4.Reach for the star

「勇利くん!よろしくお願いします」
「こちらこそ」

エキシビションの振り合わせは、シングルのフリープログラムが終わった翌日の午前中に急ピッチで行われる。
個人で与えられる時間は各々用意している演技を披露するけれど、クライマックスではその大会で表彰台に上がったメダリストたちが揃ってリンクで踊る時間があるから、いまはその練習時間だ。
今回、NHK杯でのエキシビションでは男女シングルのメダリストがペアになって踊るパートが用意されていた。

「わたし、ずっと勇利くんの演技を動画で観てて。今回一緒に踊れるなんて光栄です」

女子シングル三位だったわたしは、男子一位だったニッポンの勝生勇利くんとのペアだった。
同じ国代表の選手同士がペアにならないようランダムに組まれたらしい。

わたしの言葉に「いやいや…」と謙遜する勇利くんは、失礼かもしれないけれどリンクの上で堂々と演技をする人と同一人物とは思えないくらい穏やかで物腰が柔らかすぎる男性だった。

「勇利くんのプログラム、安定した技術もですけど表現力がすごくて!最後までスピードの落ちない体力も!」
「ありがとう。けどシニアデビューの年でいきなり表彰台のなまえちゃんのほうがすごいよ」
「いえ、わたしなんてまだまだ…課題が山積みで。特にメンタル面とか、弱い自覚があるんで…」
「メンタル?僕も未だに弱いよ」

勇利くんが苦笑しながら「こればっかりはねぇ」なんて頭をかく。

「え、でもそんな風に見えないです」
「まぁ場数は踏んでるから」

照れくさそうに腕を上げて、力こぶを作っている。
その様子が八歳も年上だと思えないくらい親しみやすくて笑ってしまう。

「ふふ、勇利くん逞しいですね」
「え?そう?確かに筋力はあるほうかなぁ」
「ユーリのこととか軽々リフトできちゃいそう」

頭に浮かんだのは、いつだったかリンクサイドでミラに担がれているユーリの姿だ。
背は伸びたけれど細いし、勇利くんだったら余裕だろうな。

「ちょっと、なまえいまなんて言った?」

休憩中だからって長々と話しすぎただろうか。
近くにいたエキシビションの演出を行う振付師の先生がこちらに近寄ってきた。

「えっ、勇利くんリフトできそうって…すみません」

私語を怒られたのかと思い、肩を縮こまらせていたら勇利くんが「すみません!」と一緒に謝ってくれる。
本当に優しい人だなぁ。

「どうして謝るの?良いインスピレーションが浮かんだわ!」

勇利くんとビクついていたら、飛んできたのは予想外の言葉だった。












「そう、うん、そこで勇利がなまえをリフト、無理のないようにね」

クソ、イライラする。
原因はオレの隣でうだうだ喋っている女子シングル一位だった女のせいだけではない。
少し離れたところで振付師が熱心に指導しているなまえと、カツ丼のせいだ。

子ブタがなまえのウェストに手を添えて、ぐっと力を入れて持ち上げる。
競技のリフト程の高さはもちろんないけれど、まるでそれが映画のワンシーンのようで胸がチリついた。
二人で手を繋いでステップを踏み、そのままの流れでリフト。
カツ丼がなまえをそっと氷上に下ろす仕草や、リフトが成功した喜びからか二人が顔を見合わせて笑う姿に眉間にシワが寄る。
練習着だしメイクだってほとんどしていないし髪の毛だって適当に結んでいるだけなのに、なまえが笑うと華が舞ったみたいに周りが色付いて見える。
本番の衣装で、整った照明や音響の中を踊るなまえと勇利の演技は直視できそうにはなかった。




エキシビションが開演し、照明が落とされたリンクで順々に選手たちが演技をする。
競技では明るい照明で緊張を最高潮に保ちギリギリの研ぎ澄まされた状態でずっといるから、エキシビション特有の高揚感で会場が満たされていた。


「ユーリ!」

演目が順調に進み中盤に差し掛かった頃、なまえが身支度を済ませてオレのところへ駆け寄ってきた。

「おう」
「見て、衣装。かわいいでしょ」
「おーいいんじゃねぇの」
「リリアが見立ててくれたの。プリマみたいだよね」

なまえがくるりとその場でターンしたらピンクと白のチュールが幾重にも折り重なったスカートが揺れた。
この衣装のままあいつと踊るのかと思ったらおもしろくない。

「わたしの出番もうすぐなの。モニターでもいいから観ててね」
「…ちゃんとリンクサイドから観ててやるよ」

長い睫毛に縁取られた瞳が嬉しそうに細められる。
手に持っていたナショナルチームのジャージを羽織り直して、「じゃあまたあとで」とリンクへ続く道を歩いて行った。

ジャージ、オレに衣装見せるために脱いだんだろうか。
わざわざオレのこと探してくれたのか。
ざわついたり、チリチリと痛んだり、ふわりと軽くなったり、温かく包まれたように感じたり、オレの心臓は忙しい。


「あ、ユリオだ」

無意識に左胸のあたりを手で押さえてなまえが歩いて行く後ろ姿を見ていたら、横の通路からあまり呼ばれないニックネームを呼ばれた。
この名前で呼ぶ奴なんて限られている。

「…カツ丼かよ」
「なまえちゃんと本当に仲良しなんだね」

カツ丼も演技用の衣装に着替えていて、いつもは下ろされている前髪がオールバックになっていて印象が変わる。
話かけてきたと思ったらなまえの後ろ姿を見て、なまえのことを話す。
わざとかよってまた苛立ちが募ったけれど、こいつは何も考えていないのだろう。

「別に。ちょっと話してただけだろ」
「ふぅん?なまえちゃんと話してるときのユリオ、見たことないくらい優しい顔してるけど。付き合ってるんでしょ?」

優しい顔、とか。
どんな顔だよ、自分じゃわかんねェよ。

「……付き合ってねーよ。あいつ好きな奴いるし」
「えっそうなの?」

本当に驚いたように目を見開いた後、眉を下げて「でもユリオは好きなんだよね」とか言う。
子ブタのくせに。

「そんなんじゃねェ…おいやめろ頭撫でんな!」
「はは、って笑いごとじゃないか。僕はユリオのこと応援してるよ」
「うるせーな、だから違うって言ってんだろ!!」

応援とか、されたって無駄だ。
なまえが好きなのはお前のコーチで、お前がめちゃくちゃ憧れているヴィクトル・ニキフォルフだと言ったらどんな顔をするだろうか。
背が伸びても、スケートで結果を残しても、オレはヴィクトルにはなれないし、なまえはオレのことを好きにはならない。


エキシビションはつつがなく進み、メダリストたちが一斉にリンクへ飛び出していく。
オレも与えられたパートに気持ちを入れて踊るけれど、やっぱり気になるのはなまえとカツ丼のペアで、視界の端ではずっと二人を探してしまう。

手を取って、微笑み合って、あぁ嫌だ。

勇利は童顔だからかなまえと踊ってても絵になる…いや、この言い方はなんか癪だな。
なまえがしっかりヘアメイクをしているからというのもあるだろうけれど、年齢差は八つもあるというのに釣り合いが取れているのだ。
きっと数年後には、なまえはかわいいよりも綺麗が似合う女になって、例えばヴィクトルと並んでも違和感なんてなくなるのかもしれない。
他の男と踊る姿なんていままで何度だって見てきたのに、こんなにも苦しい。











「あーユリオくんだ!」
「おぉ、なんでいるんだよ」
「みんなの応援に来たんだよ!久しぶりだねぇ」

全ての演目を終えて、これで本当に今年のNHK杯は終わり。
メイクを落として荷物をまとめ、会場を出たらユーリが知らない女の子と話していた。
こういう大きな大会では会場の外で出待ちをしているファンの人がいるっていうのは珍しいことではないし、ユーリには非公式だけれどファンクラブがあるから、そのうちの誰かかなぁと思ったけれどユーリの様子を見てすぐに違うとわかる。

誰、だろう。


会場の関係者入り口の前で動けずにいたら、後ろで扉が開いた。

「あれ、なまえちゃんどうしたの?」
「勇利くん…ごめん、道ふさいじゃってたね」
「ううん。ってあれ?優子ちゃんだ。応援来るって言ってたけど待っててくれたんだぁ」

彼女が、優子さん。

「あっなまえちゃんは知らないか」
「名前だけ聞いたことあります。…ユーリのガールフレンドだって」

一年前、ユーリがヴィクトルを追いかけてニッポンの長谷津に行ってしまったときにできたガールフレンド。
彼女の話をしたのは当時、ミラとだけで、改めて口に出したら自分の言葉が鉛みたいに胸に落ちた。

「えぇ?!ガールフレンドって、違うよ!優子ちゃんは僕の幼馴染…って言うのかな。ユリオとは長谷津に来たとき仲良くなったみたいだよ」
「え、でもミラがそう言って…」
「ユリオ本人に聞いたわけじゃないんでしょ?いや、っていうかユリオがそんなこと言うわけないもん」

なぜか勇利くんが慌て出した。
あたふたと手を動かしながら、違うよ、そんなはずないよ、と独り言のように呟いている。

「本人に聞いたわけじゃ…でもユーリがあんな顔するなんて珍しいですし」
「あんな顔?」
「なんか、油断してる顔してます」

こんなこと勇利くんに言っても仕方ないし、お兄ちゃんを取られた妹みたいな子供っぽい面を見せるのは恥ずかしいと思うけれど、勇利くんの柔らかい雰囲気のせいか、勇利くんが慌てているから逆に頭が冷えてきたからか、言葉がするする出てきてしまう。

「それを言うならなまえちゃんといるときのユリオじゃないかなぁ」
「それは、わたしたちは家族みたいなものだから」

そう言ったら勇利くんが困ったみたいに眉毛を下げた。

「…なまえちゃんにとってユリオは兄弟?」




と、少し空気が重たくなってしまったところでまた扉が勢い良く開いた。



「ちょっと勇利ー!待っててって言ったのにコーチを置いて行くなんて酷いじゃないか!」
「えぇ…だってヴィクトル記者さんたちに囲まれてたから。ていうかタイミング!空気読んで!」
「すぐ終わるのに!…って、なまえだ。珍しい組み合わせだね」
「ヴィクトル、お疲れ様」

相変わらず綺麗な銀髪が、ヴィクトルがリアクションを取るたびにサラサラと揺れる。

「なまえ、すっかり大人になったよねぇ。さっきのエキシビションも素敵だったよ」
「えっ」
「そうだ、なまえ。この後ディナーでもどう?」

唐突、だと思うけれど昔からヴィクトルの頭の中は他人には理解できない宇宙が広がっているんだろうなってことだけはわかる。

「なまえ?なにか予定があった?」
「あ…予定っていうか…約束はしてないんだけど、ユーリと帰るつもりだったの」
「ユリオ?あぁ、優子と話してるんだね」

まるでいま気が付きました、みたいにヴィクトルが言う。

少し離れたところではユーリが優子さんと話していて、そのせいでなぜかわからないけれど胸が痛くて。
大好きなヴィクトルにディナーに誘われているというのに、気になるのはユーリのほう、だなんて。


「ユリオにはいつだって会えるんだし、今日はオレとデートしよう!」
「えっ、ちょっとヴィクトル…」
「ほらなまえ、行こう」

そう言うとヴィクトルがわたしの荷物を奪うように持ってくれて、大きくて綺麗な手がわたしの手を取った。

「ユリオ!なまえ借りて行くね〜!」
「ヴィ、ヴィクトル!」

わざわざユーリに言わなくてもいいのに!
わたしの気持ちを昔から知っているユーリはきっといつもみたいな仏頂面で、だけど心の中では「よかったじゃん」なんて思ってくれていて、ユーリはユーリで優子さんとご飯にでも行くんだ。

そんなことが一瞬のうちで頭を巡ってユーリのほうを見た、ら。

綺麗な顔を歪めて、形の良い唇を噛みしめたユーリの表情が哀しそうに見えるなんて、わたしの目はどうかしているのかもしれない。

(2017.01.30.)


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