2.How close you are

昨シーズンから、変わったことがある。
何年も一緒に生活していたユーリが更なる成長のためにバレエのリリア先生のところに住み込むようになったのだ。
リンクでの練習では今まで通りに会えるけれど、以前みたいにお互いの部屋に行き来することはできなくなった。

それと、ひとつ気になることができてしまった。

「ねぇ、ミラ。優子って誰か知ってる?」

最近よくユーリが携帯で誰かからのメッセージを見ているのだ。
その場に居合わせてもなぜかわたしは何も聞けなくて、だけどこの間リンクメイトのミラがユーリの携帯を盗み見て「優子?」とからかっていたのを耳にした。
ユーリは「見るんじゃねぇババア!」なんて怒鳴っていて、「優子」が誰なのかはわからなかったけれど、名前からして絶対にニッポンの女の子だよね。

「あぁ、ユーリのニッポンのガールフレンドのこと?」
「が、ガールフレンド……」
「そうよ、やっとロシアに戻ってきたと思ったらマメに連絡してるみたいなのよね。全く何しにニッポンに行ってたんだか」

やっぱり、そうなんだ。
ユーリがヴィクトルを追いかけてニッポンに行ってしまって、その間はあんまり連絡を取れなかった。
遊びに行っていたわけではないのはわかっていたけれど、今まで毎日のように顔を合わせていたから寂しくて、やっと帰って来てくれたのにこれだ。
出発する前日、「寂しい?」とふざけたように聞かれて正直に「寂しい」と返したとき、ユーリは驚いたように大きな瞳を丸くしていた。
わたしとユーリの関係は、幼馴染、リンクメイト、家族、だけどそれよりもちょっと特別。
「恋人になる練習をしよう」なんて、他人が聞いたらきっと馬鹿げていて、そんな暇があったら練習をしろと怒られてしまう。
だけど、ユーリと一緒にいる時間は、わたしの心をとても落ち着かせてくれて、それがスケートに良い影響を与えてくれているように感じたていた、のに。

ガールフレンドが出来たってことは、わたしとの「練習」はどうなるのだろう。
この胸のもやもやがなんなのか、ユーリに聞いたら教えてくれるかな。
尋ねる勇気なんて持ち合わせていないのだけれど。








「ユーリ、最近なまえとちゃんと話してる?」
「はァ?」

慣れないバレエレッスン、リリアの厳しい指導に毎日苛立っていた。
ミラは勉強になるから、と一緒にリリアのレッスン場へ来ていてそのことについて文句を言うつもりはなかったけれど今の質問に不愉快指数が上がる。

「どういう意味だよ。普通に話してんだろ」

…一見すれば、だけれど。
なまえたちと住んでいた家を出て、リリアの下で住み込みでレッスンを受けるようになってもう数か月。
文字通り寝食を共にしていたのにそれができなくなった。
それもオレを苛立たせる理由だ。
どんなに練習がハードでも、なまえが笑ってオレの隣にいるだけで疲れが吹き飛ぶのに。
なんて、ガラじゃないことを考えて思わず舌打ちをしたらミラがにやにやとした表情でこっちを見ていた。

「なまえがね、変なのよ」

もったいぶったような話し方をするミラに視線で続きを促す。

「物憂げっていうのかな?ふとしたときの表情が大人になってきたっていうか。恋でもしてるのかしら」

ね?なんて、わざとらしげに首を傾げてオレを見てくる。
そんなことをオレに言ってどうしたいんだ。
なまえが恋をしている、なんて。
そんなこと前から知ってんだよ。

「ユーリがニッポンに行った頃からだったっけ」
「…何が言いてぇんだよ」
「優子って誰か知ってる?だってさ」
「…は」 
「ユーリ本人に聞けないなんて、なまえって本当にかわいいわよね」

固まっているオレのことなんて気にした様子もなく、ミラは「練習再開しよー」と言いながら去って行った。

さっきの言い方だとなまえが、オレのこと好きみたいな、そんな期待するようなことを。
本人の口からヴィクトルが好きだと告げられたのに。





ニッポンにいるときは、なまえにほとんど連絡を入れることができなかった。
ヴィクトルにコーチをしてくれと言ったら、勝生勇利と対決することになってしまったからだ。
朝起きて、ランニングして飯食って練習して飯食って風呂入って、また飯食って寝る。
疲れて布団に倒れ込んで、いつも隣にいてくれたなまえがいなくて、声が聴きたいと思って携帯を手に取っても、時差があるから電話なんてかけられない。
メッセージを送ろうかとも思ったけれど、へたに連絡をしたら会いたくなってしまうだろうと思うとできなかった。
ロシアに帰ったらちょっとなまえが不貞腐れていてかわいかった。

オレが一方的に想っているのは紛れもない事実だからそんな小さなことでも嬉しいなんて、ガキはどっちだ。

帰国した後はなまえのことを狭いベッドでぎゅうぎゅうに抱き締めて眠った。





リリアの下へ引っ越すと話をしたのはついこの前のことだけれど、思い出すとどうしてもテンションが急降下する。
あの日以来、普通に話すと言ってもオレたちにしか見えない壁があるのは確かだった。

「今日からバレエの指導者のとこに住み込むことになった」
「えっ今日から?」
「荷物まとめて来いってさ。急すぎだよな」
「……」
「なまえ?」
「あっごめん…」
「どうした?」

リンクからの帰り道、なまえと二人で歩いているときに話した。
本当は部屋で落ち着いて話したかったけれど、今すぐ荷物をまとめて来いだなんて無茶を言うとんでもない指導者がやってきたのだから不可抗力だ。
部屋で二人きりになる前に、家に着いたらヤコフが他の奴らに話してしまうだろうから先に言わなければと思ったのに失敗だっただろうか。
なまえが完全に足を止めてしまう。

「やっと帰って来てくれたと思ったのになぁ」

肩に背負ったバックパックの持ち手をなまえがぎゅっと握っている。
強く握っているからか、ただでさえ白い手が血の気を失ったようにもっと白くなっている。

「おい…」

なまえの手をバックパックから剥がすように指を一本ずつ、できるだけ優しく触れたらなまえが少し抵抗した。

「リンクの近くで手なんて繋いだら誰に見られるかわからないよ」
「オレは別にいい」
「よくないでしょ。帰ろう」

いつもならどこで手を握ろうが何も言わずはにかむだけなのに。
オレのほうを見向きもせずに歩き出してしまった。

「おい、なんで不機嫌なんだよ」
「不機嫌じゃない」
「ならこっち向け」
「…なんでいっつも急なの」

不機嫌じゃない、なんて言うくせに表情は固くて声もいつもより低くて小さい。

「ニッポンに行っちゃうときだって教えてくれたの前の日だった。今回だって…今日出て行っちゃうなんて、もっと早く知りたかった。……家族、なのに」

荷物をまとめて来いと言われたのはついさっきのことだ、と反論してどうにか宥めようなんてらしくないことを考えていたのに、なまえが最後に放った言葉に固まるのはオレの番だった。

家族、か。
わかっていたけれど。
今更なことを改めてなまえの口から聞かされるとこんなにも胸が軋む。

家までの道のりを、二人とも無言で歩いた。



シニアデビューの一年は、なまえとの距離が物理的にも精神的にも空いてしまって幸か不幸かスケートにとても集中できた年だった。

(2016.12.31.)


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