3.Something eve

今年のグランプリシリーズ、オレにとっての初戦はニッポンで行われるNHK杯だ。
偶然にもなまえと、勝生勇利も同じ大会にエントリーされている。
カツ丼がいるということはもちろんヴィクトルもいるということで、今シーズンのアサインが発表されたときのなまえの反応ったらなかった。

「NHK杯、勝生勇利くんと一緒?」

傍目から見ても、浮足立つのがわかる。
発した言葉の裏側には、勝生勇利のコーチがいるのだ。

「ユーリも一緒だ。楽しみだね、ニッポン」
「あぁ。…なまえ、今日なんだけど」
「うん、空けてあるよ」

リリアに指導を仰ぐようになって二シーズン目。
住み込みと言っても365日24時間ずっと監視状態というわけではもちろんない。
離れて暮らすようになって、なまえとの距離は少しあいたように感じていたけれど、オフの日には何も気にしていない、気付いていないようなフリをしてなまえと二人で出かけたり、なまえの部屋に転がり込んだりしていた。
今日はリリアとヤコフが出張に出かけるとかで(ヤコフがやたら張り切っていた)、無駄にデカい家に一人になるからなまえを呼んでいたのだ。

一日の練習を終えて、スケートリンクのロビーで待ち合わせをしていた。
のんびりしていたつもりはないのだが、なまえのほうが先に待っていたから「待たせて悪い」と言えば「ユーリって素直に謝れたんだ」とか言われた。

「ユーリ、夜ご飯食べたいものある?わたし作るよ」
「んー……ってかお前料理できたっけ?」
「最近作るようにしてるからレシピ見れば作れる、と思う」
「じゃあスーパー寄って帰るか」

リンクから駅までの道のりを並んで歩く。
会話の内容だけ聞いたら、本当に家族みたいだと思ったけれど心の中だけで留めて口にはしなかった。

地下鉄に乗って、リリアの家の最寄り駅まで移動する。
スーパーで必要な食材を買い込んで、ビニール袋を持っていない空いているほうの手でなまえの右手を取った。
「リンクの近くで手を繋がない」というのは、いつの間にか暗黙の了解になっていた。



「帰ったらすぐご飯作るね。ユーリは先にシャワー浴びちゃっていいよ」
「…一緒に作る」
「え?」
「だから、一緒に作る」

隣を見下ろせば信じられない、というようになまえがあんぐりと口を開けていた。
マヌケ面だ。
普段は料理をしようなんて微塵も思わないけれど、せっかくなまえが作ってくれるというのならオレも一緒にキッチンに立ってみようと思ったのだ。

「じゃあお願いしよっかな」

なまえが笑うと、オレの心臓は痛いくらいに軋む。

一緒に飯を作って、(オレはなまえに言われた通りに切ったり、混ぜたりしただけだけど)向かい合わせで食事をした。

「ご飯二人で作って食べるのって、あんまりなかったから新鮮だね」
「あーいつも他の奴らも一緒だったからな」
「うん。なんか、恋人っていうか夫婦みたい」

なんてね、となまえがはにかんで慌てたように作ったスープを口に運んだ。
最初からなまえはヴィクトルのことが好きで、恋人の真似事を始めたってそこから先のことなんて何も望めないことくらいわかっていた。
なのにそんなことを言われて、腹の底がふわりと浮くような感覚する。
嬉しいとか、思ったって無駄なのに。
自分とは違う黒目がちな瞳を見ながら返す言葉を探したけれど何も浮かんでこなかった。

食事を終えて一緒に皿洗いをした後、手が荒れるからとなまえがオレの手に念入りにハンドクリームを塗ってくれた。
小さな手が、オレの手や指の間を滑るのはくすぐったい気持ちになる。
せっかく塗ってもらったのにこの後シャワーを浴びたら取れてしまうからもったいない気はするけれど、風呂上がりにもう一度頼んでみよう。

「あ、ねぇユーリ」
「んー?」
「シャンプーとかスキンケアとか何にも持ってこなかったんだけど…」

どうりで荷物が少ないわけだ。
貸すのは全然かまわないけれど。

「バスルームにあるもの適当に使えよ。着替えは?」
「明日の練習着しかない」

つまり持ってきてないと。
オレはなまえの部屋に自分のルームウェアをいくつか置いてあって、前の家にはオレの部屋にもなまえの私物が置いてあった。
それを懐かしく思いながら、頭の中で貸す服を思い浮かべる。

「風呂入ってる間にバスルームのカゴにタオルと一緒に入れといてやるよ」

…その言葉通りにバスタオルと、胸のあたりに小さなトラの模様が入っている黒いパーカーと、スウェットのズボンを持ってバスルームへ足を踏み入れた。
バスルーム内はシャワーと洗面台の間がシャワーカーテンで仕切られているから、シャワーの音がしているのを確認してから念のためノックをして扉を開ける。

「ユーリ?」

シャワーの音の向こう側から、突然名前を呼ばれて肩がビクついた。
カーテンは当然開けられていないけれどなまえの気配はするのだから心臓がバクバクうるさく鳴り始める。

「…おう。タオルと着替え置いといた」
「ありがとうー」

あー…こんな風に変に意識してんのはオレだけ、わかってるけど。
タイルに反響したオレたちの声が耳に残って、それをかき消すように蒸気でいっぱいのバスルームの扉を少し強く閉めた。




「ユーリ、着替えありがとね」
「…おいお前、スウェットどうした置いておいただろ」

風呂上がり特有の石鹸の香りをさせながら現れたなまえは、オレがさっき置いた黒いパーカーを着て、バスタオルで髪の毛を拭きながらペタペタと歩いてきた。

そう、パーカーだけ。

なまえにはデカくて一枚で着ても丈の短いワンピースみたいで問題はないのだけれど、論点はそこではない。

「スウェット、丈長くて余っちゃうんだもん。ユーリ足長いね」
「…裾のとこゴムなんだから余っても着れるだろ」
「パーカーだけで大丈夫だよ。せっかく出してくれたのにごめんね」

だから、謝るのはそこではなくて。

「足、寒くねェのかよ」
「うん」
「…いま寒くなくても冷えるから履いとけよ、オレもシャワー浴びてくるから出るまでには」

彼女に自分の服を着せるのは、サイズ感の違いですごくかわいいことになるというのは雑誌か何かで読んだことがある。
そう思って少しデカいかなと思いながらルーズな服を選んでしまった数十分前の自分を殴りたい。
思ってたよりも、ずっと、こう、くるものがあった。
オレだって相当細い自覚はあるのだけれどなまえも華奢だし、何より男と女だし、ぶかぶかな服を着たなまえのことを単純にかわいいと思った。

だけどそれ以上に。

オレの服を着せていることに、誰かに見せるわけでもないのに妙な優越感というか、まるでなまえが自分のモノになったかのような気がした。
抱き締めたい、と思ったけれどあそこで我慢せずになまえの腕を引いたらまずかったと思う。
逃げるようにバスルームへ駆け込んで、しばらくただ流れてくるシャワーを頭から浴びた。




「…まじか」

シャワーを浴びて幾分スッキリした頭でリビングに戻るとなまえの姿はなくて、まさかと思いオレの部屋へ行くとベッドの上に小さく縮こまっている物体があった。

「スウェット履いておけっつっただろ…」

服装は結局パーカーだけで、バスタオルとスウェットはなまえの小さな手にしっかりと握られていた。
その手にそっと触れて、持っているものから手を離させる。
とりあえず手近にあったブランケットをかけてやればオレの視覚的にも大分落ち着いた。

(無防備…ってか昔はこれが普通だったんだから仕方ねェか)

髪の毛を撫でたらなまえが身じろぎをする。
そのまま額にかかる前髪を指でよけて、形の良いそこに唇を落とした。

「ん…ゆーり…」
「悪ぃ、起こした?」
「ううん…うとうとしてただけだから」

そう言いながらまたぎゅっと身を縮めて、目を擦る姿が猫みたいだ。

「眠いなら寝ろよ」
「でもせっかく久しぶりに、ゆっくりできるから」

たどたどしく話すなまえの頭は半分寝ているのだろう、舌足らずもいいところで、もう一度頭を撫でてやったら「寝そう…」なんて言う。

「寝ていいって」
「けど、」
「オレももう寝るから」

オレが起きていたら頑張って起きていようとするのだろうから、オレもシーツに横たわってなまえにかけていたブランケットを自分にもたぐりよせた。
前に住んでいた家のシングルベッドとは違ってリリアの家のベッドはセミダブルだから二人で寝ても狭くはない。
だけど離れて眠るつもりなんて全くなくて、隣を向いてすぐ近くにあるなまえを引き寄せようとしたら、もぞもぞとのんびりした動きでなまえがオレの胸元に頭を委ねた。

「…おやすみ」
「……」

丸っこい後頭部を抱き込むようにして撫でながら発した言葉には返事がない。
つむじにキスを落としたらオレと同じシャンプーの香りが強く感じられた。

「ユーリ、」
「っ寝たんじゃねぇのかよ」
「うん、眠いんだけど、まだ平気」

なまえが話し始めたから顔を見ようとしたら小さく抵抗されてなまえがオレの胸に思い切り顔を埋めた。

「おい」
「ユーリ大きくなったよねぇ」

顔をオレに押し付けたまま話すから声はこもっているし、何よりこそばゆい。

「背も伸びたし、身体つきも変わってきたし、昔はかわいかったのに」
「まぁ、成長期だからな」
「うん…もっと、もっと遠くに行っちゃうんだろうなぁ」

オレはここにいるのに、なまえのことを抱きしめているのに、どうして今こんなことを言うのだろう。
なまえの手がオレの服の裾をきゅっと掴むのが感覚で伝わって、二人の隙間を埋めたくて背中に腕を回して力を込めたら「苦しい…」なんて小さな声がまた胸元で聞こえた。

「ユーリは優しいから…わたしとの約束守ってくれてるけど…その、面倒になったらちゃんと言ってね」

なまえの言う「約束」の意味なんて考えなくてもわかる。

いつか、なまえはオレから離れていく。
相手が誰なのかはわからないけれど、他の男の手を取ってオレ以外の奴の隣で笑うんだ。
どんなに抱き締めてもオレたちの距離は変わらない。


「…面倒になるとしたら、なまえのほうだろ」


離れていくのはこいつのほうで、その時が来たらオレはなまえのことを諦められるのだろうか。

(2017.01.07.)


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