33

初恋は実らないと聞いたことがある。

俺の初恋は小学六年生のとき、凛の幼馴染だと言う女の子だった。
水泳の大会を観に来ていたその子はレースの後、凛に会いに来た。
それが出会い。

「凛!」

応援席にいたときからかわいい子がいるなって思っていた。
息を弾ませながら駆けてきて発した声までやっぱりかわいらしく思えて、自分に向けられたわけではない笑顔を近くで見たときには自分の顔が熱いのがわかった。

「こいつ、みょうじなまえ。幼馴染」

そう紹介されたみょうじさんはペコリと頭を下げて、今度は僕に向けて(正確には僕たちに向けて、だ)笑顔を見せてくれた。

「七瀬遙くんと、橘真琴くんと、葉月渚くんだ!初めまして!」

名前を知ってくれていたことに驚いた。
凛がいつも話してくれるから、とはにかむ姿に心臓の音がどんどん速くなる。

「橘くん、背ぇ高いんだね」

と、名指しで声をかけられてさらに顔に熱が集まるのがわかって恥ずかしくてつい目線を逸らしてしまったけれど、なんとか「そんなことないよ」とだけ返したのが最初で最後の会話だった。

この時のことを凛たちにはすごくからかわれた。
「なまえ、かわいいよな」とか凛が言うからぎょっとしたら「大丈夫、好きとかじゃねーよ」って笑われた。
大丈夫って、何が。

その後は凛がオーストラリアに行ってしまったから唯一の接点もなくなり、中学も校区が違うから別々で、会うことはなかった。
もう会えないのかもしれないと、子供ながらに寂しく思ったことは未だによく覚えている。







(みょうじ…なまえ…?)

高校生になって少し緊張しながら足を踏み入れた教室の座席表で見つけた名前は、見ただけで体温が上がるような、なぜか懐かしい温かさを持っていた。
まだ人がまばらな教室を見渡して、すぐに気付いた。
二の足を踏みそうになりながらも、クラスメイトなんだし、と誰に対する言い訳かわからないことを心の中で呟く。

「みょうじなまえさん?」

震えそうな喉から声を振り絞って、名前を呼ぶ。
パッと顔を上げて、こっちを見上げた彼女に多分俺はもう一度恋に落ちた。






告白は俺からだった。
なんとなく、好意は抱いてくれているんだろうなぁと思っていたけれど踏み出すのには時間がかかって、一年生の終わりに、二人で下校しているときに想いを告げた。

「もうすぐクラス替えだね」

なんと切り出せばいいのかわからなくて、伝えたいことはひとつなのに隣を歩くみょうじさんのほうを見ると言葉に詰まった。

「そうだねぇ、もう二年生か。早いね」

そう言ってみょうじさんが穏やかに笑う。

「来年も、橘くんと一緒のクラスだといいな」

見上げてくれた瞳に吸い込まれそうで、ぐっと唇を一度噛み締めて、

「みょうじさん」
「ん?」
「俺、みょうじさんのことが好きです」
「…え、」
「付き合ってください」

驚いた顔がみるみるうちに赤くなっていって、自分の顔も熱くなっていく。
ドクンドクンと心臓の音がうるさくてみょうじさんに聞こえてたらかっこ悪いなと思った。

「…わたしも、好き」

すごく長く感じた沈黙を、みょうじさんの声がやぶって、情けないけれど泣きそうなくらい嬉しくて、「えっ本当に?」と思わず聞き返してしまった。
それくらい嬉しかった。






呼び方がみょうじさんからなまえになって、橘くんから真琴になった。
帰り道に手を繋いだ。
包むように手を握ったら小さくてなめらかで俺のとは全然違って愛しさが増した。

特別なことなんて何もなくて、海しかないようなこの町でただ幸せを詰め重ねた、そんな一年半だったと思う。
そう、たった一年半だ。
友達期間を入れたって二年半。
大人になったら「あんなこともあったなぁ」と笑えるようになるのかもしれない。


なまえに凛ともう一人、幼馴染がいることは昔から知っていた。
凛が高二のとき帰ってきて、次の春に山崎くんが戻ってきて、それからはなまえが笑顔を向けてくれても触れ合っても、寂しいと感じた気持ちや違和感が消えなくて「苦しい」が大きくなってしまった。

なまえは、どうだろうか。





地方大会が終わった後、なまえは山崎くんの付き添いで病院に行くことになった。
凛や鮫柄のコーチももちろん一緒に。

山崎くんの肩のことは、俺たちも聞いていたから驚きは少なかった。
ただなまえが言いにくそうに「病院、一緒に行ってきてもいい?」と聞いてきたときに「もちろん」とすぐに返事をした自分を褒めたいと思った。

岩鳶に帰る電車の中で隣になまえがいないことにまた息が詰まりそうで寝てしまおうと目を閉じたけれど眠気は全く訪れなかった。
みんなは疲れて寝てしまっていたから、一人で車窓から流れていく景色を見ていた。

家に帰ってシャワーを浴びて、家族に全国大会出場を祝われて、ようやくベッドに倒れ込む。
携帯を確認したら、なまえから「家に帰ったよ」と短いメッセージが来ていた。
画面を操作して、電話の発信履歴を表示させたら最後に電話をした日から少し日が経っていたのだと気付く。

(電話、しようかな)

そう一瞬思ったけれど、メッセージが来ていたのは二時間も前のことでなまえももう寝ているかもしれないと思ったらかけることができない。
明日学校に行けば顔を見て、声を聞ける。

そうしたら、話をしよう。





次の日学校に行ったら校舎に全国大会出場の弾幕がかかっていた。
朝挨拶をしたときなまえは開口一番に「昨日はごめんなさい」と眉を下げて言うから「祝ってくれるんじゃないの?」と明るく返したら「なんか、大騒ぎだね」と弱々しく笑ってくれた。
みんなに何度も「おめでとう」と言ってもらえてそのたびに「ありがとう」と返すやりとりを何回したかわからないけれど素直に嬉しいと思う。
二年生の教室なんて渚を中心にお祭り騒ぎだったみたいで、その話を怜から聞いて顔がほころんだ。


うん、大丈夫。
俺はちゃんと笑えている。



「なまえ、」
「真琴。お疲れ様」

いつも通りに、いや、全国大会出場が決まりいつもよりもさらに気合の入った部活を終えてなまえに声をかける。


「一緒に帰らない?」

なんて、普段ならわざわざ疑問形でなんて聞かないからかなまえが少し不思議そうな表情をしたけれど、すぐに「片付けもうすぐ終わるから待っててくれる?」と笑顔が返ってきた。
それにはもちろん肯定で返事をして、他のみんなには先に帰ってもらった。




帰り道、二人で何度も通った道を今日も並んで歩く。
隣を歩くなまえはいつもと変わらない様子で今日あった出来事を話していて、二十センチ以上低いところにある彼女のつむじ見下ろした。
話したいことはひとつで、いつ切り出そうか悩むけれど、話すこと自体はもう迷わない。

もし、なまえが悲しい顔をしたとしても、それがなまえのためで、俺自身のためで、二人のためなのだ。


「ねぇ、なまえ」
「ん?」

呼びかければいつもみたいに大きな瞳で見上げられる。
ひとつひとつの仕草が嘘みたいに儚く思えた。

いまから俺は、大切なものを自分から手放す。

「なまえは知ってたの?山崎くんの肩のこと」

山崎くん、という名前を出したら案の定なまえは一瞬表情を曇らせる。

「…本人から聞いたわけじゃないんだけど。貴澄と偶然会ったときに聞いたの。真琴がSCの手伝い始める前だったかな」

「そっか」と呟くように返してから、言葉を探す。
思い返してみれば、なまえの様子が目に見えて変わったと感じる時期があった。
多分、その頃だったんだろう。

「宗介本人の口から聞いたのはその後…この前大会のときに」
「うん」

なまえと一緒に帰る道のりはいつも柔らかい真綿に包まれているようで、色でいうとオレンジ色みたいで、すごく好きだった。
好きだったのに。
うまく相槌を打てない。

「…昨日、ごめんね。本当はみんなと帰るべきだったと思うんだけど…」
「ううん。心配だね、山崎くん」
「えっうん、そうだね…」

俺の返事が意外だったのか、驚いたみたいな顔のあと、なまえがほっとしたように息を吐いたのがわかった。
こっちを見上げているなまえから視線を外して、まっすぐ続く海沿いの道を見つめながら、言いたかったことをやっと口にする。
…いや、本当は、言いたくなんてないのだけれど。

「だから、さ」
「うん?」
「なまえは山崎くんのそばにいてあげて」

隣からつぶやくような、吐息みたいな声で「え…?」と言う声が鼓膜を震わせた。
ずっと並んで歩いていたなまえの足が止まったことに気付いたけれど、とてもじゃないけれど振り返れない。

「最近、ずっと考えてた。なまえと一緒にいても話してても、なまえは俺のこと見てないような気がして」
「そ、そんなこと、」
「ないって言える?」
「っ…」
「あぁごめん、違うんだ、なまえのこと責めているわけじゃなくて、俺の問題」
「真琴の…?」

ずっと苦しかった。
そう喉まで出たけれど飲み込む。

「…俺がもう、無理かなって」

あぁ、これも違った。
けれど言ってしまった言葉は消せないし、きっと何を言っても傷付ける。

「だから、俺と別れてください」

なんだか好きだと告げたときの情景と同じだな。
そんなことを他人事みたいに思った。

なまえの方を向くと、呆然とした表情で俺のことを見ていて、視線が絡んだ瞬間ぼろっと瞳から涙がこぼれた。
目の前で泣いている好きな子を抱きしめることもできなくて、泣かせているのは俺自身で、だけどきっとこれでいいんだ。

「…真琴、」
「ごめんね。これからも今まで通り…ってわけにはいかないかもしれないけど、友達でいて。部活のこともあるし」

なまえが何か言おうと潤んだ声で俺の名前を呼んだのを遮った。
そんな声で俺を呼ばないで。
もう、何もしてあげられないのだから。


(2016.12.02.)


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -