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ふとした時に思い出す。

元気にやっているだろうかとか、高校で友達はできただろうかとか。
笑っているだろうかとか。
兄妹のように育ったのに一緒にいる時間が減って、話す機会はあっても少しぎこちなかった。
避け始めたのはどちらからだっただろうか。
東京に行く前、最後に会ったのは出発する日の朝で、なまえは俺の家まで見送りに来てくれた。
来ないかと思っていたから、嬉しい気持ちとどうして来たんだという気持ちで俺の心中は複雑だった。

「…おはよう」
「はよ」
「……宗介」
「なんだよ」
「ちゃんと食べてちゃんと寝て、無理はしないでね」

そうだ、確かにそう言われた。
無理をするな、と。
当時の自分はその言葉のありがたみとか大切さをわかっていなかったのだと今更ながら思う。
努力すればするだけ、練習すればするだけ、世界へ近付けるのだと信じていた。

なまえには「わかってるよ」とか、そんな風に返事をした気がする。









なまえの言っていたソファスペースは思っていたよりも広かったけれど時間も時間だからか他の客はいなかった。
少し間隔をあけて二人で座ると二人分の体重がかかったソファが沈んでぎしっと音が鳴る。

ふー、とわかりやすくなまえが深呼吸をひとつすると夜の温い空気が揺れた。

「さっき…わたしのこと庇おうとしてくれたとき、痛そうにしてたのって肩…だよね?」

疑問系だけれど、ずっと感じていた違和感はなまえの中できっと確信に変わったのだろう。
俯いているなまえは言葉を詰まらせながらも腹を括ったように続けた。

「ハルも言ってたけど…貴澄にこの前会った時に宗介と病院で会ったって聞いて。県大会の時もなんか泳ぎに違和感があったし、」

膝の上に置かれたなまえの小さな手が、固く握られている。

「肩、怪我してるんだよね」
「…おう」
「いつから?」
「二年前」

一言目は確信を持って。
二言目の俺の返事を聞いたなまえは目を見開いて俺のことを見上げた。

「…治るんだよね?」

そして、治るのかと聞いてきた声は少し震えている。


なんと答えようか。

ここで嘘をつくのは簡単で、たいした怪我ではないとかすぐに治るとか、いくらでも言うことはできる。
だけどそんなもの意味はなくて、自分が苦しくなるのだともうとっくにわかっていた。

「日常生活に支障ない程度には、だな」
「…、それって」

どういうこと?となまえが発した声は自分の声で飲み込んだ。

「前みたいには泳げるようにならない」

あぁ、やっぱり嘘を吐いても真実を言っても、痛いものは痛い。
言い聞かせるように言った言葉は受け入れたはずの現実をまた突きつけてくる。
なまえの顔が歪む。
そんな悲しそうな顔をするのはやめてくれ。

「そんな…けど推薦来たって、大学でも続けるんだよね?」
「いや……もう水泳はやめる。だからこっちに戻ってきた」

隣に座って正面を向いていたなまえが体ごとこちらを向く。
ソファがまたギシ、と音を立てた。

「泣くなよ」
「…泣いてない…。明日は、泳ぐの?」
「泳ぐ。俺は凛とリレーを泳ぐために戻ってきた」

そう、あいつの見ている景色を見るために帰ってきたんだ。

「わたしは…宗介が凛と一緒に泳いでるとこ、久しぶりに見たときすごく嬉しかった」

だけどそれと同時に。

なまえに会いたかった。
相談もせずに決めた東京への進学、夢を叶えるために迷いはなかった。
けれど未練はあった。
水泳をやめると言ったらこいつはなんて言うか、少し怖いと思ったけれどそれでも会いたかった。
今こうして隣にいるなまえの手を握りしめてそのまま手を引いて、抱き締めることができればいいのに。

なまえの目に溜まった涙が表面張力に耐えきれなくなってボロボロと零れた。
泣くな、ともう一度言って丸っこい頭をできるだけ優しく撫でる。

「でも、痛いんじゃないの?」
「泳ぐぶんには問題ねぇよ。県大会だって大丈夫だったろ」
「…けど、」
「大丈夫だから」

なまえの言葉にかぶせるように言えば、ぐっと口をつぐんで唇を噛む。

「…でも無理しないでほしいって思う」

あぁ、まただ。
無理するな、とこいつは言うんだ。
無理をしようが休養しようがもう俺の肩は完治しないのに。

「無理じゃねぇよ、自分のことは自分が一番わかってる」
「だけど、」
「大丈夫だから。凛にも言うなよ、あいつうるせぇから」
「…」
「おい、返事は」
「…わかった」

本当は納得していないのだろう、と伝わってきたけれど俺から折れることは絶対にない。
髪を撫でていた手で頭を掴むようにして無理矢理頷かせたらなまえは不満そうに眉を寄せている。
きっと他の奴が見たらちょっと不細工なこんな顔すら好きだと思った。
伝えられないくせに、地元を離れるときに捨てたはずの感情なのに、こうして隣で俺のために泣くなまえを見て愛しいと、そう思ってしまった。

「…ちょっと、」
「なに」
「わかったから頭抑えるつけるのやめて」
「お前が泣いてるから」
「…泣いてない」
「はいはい」
 
ぐしゃぐしゃと髪の毛をかきまぜるように少し乱暴に撫でて、手を離した。
昔よりも長くなったなまえの黒髪は指に絡まることなくスルスルと俺の手のひらを滑る。
泣いてない、と言うけれどさっき流れた涙の跡は頬に残っているし目は赤いし鼻をぐずぐずとすすっている。


「あの、ありがとう」
「何が?」
「 えっと…話してくれて。付いて来てくれて?あれ、連れて来てくれて…?」

そう言いながら手を顎に当てて首を傾げた。
真剣な話をしていたのに、さっきまで深刻な雰囲気を全身から出していたくせに、なんだか締まりがない。

なまえが落ち着くまでしばらくそのまま、二人で何を話すでもなくただじっと静寂の中にいた。


(2016.10.17.)


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