1.Forever lullaby

「ユーリ、ヴィクトルって恋人はいるのかなぁ」

スケートリンクの外から、オレやヴィクトルの練習を見ていたなまえが不意に物憂げな表情で言った。
すっ転ばなかった自分を褒めてやりたい。

「…なんだよ急に」
「世界中の女の子が知りたいことだと思うよ」

その「世界中の女の子」にこいつだけは含まれなければよかったのに。
なまえがヴィクトルを見つめる瞳は、キラキラと輝いていて思わず目を背けた。
何も知らないヴィクトルは、優雅にリンクの上を滑っている。

「…知らないけど、いるんじゃねぇの。女がほっとかねぇだろ」
「そっかぁ。そうだよね」
「お前…好きなの?」
「えっ」
「ヴィクトルのこと」

狼狽えながら、頬を染めながら、小さく首を縦に動かしたなまえが「秘密だよ」と呟いた。

「ユーリだから話したんだからね」
「おー…。けど何歳違うと思ってんだよ。ヴィクトルはお前みたいなガキ相手にしないだろ」
「ユーリだってまだ十四歳じゃない」

わたしと同い年のくせに、となまえが頬を膨らませる。
そういうとこがガキなんだって。

「…じゃあ、練習しようぜ」
「練習?毎日してるよ?」
「そうじゃなくて。恋人になるための練習」

きょとん、となまえが首を傾げたら高い位置で結わいていたポニーテールが揺れた。

「誰と誰が?」
「お前とヴィクトルが」
「そうじゃなくて、練習って誰とするの?」
「オレとに決まってんだろ」

「あぁ、ユーリと」なんて一瞬納得したようなことを言ったくせに、一拍置いて「えぇ?!」と大きな声を出したなまえの口を右手で塞ぐ。

スケートリンクには不似合いな声が響いたのに、ヴィクトルはその集中を切らすことなく滑り続けていた。




なんとなく、本当になんとなく、口に出したことはないし態度に出したこともなかったけれど、オレはなまえを幼馴染以上に見ていて、なまえもそうなのだと思っていた。
幼い頃から一緒に練習して毎日顔を合わせていたから、家族のようで、だけど家族よりももっとむずがゆい気持ちになる、そんな存在。

この提案は、恋を知ろうとするなまえを誰かに取られてたまるか、というワガママなガキなりの精一杯の抵抗だった。

なまえはバカみたいに素直にオレの「恋人ごっこ」を受け入れた。
ヴィクトルのような大人な男に釣り合うよう経験が大切だとオレが言ったら「ユーリって天才」なんて褒められたくらいだ。
こっちがどんな気かも知らないで。

二人ともフィギュアの強化選手なのだからもちろんそれなりに忙しかったけれど、暇さえあれば一緒に過ごすようになった。
手を繋いで街を歩いて、部屋でただ隣に座って雑誌を読んだりゲームをしたり、少しずつ「幼馴染」とか「家族」とか、その境界線を曖昧にしていく。






「ちょっとニッポンに行ってくる」


なまえとそんなことがあったのが、もう一年前。
オレがシニアデビューをする年、ヴィクトルはコーチとしてニッポンに渡った。

オレとヴィクトルは同じ土俵に立つことすらできないのか。


ヴィクトルが突然姿を消したと思ったら、ニッポンの長谷津というところにいるらしい。
勝生勇利のコーチをする、なんて。
なまえのことは関係なしに、ヴィクトルに会いに行かねばと思った。
オレはオレで、ヴィクトルに振付をしてもらうという約束があったから。

ヤコフには言うなよ、と釘を刺したら案の定なまえが「わたしも行きたい」と言い出した。

「お前は練習あるだろ」
「ユーリだってあるじゃん!わたしもヴィクトルに会いたい」

ずるい、とオレのジャージの裾を掴むなまえの手を取って指を絡める。
最初は手を繋ぐだけで照れていたくせに、もう何も言われなくなった。

「もう飛行機のチケット取っちまったから、お前は留守番な」
「えぇー…」
「明日出発だから」
「……おみやげ買ってきてね」
「おう」
「ヴィクトルの写真送ってほしいな」

その返事はせずに軽いキスをする。
なまえが少し目線を伏せた。



「ヤコフに見つからないように朝早く出るけど、今日の夜オレの部屋来るか?」
「うん、泊まっていいの?」
「もちろん」

ヤコフの元で指導を受けているオレたちは、同じアパートの別の部屋で暮らしている。
もちろんオレとなまえだけではなくて、先輩や後輩たちもいるけれど。

毎晩ヤコフの部屋でみんなで食卓を囲み、今日の出来事なんかを話した後は各々部屋で休むというのが大体のルーティンだ。

「オレ、もう部屋戻る」
「あっわたしも。おやすみなさい、また明日ね」

他の奴らはテレビを点けて、これから始まるドラマをみんなで観るらしい。
兄妹のようにノービス時代から一緒にいたものだから、 オレとなまえが一緒に部屋を出ても誰も何も言わないし疑わない。
ヤコフの部屋を出てからなまえの手を取り、そのままオレの部屋へと連れ込んだ。

「なまえ、先にシャワー浴びろよ」
「はーい」

その間に明日のための荷造りをする。
子供の頃から遠征で海外に行くことは多かったから、何が必要か迷うこともなくぼんぼんとスーツケースに入れていけば思いのほか時間はかからずに終わりそうだ。

…一年前から始めた関係は、いたって健全だ。と思う。
手を繋いでハグをしてキスをする、ただそれだけ。
キスだって、スキンシップの一環と言ったらそれまでだろう。
ただオレが込める気持ちが違うだけだ。
なまえに触れるときはとても慎重に、壊れ物に触れるように。
くすぐったそうな顔をされれば泣かせてみたいと思うけれど、この気持ちが少し歪んでいることには気付いているから、それをなまえにぶつけるつもりはなかった。

「…ユーリ、」
「ん?」
「何日くらいニッポンにいるの?いつ帰ってくる?」

正直後のことは考えていなかった。
ヴィクトルと話をして連れて帰ることが目的なのだが、あいつが素直に帰国するとは思えない。

「あー特に決めてないからわかんねぇ」
「…そっか」
「寂しい?」

なんて、なまえから肯定の返事が返ってくるわけないと思いながら、ベッドで隣に寝転ぶなまえのほうを向きながら問いかけた、のに。

「うん。寂しいから早く帰って来て」

小さな手が 伸びてきてオレの頬を撫でた。
一年中スケートリンクにいるからかなまえの手を冷たくて、シャワーを浴びたばかりで火照っているオレにとってはとても心地良い。

「ユーリ?」
「…あ、あぁ」
「あれ、またガキだなぁとかバカにされると思ったのに」

そう言いながらオレの頬をふにふにとつまんで遊ぶ。

「おい、やめろ」
「だって柔らかくて気持ちいいんだもん。お肉ないのに、ほっぺだけぷにぷに」
「うるせぇな。お前はもっと肉つけろ」
「太ったらジャンプ飛べなくなっちゃうよ」

なまえが笑うと花が舞うみたいだ、と思う。
会えなくて寂しいのはオレの方なんて言ったらこいつは信じるだろうか。


(2016.12.25.)


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