36

「なまえちゃん、明日の花火大会一緒に行かない?」

夏休みに突入してから早数日。
部活も終えて片付けをしていたら、かわいらしくはにかむ江ちゃんにそう誘われた。

「花火大会?そっか、明日だっけ」
「うん!もう誰かと約束しちゃった?」
「ううん、誰とも。なんかバタバタしてて花火のこと頭から抜けてた…」

夏休みと言えど、高校三年生の夏は部活の全国大会もあるし受験勉強もしなくてはいけないし、誰かと遊びに行く予定なんて今のところなかった。
去年は部活のみんなで行って、一昨年は真琴と二人で行ったっけ。
初めて二人で出かけたのはそういえば花火大会だったなぁ。

「じゃあ明日、家まで迎えに行くね!」

四時くらいかなー早いかなー、と楽しそうに言う江ちゃんに頬が緩んだ。

「なまえちゃんと二人、久しぶりだね」
「そうだね」
「あっ浴衣、着て行かない?」

キラキラとした瞳で見つめられて、そのかわいらしさに思わず何も考えずに頷きそうになったけれど踏みとどまる。
浴衣なんて年に何度も着られるものではないし、誘ってもらえたことが純粋に嬉しいのだけれど、残念ながら明日はその申し出の半分には答えられそうにない。

「浴衣、着たいんだけど…明日お母さんいなくて。わたし自分じゃ着付けできないんだよね」
「それならうちに浴衣持ってきたら?」
「え?」
「うちのお母さんに一緒に着せてもらおう!」
「いいの?」
「もちろん!お母さんも久しぶりになまえちゃんに会いたいと思うし」

そんな会話をした次の日。
江ちゃんの言葉に甘えて、浴衣やら帯やら着付けセットを抱えて松岡家へ向かった。
みょうじ家と松岡家は歩いて数分のところにあるから、適当な紙袋に必要なものを入れて足早に運んでいた、ら。

「なまえ?」

松岡家のインターフォンを押そうと手を伸ばしたところで小さい頃から聞き慣れている声に名前を呼ばれる。
勢いよく振り返れば、この家の住人である凛が驚いた顔をして立っていた。

「凛、えっどうしたの?」
「どうしたって。自分の家に帰ってきただけだろ」
「それはそうだけど」
「うちは全国大会前は一週間オフなんだよ」

そう言う凛の手には大きな荷物がぶら下げられていて、「とりあえず入れよ、暑い」とその荷物でぐいぐい押されるようにして松岡家に迎え入れられた。

「ただいまー」
「お兄ちゃん!おかえりー!ってなまえちゃんも一緒だったんだね、いらっしゃい」
「お邪魔します。凛と偶然外で会ったの、ビックリしたー」

江ちゃんはいつにもまして笑顔がはじけていて、やっぱりお兄ちゃんである凛のことが大好きなんだろうなぁというのがよくわかる。

「なまえちゃん、浴衣そこに置いておいてね。あ、お兄ちゃん部屋行っちゃうの?すぐリビング戻って来てね。お菓子あるよ!」

普段寮に住んでいる大好きなお兄ちゃんが帰ってきたのだから当たり前かもしれないけどダイニングテーブルに用意されているお菓子を指さしながら言う江ちゃんの声は明るい。
凛は「へーへー」なんて適当に返しながらも照れくさそうに口角が上がってるの、バレてるよ。
兄妹っていいなぁ、と頬が緩んでいたら、凛が「何笑ってんだよ」とぶっきらぼうに言った。




「あーなるほど、花火大会。てか江はともかくなまえお前受験生だろ、余裕だな」
「うっ…勉強は、してます…」
「なまえちゃん、志望校決まってるの?」
「それはハッキリとはまだ……」

おばさんにもご挨拶をして、花火大会の始まる時間まではまだ時間があるからと江ちゃんが出してくれた麦茶をみんなで飲みながら話していたら雲行きが怪しいほうに向かう。
まぁ、この時期の高校三年生の話題といえば受験のことがテッパンなのだけれど。

「凛は?決めた?」
「まぁ大体は。言わねぇけど」
「なにそれ」
「お兄ちゃん決めたの?わたしもまだ聞いてないよ」
「だから大体は、だって。決めたらちゃんと報告すっから。てか待ち合わせ何時なんだよ、真琴たちと行くんだろ?」

突然出た真琴の名前に、コップを持つ手に力が入るのが自分でわかった。
江ちゃんにも別れたことは話していない。
麦茶はわたしの手の中にあるのに、喉がカラカラと乾いているように感じる。
なかなか答えないわたしに凛が怪訝そうな表情をした。

「違うよ、わたしとなまえちゃん二人で行くの」
「はぁ?二人で?」
「そう。来年なまえちゃんは岩鳶にはいないかもしれないから、今年はわたしがなまえちゃんを独り占めするの」

羨ましい?と言う江ちゃんは、わたしが真琴に振られたことに気が付いているのかもしれない。
わかっていて真琴の名前は出さずに「誰かと約束をしたか」という聞き方をして誘ってくれて、今も言葉が出てこないわたしのフォローをしてくれたのかな。
「女二人で浴衣で花火とかアホか、危ねぇだろ」と言う凛と、「地元なんだから大丈夫だよ」とけろっと返す江ちゃん。
学校にいるときは息が詰まるような苦しさを感じずにはいられなくて、幼馴染の兄妹のやりとりを聞いていたらずっともやもやとして仄暗かった胸の中が少しだけじんわり暖まるような感覚がする。

今日、来てよかったなぁ。
なんて。
まだ目的である花火大会に行くどころか準備すら始めていないのに満足してしまった。

「おいなまえ、聞いてんのか」
「うん。聞いてる聞いてる。江ちゃんのことはわたしが守るから大丈夫だよ」
「…全然わかってねぇ」

凛がはぁ…とわざとらしく溜息を吐いていたところで、おばさんからそろそろ着付けしたら?とのお声がかかって江ちゃんが呼び出されて、リビングにはわたしと凛だけが取り残された。
凛と会うのは地方大会以来で、二人きりになると思い浮かぶのは大会会場の廊下でわたしを医務室へと連れて行ってくれた後ろ姿や、ベンチで肩を並べて宗介を待っていた病院の待合室の風景だ。

「…なまえさ、」
「えっなに?」

さっき浮上した気分を自ら少し下げてしまって一瞬ぼんやりしていたら、凛がおもむろに口を開く。

「なんかあっただろ、真琴と」
「なんかって…?」
「真琴からハルのことでメールが来たんだけど。折り返し電話したら宗介のこと聞かれてなまえのこと連れ出して悪かったなって俺も謝ったんだよ」
「…うん」
「それに対する返事がなんとなく歯切れが悪かったっつーか。まぁ電話だったから気のせいかとも思ったけど、お前も暗い表情してるしさっきの江もなんか誤魔化すみたいな態度だし」

江ちゃんがフォローしてくれたことまでくみ取るなんて、さすが大所帯の部長を務めているだけある。
日本に戻ってきたばっかりの頃は自分のことで精一杯って感じで、とげとげしていたのに環境が人をつくるというのは本当かもしれないな。
まるで現実逃避するようにそんなことを考えていたら「聞いてんのか」って凛がまた機嫌悪そうに顔を歪めた。

「聞いてます。…真琴とは、別れた、よ」

じわり、とわたしの視界が滲むのと同時に、凛が目を見開いた。

事実を口にしたのは初めてだった。
何かおかしいと思っていても友達も、部のみんなも気を遣ってか何も聞いてこなかったから、わたしも言わなかった。
言ったほうがいいのかな…と思わないこともなかったけれど、真琴も特に公言はしていなかったようだったし。

「マジかよ」
「うん。まだ江ちゃんにも…っていうか水泳部のみんなにも言ってないんだけど」
「なんでフったんだよ。あんな良い奴いねぇぞ」
「いや…わたしがフラれたんだよ」
「はぁ?」

意味わかんねぇ…と凛が独り言のようにつぶやく。

「わたしが…ずっとふらふらしてたから、かなぁ」
「ふらふら?」
「宗介がこっち戻って来て、動揺してたのが真琴に伝わっちゃって、」

自分でも声が潤むのがわかる。

「あー…もういい、なんとなくわかった気がする」
「…ん」

凛ってこんなに人の気持ちの機微が読める人だったっけ。
伊達に部員何十人もまとめてないなぁ、とさっきも思ったことが頭に浮かんだ。

動揺。
なんて言葉じゃ片付けられないこの気持ちには自分でも名前は付けられないけれど、少なくとも自分から真琴に別れを告げるような感情の変化はないつもりだった。
わかった気がすると言ってくれた凛から見て、わたしの態度はどんな風に見えていたのだろう。
それを聞くのにはまだ時間が必要だなぁ、と黙って麦茶を一口飲んだ。


すっかり重たくなった空気は、江ちゃんが戻ってくるまで払拭されることはなかった。


(2017.04.20.)



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