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地方大会の直後、付き添いで行った病院では本当に「ただの付き添い」で、宗介が診察室で応急処置をされているのを凛と待合室で待っていた。

「お前、宗介の怪我のこと知ってたのか?」
「貴澄に聞いた。本人に聞いたのは、地方大会前にホテルで」
「は?貴澄?!つかホテルってなんだよ?!」
「えっあ、ホテルって、みんなで泊まってるとこで、偶然エレベーターで会ったときにだよ」
「んだよ、ビビらせんなよ…」
「ごめん…」

静かな待合室で、凛が椅子から立ち上がるガタンという大きな音が少し響いた。
幸い休日の救急病棟にはわたしたち以外いなかったけれど。

「貴澄っつーのは?」
「貴澄にも偶然家の近くで会って。貴澄も怪我して病院行ったときに宗介に会ったんだって」
「まじか、何にも知らなかったの俺だけかよ」
「ごめんね、黙ってて」

そう言えば凛は「そんな顔すんな」って笑った。

「お前も一人で抱えてんのしんどかっただろ。岩鳶の奴らには言えないだろうし」
「…凛は優しいね」

引っ込んでいた涙が、またじわじわと押し寄せてくる。
そのあとは宗介が診察室から出てくるまで、何を話すでもなく肩を並べていた。



ガチャッと扉の開く音がして、反射的にそっちを向いたら肩を抑えた宗介とコーチが出て来た。

「松岡、みょうじさんもお待たせ」
「いえ。宗介の肩って…」
「とりあえず痛み止めの注射打ってもらったけど、戻ったら即かかりつけの病院行きだな」
「…すんません」
「ほんっとにな!」

説明をしてくれたコーチやわたしたちに向けて謝る宗介に、凛がカラッとした声で返事をする。
わたしは口を挟めずに三人の会話を聞いていたけれど、宗介が「なまえも、悪かったな」と穏やかな顔で笑うから胸がぎゅうぎゅう痛んだ。
「ううん」と返したわたしの声は我ながら情けないくらいに小さい。
わたしたちのやりとりを見ていたコーチに「お前らぎこちねぇなぁ」と笑われてしまった。


帰りの電車の中では宗介の隣に有無を言わさず座らせられた。

「宗介、窓際にする?通路側落ち着かないでしょ」
「あー…じゃあそうする」

窓側の席を宗介に促して、わたしは通路側に座る。
地元の駅に着くまで二人かぁ、と勝手に気まずい気持ちになったけれど、電車が動き出すとすぐに隣からすぅすぅと寝息が聞こえてきた。

大会の疲れもあるだろうけど、今まで一人で抱えてきた重荷みたいなものが少しは軽くなった安堵もあるのかもしれない。
痛みも辛さも、全部をわかってあげることは難しいと思うけれど、わかりたいと思うし一緒に背負えるなら背負いたい。
宗介の寝顔が子供みたいに無防備でそんなことを思った。

気が付いたらわたしも意識を手放していて、コーチに起こされたときにはもう地元の駅に着いていた。

「じゃあ、ここで」
「おう。送って行けなくてごめんな」
「いいよ。二人とも疲れてるだろうし…宗介、ちゃんとコーチと凛の言うこと聞いて安静にしてね」
「わかってる」
「説得力ぜんっぜんないから」
「はは、また連絡する」
「…うん」

宗介はやっぱり穏やかな顔をしていて、あんな表情を見たのはいつ以来だろう。
会場の医務室で「離れがたい」とわたしの手を弱く握った顔ともまた違って、それがなぜか不安に感じた。

これから宗介の水泳人生はどうなるのだろう。

もう前みたいには泳げないと言った彼の顔は痛々しくて、それでいてどこか振り切れているようだった。
鮫柄はメドレーリレーの結果はうちに次いで二位だったけれど全国大会には行ける。
凛は個人種目でも全国出場が決まっているけれど、宗介は。
あの状態じゃ回復は難しいだろうし、きっと本人も地方大会が最後だと決めて臨んだのだろう。

将来のために今しかない仲間とのレースを諦めるのか。
今この瞬間のために未来の希望を捨てるのか。
宗介は自分で選んだ。

わたしが考えても悩んでも過ぎたことは変わらないのに、それでもわたしは、自分に何もできなかったことを悔やまずにいられない。





家に帰ってすぐに真琴に連絡を入れた。
きっと、心配している。
宗介の病院に付き添うことを嫌な顔ひとつしないで了承してくれて、送り出してくれたことにありがたいなぁと思うし、謝らないととも思うし、全国大会出場をちゃんと祝いたい。

(…電話、したいなぁ)

声が聞きたいと思うけれど、携帯の画面をじっと見つめるだけで思いとどまる。
真琴だって二日間の大会を終えて疲れているだろう。
明日になれば学校で会えるし、我慢しよう。
言いたいこと、言わなくちゃいけないことはたくさん浮かぶけれど送ったメッセージはごくシンプルなものになってしまった。










「俺と別れてください」

好きだと言ってくれた道で、毎日のように一緒に歩いた道で、別れを告げられた。
目の前が真っ白になるって、きっとこういうときに使う言葉。

真琴がずっと不安に感じていたことはわかっていて、何度も縋るような視線を俯けている真琴の手を握って大丈夫だよってその不安を溶かしたいと思っていた。
避けられて、仲直りして、この数か月ずっとサインは発せられていたのに。

もう無理だ、と力なく笑った真琴の顔が涙で歪んだ。

いつ、引き返せないところまで来てしまったのだろう。
真琴を想っている気持ちは変わっていないのに、たくさん傷付けて、こんなに優しい彼のことを苦しめてしまった。

「…わかった」と答えた声は震えて海風にかき消されそうなくらい小さかったけれど、真琴が「ごめんね」と言った声はしっかりわたしの耳に届いた。

ごめんね、なんて。

謝るのはわたしのほう。


涙がぽたぽた零れて地面にシミを作る。
今まで触れてくれた真琴の大きな手はもうわたしのほうへ伸ばされることはなくて、強くこぶしを握っている。
だけど真琴はわたしが泣き止むまで待っていてくれるんだろうな。

止まらなければ、きっとずっと。

真琴はそういう人だ。
優しさが痛いなんて、今のわたしには言う権利はない。

ごし、とまぶたを擦れば力加減がわからなくて少しぴりっとした。
顔を上げて真琴を見たら、唇をぐっと噛みしめている。
こんな顔させたくなかったなぁ。

別れ際に、また明日、と言おうとしたわたしの精一杯の強がりはやっぱり言葉にはならなかった。









中学を卒業して高校に入学したとき、大げさに言うと世界がくすんで見えた。

自分で選んだはずなのに「どうしてここにいるんだろう」なんて制服のリボンを指で触りながら思った。
入学式の日に教室で俯いてプリントを隅から隅まで読んでいたわたしに降ってきた柔らかい声を今も覚えている。

「みょうじなまえさん?」

顔をあげることができたのは、確かに真琴のおかげだった。







涙を堪えられたのは本当に一瞬で、一人で歩き出したらもう視界が滲んでいつも真琴と見ていた風景が歪む。
ぼろぼろ涙がこぼれたけれど拭う仕草が真琴にバレるのは嫌だった。
泣きたいのは真琴のほうで傷付いているのだって真琴のほうなのに、わたしが泣くのはずるい。

だから、明日も明後日も真琴に会ったら、真琴がこれ以上傷付かないように今まで通りに、笑わないと。


(2017.03.22.)



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