7.Just only you

エキシビションの次の日はバンケットだ。
ドレスコードがあって毎回着飾るのは大変だけれど、年に数回しか会うことのない他の国の選手たちと交流を持てる貴重な機会だし、嫌いではない。
夜のバンケットまで時間があるから、普段なら昼間は開催都市を観光して回ることがほどんどだけれど今日はそんな気分にはとてもなれなかった。

(…寝た気がしない……)

浅い眠りを繰り返して、昼過ぎまでベッドでごろごろ過ごしていたのだけど、ようやく起きて顔を洗うために洗面所に向かう。
ぼんやりとお化粧をしていたら昨晩から塞ぎ込んでいた気分もいくらか落ち着いてきて、バンケットのために用意していたドレスに袖を通す頃にはだいぶ回復した。

ドレスは深い赤色の生地を選んだ。
襟元からデコルテにかけては繊細なレースになっていて、胸元からウエストは細いけれど裾はふわっと広がったデザインのドレス。
袖はノースリーブだけれどバンケットは宿泊しているホテルのホールで開催されるし上着はなくて大丈夫だろうと持ってこなかった。
少し大人っぽいかな…と思ったけれど、ミラが「少しくらい背伸びしたほうが綺麗に見える年頃でしょ」と言って選んでくれたのだ。


「なまえちゃん!」
「勇利くん、こんばんは」
「こんばんは。昨日は連れ回してごめんね」
「ううん、おいしいご飯食べられて嬉しかったです」
「そっか。今日はユリオ一緒じゃないの?」
「…多分、時間までには来ると思います。勇利くんこそヴィクトルは?」
「いま飲み物取りに行ってるからすぐ来るよ」

ヴィクトルの銀髪はどこにいてもとても目立つ。
背が高いこともあるけれど、そうじゃなくてもどこにいたって目を引くし、彼の周りには人が集まるから。
飲み物を取りに行ったはずなのに囲まれてしまったらしいヴィクトルがこちらに気付いて人混みをかき分けて向かってくると、隣には少しげっそりしたユーリがいた。

「なまえ!ユリオがもみくちゃにされてたから助けて来たよ!」
「もみくちゃになんてされてねェ!ヴィクトルといたせいで囲まれただけだ!」

いつもみたいにヴィクトルに悪態をつき、ネクタイを緩めながら荒い足取り。

「ユーリ、大丈夫?」
「あぁ…」

昨日のことがあったから気まずい、すごく気まずい。

「ちょっとユリオなにその態度?それ、なまえに取ってきたんでしょ?」

渡さないの?とヴィクトルが指したのはユーリの手に収まっているグラスのカップで、中身はきっと炭酸水だ。
わたしが甘いジュースよりも好んで飲むことをユーリは何年も前から知っている。

ズイッと無言で差し出されて、ユーリの顔を見たらわたしを見ていた視線が伏せられた。

「ありがとう、炭酸水なんて置いてあったんだね」
「テーブルにはなかったのにわざわざウェイターさんに出してもらったんだんだよね」
「おい余計なこと言うなよ!」
「アハハ、なまえはそれが好きなんだね」

ヴィクトルの言葉にユーリが彼を見上げて怒る。
…そういえば、ヴィクトルと並んでも身長差が縮んだ。
わたしとの差が広がるわけだなぁ。

もう一度お礼を言ったらユーリが「おう」とそっけなく返事をした。





バンケットはお偉い方々の乾杯から始まって、いまは歓談の時間。
ヴィクトルと勇利くんはスケート連盟の方々に捕まっていて、ユーリは…女子選手に捕まっていた。
女子シングルで一位だったアメリカの子、年齢はわたしたちより二つ上だったかな。
エキシビションでもペアだったし気に入られたのかもしれない。


「なまえちゃん、ひとり?」

一人でボーッと座って会場を眺めていたらフランスのアイスダンスの選手が声をかけてくれた。
手には二人分の飲み物。
その片方、多分アップルジュースが入っているグラスをわたしに「どうぞ」と渡してくれる。

「こんばんは、ありがとう」
「いつも番犬が一緒なのに珍しいね」
「番犬…?」
「ユーリ・プリセツキーだよ」

犬というよりは猫だけど…と言うのは胸の内に留めた。

「いつも一緒ってわけじゃないですけど」
「そうみたいだね。オレとしてはなまえちゃんと話せてラッキーだな」

隣のイスに座られるのはなんとも思わないけれど、ぐっと近付いてきて耳打ちするように言われて思わず身を引く。

「…まぁ、普段話す機会なんてないですもんね」
「年に数回しか会えないなんて寂しいよね」

わたしは全然寂しくないです、とは言わないで愛想笑いを浮かべた。

「なまえちゃんいつもあいつといるけどさ、あんな生意気な奴よりたまには違う選手とも話してみたほうがいいよ」
「生意気って、ユーリのことですか」
「そうそう。苦労知らずでここまで来てさ、ちょっと結果残してるからって今も女子はべらせてチャラついて」
「…」
「リンクメイトだからってあいつとばっかりいないでさ、」
「っあの、そんな言い方しないでください」

ユーリは確かに練習嫌いだったときもあるけど、何も知らない人にこんな言われ方をするような温い生活をしているわけではない。
スケーターは表現者であり、アスリート。
なんの苦労もしていない人間がトップを走り続けられる程、甘い世界ではない。
そんなことここにいる人間ならみんなわかっていると思っていた。

「ユーリは…っ」

続けようとした言葉を飲み込む。
喉に残ったアップルジュースの味が苦い。
決して大きな声を出したわけではないのに、怒気を含んだわたしの声は場違いすぎて近くにいた人には聞こえてしまったみたいだ。
ユーリも、こっちを見ていた。

「…すみません、わたしちょっと涼んできます」
「あぁ…こっちこそごめん」

この人は何に対して謝っているんだろうと思ったけれどそれを追求するよりも早くこの場を去りたかった。



会場であるホールを出て、ホテルのロビーを小走りで突っ切って庭園に出る。

「寒い…」

庭なのだから当たり前だけれど、冬のニッポンはロシア程ではないにしろノースリーブのドレスでは寒すぎて鳥肌が立った。
涼んでくる、なんて言ったけれどこのまま外にいたら風邪を引いてしまう。
設置してあるベンチに座って、両手で腕をさすって会場に戻ろうか、もう部屋に帰ってしまおうか考えていた、ら。

「おい、そんな服で外出るとかバカか」
「わっ」

バサッと頭から布のようなものがかけられて視界が一瞬暗くなる。

「自分がどんな服装かわかってんのかよ」
「…ユーリ」

この状況でわたしのところに来てくれる人なんてユーリくらいだってことは一瞬で頭が理解したし、声とか、被せられたジャケットから香るにおいとか、そういう全部になぜか泣きたくなる。
ジャケットを払って、伺うようにユーリを見たらいつもの仏頂面。

「なにボケっとしてんだよ、それ羽織っとけ」
「でも、これ借りたらユーリが寒いでしょ」

さっき会場で会ったときの服装は、ユーリだって決して厚着ではなくてジャケットを脱いだらシャツ一枚だ。
申し訳なくて返そうと思うけれど「見てるこっちが寒い」と肩に羽織らせてくれる。

「…ありがとう」
「おう。てかなんか揉めてたけど。あいつと仲良かったっけ?」

あいつ、というのはフランスのアイスダンスの彼のことだろう。
仲良くなんてないし年に数回会っても挨拶と世間話くらいしかしない。
ユーリだってそんなことわかっているはずなのにわざと聞いているんだろうな、意地が悪い。

「まぁ、それなりに」

その意地の悪さに対抗するわたしもわたしだけれど。
ユーリが形の良い眉毛をしかめる。

「…オレのことで怒ってたくせに」

言いにくそうにユーリが呟く。
会場でのやりとりを聞かれていたのかと思うとユーリのほうを向けない。

「怒ってたっていうか…怒ってたけど、」
「あいつ固まってたぞ。お前外面いいからビビったんじゃねぇの」
「うぅ…申し訳ないことしたかも」
「まぁ、オレは嬉しかったけど」

わしゃわしゃ、と愛猫を撫でまわすときみたいに頭を撫でられて驚く。

「オレのことは、なまえがわかってくれてりゃいい」

肩にかけられたジャケットはサイズが大きいからずり落ちて、それをユーリが直してくれるからされるがままだ。
言葉はぶっきらぼうなのに手つきとか表情から優しさが溢れていて、昨日からずっと重たかった心が溶けていくみたいに温かくてほっとする。

ユーリのことが、好きだなぁ。

「ねぇ、ユーリ」
「ん?」
「わたし昨日ヴィクトルと話してみて気付いたことがあって、」

なんて言ったらいいかな。
どう言ったら伝わるかな。

思い出せないくらい昔から一緒にいたけれど、ユーリに対して気持ちを言葉にしたことなんてなかった。
言わなくてもお互いに大切な存在なんだってわかっていた。
その「大切」の意味を考えたことがないくらい、近くにいた。

無言でわたしの言葉の続きを待つユーリの瞳を覗き込む。
暗い夜空の下でも、エメラルドグリーンがきらきらと瞬いていて吸い込まれそうだ。

「ユーリのことが好き」

見開いた瞳が、ゆっくりパチパチと瞬きをした。

「…は?」
「昨日ユーリにあんなこと言われたからじゃないよ」
「じゃあ、なんで」

ユーリの顔に浮かぶのは、困惑、驚き、それと多分…

「顔真っ赤…」
「ッうるせェな、お前がいきなり変なこと言うからだろ!好き、とか」

いつもハッキリものを言うユーリが口籠る。

「だってお前は、ヴィクトルが」
「そうなんだけど…そうじゃなくて、」

何年も、わたしはヴィクトルのことが好きだという前提があって、そのうえでわたしたちは一緒にいた。
隣を歩いて手を繋いで抱き合ってキスをして、ユーリはどんな気持ちだった?

「ヴィクトルのことは、もうそういうんじゃなくて。自分でも嘘みたいなんだけど、ユーリが優子さんと付き合ってるんだって考えたら苦しくて、本当はずっと苦しくて、」

ユーリがニッポンに行ってしまったのはもう三年も前のことなのに、思い返してみれば胸の奥がずっとズキズキと痛かった。
優子さんとはそういう関係じゃないのだとわかったとき、つっかえていた何かがなくなるような感覚がした。

「好き」

もう一度、伝わるように言葉にしたらユーリが唇を噛む。

「…なんで、」
「え?」
「なんでお前に先に言われなきゃなんねェんだよ、オレのほうがずっと前から、なまえのことが好きだった」

ためらいがちに伸びてきた男の子にしては白くて華奢な腕がわたしの手を引いて、一瞬あとにはもうユーリの腕の中だ。
後頭部に回された手によってユーリの胸元に頭を押し付けられて、とくんとくんと忙しなく鳴る心臓の音が心地良い。

「…もう嘘とかジョーダンとか言ってもなかったことにしてやらねェからな」
「うん、ほんとだよ」
「なまえ」

綺麗な指が、するりとわたしの頬を撫でた。
瞳のエメラルドグリーンが揺れて、ゆっくり言葉が紡がれる。

「好きだ」

ゆっくり顔が近付いてきて、ユーリの顔が少し斜めに傾く。

(あ、キスされる)

瞬間的に、自由な左手でユーリの口元を抑えた。

「ま、待って…」
「は?なんでだよ」
「なんでって、なんか、こう、初めてだし、好きって言ってからは、」
「今まで散々したのに?」
「うっ…でも好きって自覚してから初めてだし、ユーリもわたしのこと好きってわかってからじゃ心持ちが違うというか…」
「はァ?」

あぁそりゃあ怒るよねって想いが通じたばかりの相手の顔をおそるおそる除けば、予想外の顔。
さっきよりもずっと赤く染まった顔を、自分の手で隠すように口元を覆っている。
睨むように鋭い視線を向けられるけれど、感じるのは恐怖とかマイナスな感情じゃなくて、照れているんだってわかるから愛おしさしか湧かない。

「……ユーリ?」
「お前なぁ…そんなこと言われたら煽るだけだっつーの」
「え、ちょっと待って」
「もう十分待った」

二回目の制止の言葉は無視されて、逃げようとした手はしっかり掴まれたけれど触れ合った唇は嘘みたいに優しくて、寒空の下なのに今までのどのキスよりもずっと、ずっと温かかった。


絡めた指から、触れた唇から、好きが溢れる。





不毛な片想いのはずだった。
誰にも話したことはないのになぜだか周りは気付いていて、たぶんわかっていないのは相手だけ。
いつも頬を染めながら他の男の話をしてくる幼馴染のことが愛おしくて苦しくて、良いように文字通り丸め込んで抱き締めて眠るようになった。

手を繋いでも、抱き締めてキスをしても、二人の気持ちはイコールにはならない。
なまえはオレをそういう風には見ない。
それでも構わなかった。
隣にいることを許されたかったし必要とされたかった。

いつかサヨナラを告げられると思っていたのに、好きだと言われるなんて。
触れたら消えてなくなるんじゃないかと、夢が覚めるんじゃないかと柄にもなく思ったけれど触れた指先も唇も確かに温かくて、なまえの言葉が頭の中をぐるぐる回る。

叶うことなどないと思っていたのに、伸ばした手は確かに繋がった。
無償の愛とかそんなものは正直この年齢になったってよくわからないけれど、たぶん例えるならこんな気持ちなのだろう。

愛を教えてくれた、なまえの隣にこれから先もいたいのだ。
素直に伝えたらきっと驚いて「頭でも打った?」なんて言った後、照れたように頬を染めて微笑むんだろう。



君が微笑めば世界は色で満ちて、枯れることのない花が舞う。



(2017.02.24.)



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