四人でよく遊んでいたから懐かしい気もするけれどわたしの心は穏やかではない。

「なまえも着替え終わったし、出かけるか」
「え?」
「お兄ちゃんも花火行きたいんだって。なまえちゃん、四人でもいい?」

江ちゃんが問いかけてくれるけれど拒否権なんてなさそうな雰囲気。
断る理由もないんだけれど、やっぱり少し気まずいというか、なにを話せばいいのだろう。

「まぁ、いいけど…」
「うし。じゃあ行こうぜ」

宗介はやっぱり穏やかに笑っていて、ついこの間までいつ会っても眉間にシワを寄せていた人物とは思えなかった。
憑き物が落ちたみたい、だなんて宗介の顔を見上げれば「なんだよ」って不思議そうに言われるけれどその声だって柔らかい音だった。





「……で、どうする?」
「どうするも何も。とりあえずもう一度電話してみる」
「おー俺も凛にかけてるけど、繋がんねぇな。人多すぎて電波悪い」

おばさんにもう一度着付けのお礼を言って、見送られながら松岡家を出たときは確かに四人だった。

だけど今。

わたしは宗介と二人で携帯を握りしめながら背中に嫌な汗をかいている。

花火大会の会場近くは屋台がたくさん出ていて、地元の住民が一同に会するお祭りだ。
毎年のことながら、いったいこの町のどこにこれだけの人間がいたのだろう?と思いたくなるくらいには混雑している。
そんな状況で「リンゴ飴が食べたい!」と言った江ちゃんとそれに付き添った凛が人波の向こう側に消えていったのはもう十五分は前の話だった。
「買えたら電話するねー」との言葉に頷いたものの、人がいすぎて携帯が使い物にならなくなる事態はちょっと想定外。

「ここにいれば戻ってくるかなぁ」
「あー…にしても遅ぇな。リンゴ飴屋、しらみつぶしに回るか?」
「動かないほうがいい気もするけど…」

なんて弾まない会話をしながら一向に繋がらない携帯画面を見つめた。

「…花火、そろそろ始まるな」
「えっあぁ、そうだね…」
「ここからじゃ音しか聞こえないぞ」

今わたしと宗介がいるところは花火が打ちあがる会場へ向かう通りで、屋台がひしめき合っている。
たしかにここにいたら花火はほとんど見えないだろう。
せっかく来たのだからどうせなら良く見えるところに…と思わなくはないけれど江ちゃんたちとの連絡を諦めて自分たちだけ楽しむのは憚られる。
宗介への返事に困っていたら、携帯を持っていないほうの手を取られて、考えるよりも先に引っ張られるように足を前に踏み出していた。

「そ、宗介」
「移動するぞ。ここにいても多分合流できねぇよ」
「でも…」
「凛たちなら大丈夫だろ」

大丈夫って、何を根拠に…それに凛と江ちゃんが大丈夫でも、わたしは大丈夫じゃない。
繋ぐなんて甘いものではないけれど強い力で引かれる自分の手は熱いのか冷たいのかわからない。

「わ、わかったから。引っ張らないで。転ぶ」

履き慣れない下駄と、小さな歩幅でしか歩けない浴衣のせいで宗介のペースにはとてもじゃないけれど合わせられない。
素直にそれを伝えたらハッとしたように「悪い」と謝りながら速度を緩めてくれた。
けれど手は繋がれたままで、どこに行くのかと問えばいいから着いてこいと一言。

人混みをかきわけて辿り着いたのは人気のない河原で、そこでようやくわたしの右手は解放された。
左手に持った携帯には未だに江ちゃんたちからの連絡を報せる通知は来ていない。

「ここ…」
「昔四人でここから見ただろ、花火」
「すごい、宗介よく覚えてたね」

花火会場の川向いにあたるここからは、少し遠くなってしまうけれど花火がよく見えたことを思い出す。
混んでいるところから人に押されながら見るよりもこっちのほうがいいね、と小学生のときに四人で自分たちだけの秘密の場所のような気がして笑いあったっけ。

「忘れねぇよ」

いたずらっ子みたいに顔をくしゃっとさせて宗介が笑う。

「誰かさんは忘れてたみてーだけどな」
「うっごめん…けど覚えてたなら最初からここ来てれば江ちゃんたちとはぐれることもなかったのに」
「まぁな。けどあっちのほうが祭り気分は味わえるだろ?」

あぁ、やっぱり宗介とは二人きりのほうがすらすらと言葉が出てくる。
飾らないでいられるって、心地良い。
中学に入る前から宗介を避けるようになってしまって、宗介が地元に戻ってきてからもずっと良好な関係とは言えなかったから、こんな風になんのしがらみもなく話せるのは本当に何年ぶりだろう。

宗介を呼び出したという凛には正直「この野郎…」なんて思っていたけれど、こうやって小さな頃みたいな関係性に少しずつ戻れるのかもしれないと思うと前言撤回、ごめんね凛。

じっとりと暑い夜の空気を切り裂くように、ヒュルルルと空を駆ける音がして反射的に顔をあげる。

「わぁー…」

綺麗、とこぼした言葉に宗介が穏やかに「そうだな」と返事をしてくれる。
それだけで嬉しいなんておかしいかな。

打ちあがり始めた花火は色とりどりで、デザインもハート形やキャラクターの形だったり、職人さんたちが一年間かけて作り上げた眩い光の粒にうっかり涙が出そう。
ここ数日の靄が、花火が打ちあがるたびに少しだけ晴れていくような気がした。

「なぁ」
「んー?」
「なまえ、お前大丈夫か」
「…え?」

泣きそうなことがバレたのか、と少し恥ずかしく思えば続く言葉にさらに驚く。

「少しやつれた。食ってんのかよ」
「そう、かな」

たしかに最近まともに食べていなかった。
夏の暑さにやられていたのもあるし、真琴と別れてからどうにも食事を食べたいという気分にならないのだ。
大会前にマネージャーが倒れるわけにはいかないから水分と簡単な栄養補助食品くらいはなんとか口にするようにしていたけれど、それもあんまり味がわからないな…と思いながらだった。
食べていなければするする体重は減っていく。
食べられなくなって三日目から体重計に乗るのはやめてしまった。

「進路のこととか、ちょっと悩んでて。だけどご飯は食べてるよ、大丈夫」
「食っててそんな急にやつれるかよ。すぐにバレる嘘つくな」
「…ごめん」

花火の音が空気を揺らす。
話をしながらもお互いの顔を見ずに、二人して空を見上げているからか言葉がすらすらと紡がれていく。

「橘はなんも言わねぇの」

宗介の声が少し硬くなった気がした。
それを聞いて無意識に唇を噛んだのはどうしてだろう。

「…真琴には、頼れないというか。お互いの進路の話、してないし」
「なんでだよ。普通付き合ってたらそういう相談するんじゃねぇの」
「あー……そうなのかなぁ」

歯切れの悪いわたしを不思議に思った宗介が、こちらを見下ろすのが気配でわかった。

「さっき凛には話したんだけど、別れたから」

わたしは宗介のほうを向けない。

「…は?」
「別れたんだ、この前」

もう一度言ったら自分に言い聞かせているようで、今年肩を並べて花火を見上げている相手が、どうして真琴じゃないのだろうなんて身勝手なことを思った。

「いつ?」
「…地方大会のあと」

素直に答えると一瞬の沈黙のあと、宗介が溜息を吐くように「悪い」と言う。

「俺のせいだよな」
「なんで、違うよ」
「大会の後に俺が病院付いてきてくれとか言ったから」
「ううん。違うの、本当に。わたしが…」


宗介のことが大切だった、なのに勝手に避けて。
高校が離れてから真琴と付き合うようになったのに宗介が地元に帰ってきたからって揺らいで。
全部わたしが弱いからで真琴を不安にさせて、宗介に謝らせて。
周りのみんなも心配して気を遣ってくれるのに何も返せない。
わたしが、弱いから。

「なまえ、大丈夫か?」
「ごめん、平気だよ」
「…帰るか、花火終わったし」


気が付いたら花火の音は止んでいて、後半ほとんど見ていなかったことに気が付く。
もう一度、「帰ろう」と言った宗介の声が優しくて、涙が零れないようにまばたきを我慢した。
優しさが痛いなんて思う資格も泣く資格も、わたしにはない。



(2017.06.04.)



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -