10.隣り合わせ

「…みょうじ?どうした?わかんないとこあったか?」
「えっ」

図書館で期末テストの勉強中、手も思考も停止してしまったわたしに白布が声をかけてくれる。
いつもこうだ。
ちゃんと見ててくれて、気にかけてくれて、こんなのずるいよなぁ。

「白布は、さぁ」
「ん?」
「彼女欲しいなーとか思うの?」
「……は?」
「…わたしたち付き合ってるように見えるらしいですよ、白布先生」


教科書に落としていた視線をチラっと隣に座っている白布に向ける。
勉強するときは隣に座るのが中学生の頃からのお決まりになっていた。

「みょうじは?」
「ん?」
「好きな奴とかいんの」

白布の視線がこっちを向いて、心臓が変な音をたてる。


なんて答えたらいいだろう。
好きな人、いるよ。
けど言えない人だよ。
言ったら困らせちゃう。
こんな風に隣にいられなくなっちゃう。








きっかけはハッキリ覚えている。

インハイ予選の決勝戦、白鳥沢対青葉城西。
あの時はまさか自分が白鳥沢に進学することになるなんて思っていなかった。
華やかなプレースタイル、セッターを中心にうまく組み立てられたバレー。
そして何よりそのセッターの容姿のせいで一緒に観戦していたマネージャーの同級生は青葉城西贔屓だった。
けれどわたしは、対する白鳥沢の圧倒的な力に心を奪われてしまった。

…なんて、それは多分後付けの結果論で。

たまたま隣に座っていた白布が、試合が進むにつれて前のめりになるのがわかった。
白布は普段から周りのみんなより大人びていて感情を表に出すタイプではないのに、ひしひしと熱が伝わってくるような気がした。
膝の上で握られた拳に力が入っていて、瞳がキラキラしていた。
あんな白布の顔を見たのは初めてだった。

会場の喧騒が遠くに聞こえる感覚。
引き戻されたのはバンッという大きな音。
多分、スパイクがコートに叩きつけられた音。
打ったのはさっきから目立っている白鳥沢の大きい人みたいだ。
一拍置いて隣から漏れた「すげえ…」という呟き。

その後は隣の白布に意識がいかないようにずっとウシワカさんを見ていた、ら。

「なまえ、気になる選手でもいたの?さっき選手名簿熱心に見てたね」

なんて一緒に見に行っていたマネージャーの子に言われて焦った。
さっきから及川さんがかっこよかったーっていつもより1オクターブ高いのではってくらいの声のトーンで話していたのに急にそんなことをわたしに振らないでほしい。
それに及川さんはファンの女の子たちが怖いし、それに応える姿がどこぞのアイドルみたいでちょっと苦手だ。
選手としてすごい人だってことはわかるんだけど、「及川さんは華やかすぎてちょっと無理」と正直に言ったら爆笑された。

「無理とか!えーじゃあ誰?他にかっこいい人いた?」

選手名簿を見ていたのは本当だけれど、熱心そうに見えたのはこの子の勘違いだろう。
試合が終わった後も熱をもったようにふわふわしていて、名前や背番号の羅列はほとんど頭に入ってこなかった。
でも誰がかっこよかったか、と聞かれたら思い浮かぶのは一人だ。

「……白鳥沢の、すごかった人」








「白鳥沢?みょうじ、お前自分の成績わかってるか?」
「…はい」
「受けるなとは言わないけどなぁ、併願校しっかり考えろよ。お前の今の成績だと、」

進路相談で自分の志望校を見て先生がものすごく苦い顔をした。
先生の手元にはわたしの一年生のときからの成績表と、見合うと思われている高校の入学案内。
わかっている、先生は意地悪で言っているわけではない。

「…まぁ相当頑張らないと難しいけど、やれるだけやってみろよ」

面談は先生の苦笑いで終わったけれど、否定せず応援してくれたことがありがたいなって素直に思った。

面談室を出たら廊下に次に面談をする生徒が待っていて、その子に一声かけて自分の教室に戻る。



あーあ、やっぱり先生あぁいう反応だよなぁ。



はぁ…と、ため息を吐きながら教室の扉を開けたら「あ、みょうじ」なんて声をかけられる。
ちょっと今はあんまり話しかけられたくない人から。


「白布…」
「進路面談か?」
「うんー」
「?なんかあったか?」
「ううん、なんにもないよ。白布も面談?」
「そう、もうそろそろ行く」

ヒラリ、と進路調査票を摘むように持つ。
見ようとしたわけではないのだけれど、白布の男の子らしい字で書かれた志望校が目に入ってしまったのは仕方がないと思う。

第一志望の欄に書かれた「私立白鳥沢学園高校」の文字。
あぁやっぱり、なんて思いながらも心臓がドキドキうるさい。


「えっ白布、白鳥沢受けるの?」

難関じゃん、なんて。
自分に盛大にブーメランだ。
白布は元々成績が良いし、部活を引退した最近は良く図書館に籠っているらしいと噂を聞いた。

「そっちは?どこ受けるの?」

この流れなら当然だけれど、白布がわたしに聞く。

白布の志望校は聞いたことなかったけれど、同じだったらいいなぁって思っていた。
白布が目を輝かせて見ていたバレーをわたしも間近で見たいし、そこに白布がいたらいいなって。
そんな風に思ってしまったんだ。
自分のいまの学力じゃ白鳥沢なんて無理、そんなの自分が一番わかってたけれど、それでも頑張りたいと思ったのはこんなことが理由だとバレたら引かれるだろうか。

「…実はわたしも、」

白鳥沢でバレー部のマネージャーをやりたい、と打ち明けたときの白布の顔は今までに見た白布のどの表情とも違っていて、自分がどれだけ身の程知らずなことを言っているのかをまた突き付けられたような気がした。

「一緒に勉強する?苦手な教科とか、見てやる」
「教えるのも勉強になるし」

…だから、こんなことを言ってくれるなんて予想外すぎてきっとわたしは相当マヌケな顔をしていたと思う。

「志望校同じなんだし、一緒に頑張ろうぜ。んで、また同じチームでバレーやろう」


白布が「大丈夫」って言ってくれたら魔法みたいに気分が軽くなったし、一緒に並んで頑張ってくれたから、次の春、わたしたちはまた同じ制服で憧れの高校の門をくぐることができた。






わたしは白布のことが好き、なんだと思う。
友達とかチームメイトとかじゃなくて、男の子として。

だけど白布とどうなりたいとかそんなのはなくて、近くにいられたら幸せだなぁっていう「好き」。
だからこの気持ちは誰にも言うつもりはないし、言う必要がないと思っている。

わたしと白布はそういうんじゃない。

一緒に勉強しようが、帰り道に寄り道をしようが、ちょっとした拍子で手を繋ごうが、そういうんじゃない。

隣にいてくれたらすごく安心するし、この距離感がひどく心地良くて愛おしい。
だからこそ、この気持ちは胸の奥のずっとずっと深いところに仕舞っておく。


(…はずだったんだけどなぁ)


瀬見先輩に付き合っているのかと聞かれた。
そういう類のことは中学の時も何回か聞かれたことがあったけれど瀬見先輩は「白布も真顔で否定してた」と、そう言ったのだ。
それがなぜか胸にひっかかって、鼻の奥がツンとするような感覚がして、目の前にいる瀬見先輩に情けない姿を見られてしまった。


「白布が否定してた」と聞いて、こんなに胸が痛いなんて、苦しいなんて、そんなこと思っちゃいけないのに。










「…悪い、なんでもない」

白布が気まずそうに視線を外して、わたしも飛んでいた思考がやっと引き戻された。
図書館の中はすごく静かで、誰かが本をめくる音とかペンを走らせる音だけが空気を揺らしている。
自分の心臓がいつもの倍くらいのスピードで脈打っているような気がした。

「白布は…?」
「俺は、いるよ、好きな奴」


そっか。
好きな人いるんだ。
そっかぁ。


シャーペンを持っていた手に力を込めていないと泣いてしまいそうだった。
このままでいいなんて馬鹿だな、いつまでも同じでいられるなんてどうして思っていたんだろう。

聞かなきゃよかった、な。

そう思うのに、これを言ってもし肯定されてしまったらもうこんな風に二人で過ごす時間はなくなるかもしれないのに、口から滑り出るように言葉がすり抜けた。

「わたしといると誤解される、ね」
「…誤解?」
「うん、中学の時から実はよく聞かれてたんだ。白布と付き合ってるの?って」
「あー…」
「白布の好きな子にも勘違いされたら悪いなぁって思う」
「……」
「あんまり甘えちゃいけないなぁってちょっと反省した。あと、瀬見先輩にも言われて、」

暗くならないよう、重くならないよう、白布に向けた顔は笑顔のつもりだけれどうまく笑えた自信はない。

「だから、勉強教えてもらうのとか控えたほうが、」

いいと思うんだ…と言うつもりだった言葉は最後まで言えなかった。
白布が分厚い英和辞書をバタン、と少し大きな音を立てて閉じたからだ。

「みょうじはそれでいいの」
「っ、」
「他の奴にどう思われてるとかどうでもいい。瀬見さんに何言われたのか知らないけど、」

辞書の上に置かれた白布の手が硬く握られている。
無表情のようだけれど、これは怒っている顔だ。
些細な変化もわかるようになってしまった。
近くに、いすぎたのかなぁ。

「……あーやっぱ待って」
「え?」
「この話、一旦保留にしよう。期末終わったら、またちゃんと話したい。いまはこれ以上言えない」


…正直、少しホッとしたのが本音。
だけど保留にしたところで何か変わるのかとも思う。
白布は何を言おうとしたのかな、続く言葉の選択肢を考えてみても、わたしにとっては悪い方にしか転がらないような気がした。


「わかった」と答えた声は我ながらか細くて、白布の大きな手がいつもより雑にわたしの頭を撫でるから思わず唇をきゅっと結んだ。

(2016.07.06.)


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