11.半径50センチメートル

「うわ、雨降ってる」
「えっ本当だ…夕立かな」
「みょうじ傘持ってる?」
「折り畳みだけど…白布は?」
「雨降るなんて聞いてない」

…と、いうことは。

「駅まで入れて」

……ですよね。



なんで今日に限って予報外れの雨が降ってしまうんだろう。

図書館で珍しく、というか初めてかな?恋愛の話なんてしてしまって、いや、わたしから言い出したんだけど。
なんだか会話がちゃんと完結しなくてモヤモヤしたまま、二人とも無言で勉強していたら閉館時間になった。
わからなくて質問したいところがあったのに聞けなくて、なんのための勉強会だよって感じ。
言葉少なに片付けをして、高校の最寄駅に向かうかというところで聞こえてきたのはザーザーという雨音。
常に折り畳み傘を持ち歩いているから焦ることはないけれど、突然の雨は少し気が滅入る。
しかも白布は傘を持っていない。
まさかの相合傘だ。

…気まずい、なんて思いながら傘を開いて「じゃあ帰ろっか、狭いけどどうぞ」と隣の白布を見上げたら「ん、」とだけ返事。

「ん、」じゃないよ、もう。
気まずいと思ってるのはわたしだけなんだろうなぁ。

わたしより全然白布のほうが背が高いから、普段傘を持つ位置に腕を掲げると白布の頭に引っ掛かってしまう。
いつもよりかなり高い位置で腕を固定する。
つ、疲れる…これ駅までかぁ、メンタル的にも二の腕的にもしんどいなぁ。

白布といてこんなに空気が重いのは初めてかも、と思っていたら、腕に負荷をかけていた重みが突然なくなった。

傘を持っていた手にちょん、と温い体温の手が触れる。
誰の手かなんて考えなくてもわかる、白布だ。
折り畳み傘の持ち手は小さくて、二人で持つには表面積が足りない。


「え、なに?」
「なにって。俺が持つ」
「大丈夫だよ」
「俺が大丈夫じゃないから。さっきから頭に傘ガツガツ当たってる」
「えっご、ごめん」

気をつけていたつもりだったけれどやっぱり高さが足りなかったらしい。
慌てて傘を持ち上げようとしたら、白布が空いていたほうの手でわたしの傘を持っていた手を剥がしにかかってきた。

「ちょっと、なに」
「なにじゃなくて、俺が持つって」

いいよ、ともう一度断ろうとしたのに、わたしの右手は白布の大きな手によってあっさりと傘から離された。

あぁ、こういうのが誤解される原因なのかなぁ。
中学生のときはそこまで気にしていなかったのに、高校に上がった途端にこんなに意識するようになるなんて。
並んで歩くと、肩に触れる白布の腕の体温にドキドキして隣を見上げられない。
小さな折り畳み傘の下で二人でいると、世界からここだけ切り取られたみたいな気持ちになった。
会話はやっぱり少なかったけれど、傘に当たる雨の音で周りの喧騒が遮られて気にならないのが不思議だ。






「うわー…なんでこんな…電車乗れるかなぁ」
「まぁ雨のせいだろうな」

うるさい心臓を抑えながらどうにか駅に着いたというのに、いつも人がまばらな改札口はごった返していた。
電光表示によると少し電車が止まっていたらしい。

溜息を飲み込んでホームに行くものの、ホームも電車を待つ人たちで列が出来ている。

「…人、すごいね」
「帰宅ラッシュとかぶったからな」

まぁ電車が混んでいたら乗車中に会話どころじゃないだろうし、逆によかったかも、なんて。
そんなのは甘い考えだった。
帰宅ラッシュなめてた。
学校の最寄駅でも程々に混んでいた電車は駅に停車するごとに乗客が増えていき、気が付いたら白布との距離が、とても、近い。

(うぅー…どうしよう、近い、けどこれ以上離れられない…)

後ろからも他のお客さんの圧を感じるし、目の前には白布の制服のシャツが迫っているし、あぁもう。


「…みょうじ?」
「っはい」
「大丈夫か?」
「う、うん」

コクコクと頷いて最低限の会話で終わらせる。
満員電車なんだもの、あんまり話せない。
白布もそう思っているからかすごく小さな声で囁くみたいに言う。
きっと図書室であんな話したから、いつもより意識しちゃうんだ。
白布はいつも通りなのに。

周りのお客さんも喋らないから電車が走る音と自分の心臓の音だけがやけにうるさかった。


カタン、カタン、と一定のリズムを刻んでいた電車が急に、ガタンと揺れた。
あぁそういえばさっき「この先、揺れます」ってアナウンスが入っていたような。
思考は呑気にそんなことを思っていたら後ろの人がわたしの方に体重をかけてきて必然的にわたしも前によろける。

「ぅわっ、」
「…!」
「ご、ごめん白布」

目の前の白布に思いきりダイブしてしまった。
けどさすが白布というか、鍛えているからか彼の体はビクともせずにわたしを受け止めてくれた。

「……いや」

やっぱり口数は少なくて、密着してしまったせいで息遣いすら近くに聞こえる。
さっき揺れた拍子に白布のお腹のあたりに中途半端についてしまった右手が行き場を失った。

心臓の音が聞こえたらどうしようと思ったけれど、チラッと見上げた白布が視線を彷徨わせているように見える。
彼の耳が少し赤いのがわたしの勘違いじゃなければいいのに。






電車を降りるのも一苦労で、白布が「すみません降ります」と人を掻き分けてくれたおかげでなんとかなった。
お互いの最寄駅に着いた頃には呼吸がうまくできていなかったのか混雑による空気の淀みのせいか、電車を降りて深呼吸する。

「ち、窒息死するかと思った…」
「そんなに?」
「白布は人より頭が出てるから平気だったかもだけど、わたし埋もれちゃうから」
「あぁ、みょうじチビだもんな」
「チビではないけど!」
「はいはい、チビじゃないチビじゃない」

そんなことを言いながらも大きな手で頭をポンっと撫でるのはずるいと思う。
思わず身構えたら「髪の毛ぐしゃぐしゃになってた」とか言うからもう、本当にずるい。

いろんな意味での疲労感でとぼとぼと改札口を出ると、空を見上げるまでもなくまだ雨が止んでいないことが雨音でわかった。

傘は相変わらずわたしの小さな折り畳み傘しかない。
…家まで、一緒に帰るのかな。
白布のことだからきっとわたしの家まで送ってくれるんだろうなぁと自惚れではなく思った。
優しいんだよなぁ。

「みょうじ、傘出して」
「んー」
「疲れすぎだろ」
「だって、朝練のときは時間早いからラッシュかぶらないし、帰りもここまで混んでることないし」

そんなことを話していたらカバンから取り出した傘をごくごく自然な流れでわたしの手から奪う。
そしてごくごく自然な流れで、みょうじ家へ向かう道を進み始めた。
チラッと隣を見上げれば涼しい顔をした白布がいて、さっきまでドキドキとうるさかったわたしの心臓もいつの間にか平常運転に戻った。

「みょうじさ、今日わかんない問題あっただろ」
「えっなんで…?」
「手ぇ止まってたし。解答のページ見ながら難しい顔してた」

なんでわかったの、なんて。
白布は本当によく見ていてくれて、わたしの気持ちだって実はバレているんじゃないだろうかとすら思う。

「自分で考えるのも大事だけど、ちゃんと聞けよ。気ぃつかわなくていいから」
「ん、ありがと」

そんな話をしていたらみょうじ家に着いて、家の門の前で白布と向かい合うような体勢になった。
屋根のあるところだから傘は閉じているしさっきよりも距離はあるのに、相合傘の余韻のせいか向かい合わせになると少し照れる。

「…白布、肩びしょびしょ…」

狭い折り畳み傘の中にわたしと白布がしっかり収まるのは難しかったみたいで白布の左肩は濡れてしまっていた。
わたしも無事ってわけではないけれど、白布より全然マシだ。
…傘、わたしのほうに傾けてくれてたんだろうな。

「あぁ、すぐ乾くだろ」
「ちょっとうちで休んでく?少しは雨マシになるかも」
「いいよ、夕飯時だし悪い」
「気にしなくていいのに…あ、じゃあタオル持ってくるからちょっとだけ待ってて」

白布を玄関に招き入れて、わたしは急いで自分の部屋のある二階にあがる。
水浸しになってしまった靴下が気持ち悪くて廊下で脱ぎ捨てて、部屋から綺麗なタオルを引っ掴んでバタバタと階段を下りた。

「そんな急がなくても。転ぶぞ」

わたしの様子を見て白布が笑う。
たまにしか見せない表情、他の人にはあんまり見せない笑顔。

「ありがとな」

タオルを受け取った白布が、自分の肩を拭くのかと思ったのに、何故かわたしの髪の毛を撫でるように拭いてくれる。

「えっなに…?」
「髪、ちょっと濡れてる」

傘で守られていたはずなのに横風に吹かれたときに濡れてしまったんだろうか。

「いいよ、わたしより白布のほうが重症だよ」
「重症って」

あ、また笑った。
この至近距離でその顔は心臓に悪い。

慌ててタオルを奪い返して白布の肩をトントンと水分を取るように拭いた。

「風邪引かないでね、テスト前だし、テスト終わっても部活あるし」
「そんなやわじゃないから。みょうじのほうが心配。てかもう帰るよ、家の人いるだろ」

リビングのほうからかすかにテレビの音が聞こえるからそっちをチラッと見ながら言う。
きっと引き留めても断られるだろうから、せめてもと思って折り畳みではなく大きな傘を貸した。

「送ってくれてありがと、傘いつでもいいから」
「おー。こっちこそありがとな、また明日」
「ん、気をつけてね」


端から見たら近すぎるのかもしれないこの関係が、とても愛おしくて大切で、なにかの拍子だったりお互いの言葉だったりで壊れてしまわないか、胸がざわついた。



雨はまだ止まない。

(2016.08.08.)


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